年別アーカイブ: 2007

来客のおみやげ

先週、会社に日本の材料メーカーが訪ねてきた。

お土産のお菓子を何箱か持って来てくれたのだが、アメリカ人たちが「臭い臭い」といって面白がって他人に食わせてみたりして喜んでいる。ジョンは「早くどっか他のところにもって行って日本人だけで食ってくれ」と言う。

どれどれ、とお菓子の置いてあるところに行ってみると、包装にまで凝った、とても高級そうなせんべいで、開けてみると海老の香りがした。どんなに高級であっても海老せんべいはやっぱり臭くて食えないようである。

妻が、私のブログは長すぎて読む気がしないという。話がくどくて短ければ短いほどよいらしいので、今日のところはこれぐらいで勘弁しておいてやる。

アトランタ食い倒れツアー3

9時頃ホテルに帰ると子供たちがまたプールに入りたいと言う。夜にプールに入るという非日常的なことがやりたいのだろう。翌朝の朝食のこともあるので、それもよかろうと思い、1時間ぐらい遊ばせた。
翌朝、バイキング形式の朝食をたっぷり食べると、子供たちがまたプールに入りたいという。昼食のこともあるので、また1時間ぐらい遊ばせることにした。人一倍暴れまわった次男が「膝がガクガクする」という。よしよし。それでいい。

チェックアウト後、貨幣博物館を見てから昼食のためインド料理店ZYKAへ向かった。着いてみると、あまりに外見がさびれているので「これはダメかも」と思ったのだが、そうではなかった。値段が安い上、カレー、ナン、タンドリーチキンなど、とても美味しいのだ。本場のインド料理がどんなものかは知らないが、少なくとも仙台で本格的とされている何軒かのインド料理店と遜色ない味であった。また行きたいと思う。

その後、マイクに紹介された「世界中の食材が集っている」というYour Dekalb Farmers Marketへ移動。なぜか入り口に「写真・ビデオ撮影禁止」と書いてあるがこっそりと撮影した。

ブドウの袋に切れ目が入って開いているものがあるので、試食してみると確かに美味しい。あれもこれもと全種類のブドウを家族全員で試食していると、よく見るとすべての袋に切れ目が入っており、試食品ではないことに気づき愕然とする。これでは泥棒だ。マイクによれば、試食品があちこちにおいてあるはずだったが、試食品など全然ないではないか。

ビーフジャーキーのコーナーに「バイソンジャーキー」なんかおいてあり、興味があったのだが、もし変な味がしたら後悔すると考えて普通のビーフジャーキーを買った。他にもチーズやパンを買い込んで車の中で食べ始めた。

その後、テレビ局CNNセンターの見学ツアーに参加した。腹をすかしてから夕方に広東ハウスに行く予定だったのだが、ぜんぜん食欲が戻らず、ドーサンに帰ることにした。

家についたのは9時頃だったが、まだ夕飯を食べる気にならず、そのまま寝ることにした。今回のツアーがかなり不本意だった妻は、もう次の食い倒れツアーのためネットで店探しを始めていた。

アトランタ食い倒れツアー2

FUNEに着いたが、なんと寿司が廻ってない。廻ってないどころか、コンベアの上に何一つ乗っていないしコンベアも止まっている。客は2人だけ。壁面に映画など上映しているのが虚しい。明らかに余計なことに金がかかっている。

気を取り直してテーブル席に案内された。カウンターの内側には東洋人が二人、なにやら忙しそうに働いているが、会話を聞いていると中国人らしい。

黒人のウエイターがオーダーを取りに来た。妻が「寿司はいつ廻るのか」と聞く。もはや正常な判断力を失っているようだ。客が2人しかいないのに廻すはずがないではないか。やっとあきらめてマグロ、鯖、ウニ、ネギ巻き、味噌汁、FUNEロールを注文した。ところが「マグロと鯖を切らしている」という。鯖はともかく、マグロを切らしている寿司屋かい!

しばらくすると、次々と注文の品が運ばれてきたのだが、どれもこれもカウンターとは反対の奥の方からさきほどのウエイターが運んでくる。カウンターの中の東洋人が何のために働いているのか不明。味噌汁が凝った竹細工の上に置かれて出てきたのだが、飲めないほどしょっぱい。具は乾燥ワカメだけだ。しかも戻しが足りず、ところどころ堅い。コップの水を入れて飲める濃度にしてなんとか飲んだ。切らしているはずのマグロが出てきたが、めんどうなのでもう余計なことは聞かずに食べる。意外にもウニが美味しかった。日本の回転寿司屋の普通グレードのウニより明らかに美味しい。よかった。

チャーハンをぎっちりと詰め込んだはずの子供たちがなぜかどんどん食べて、チップを入れると100ドルを超えてしまった。チャーハンを食わせていなかったら大変なことになっていた。

それにしてもいくら火曜とはいえ、この客の少なさは異常である。次に行くときにはもうなくなっているに違いない。ジョージア州初の回転寿司体験をみんなに報告するんだとがんばっていた妻は落胆の色を隠せなかった。

アトランタ食い倒れツアー1

アトランタ一泊二日食い倒れツアーを敢行して帰ってきた。「食べることだけが楽しみ」と言い切る妻がネットでいろいろと調べて、以下のような計画を立てて臨んだ。

《1日め》
朝食 抜き 4時間かけて一路アトランタへ
昼食 Hong Kong Harborでラーメンを食べる
夕食 アトランタ唯一の回転寿司屋、FUNE(舟)で寿司
《2日め》
朝食 ホテルの朝食で食い放題(バイキングのこと)
昼食 インド料理屋ZYKA
午後 食品市場 Your Dekalb Farmers Marketで試食三昧
夕食 Canton Houseにてラーメンを食べる
ドーサンへ帰る

と、このような計画であった。

まずはHong Kong Harborでラーメンだ。確実に日本のラーメンを食べられる店は他にあるのだが、今回の目的はあくまで新規開拓であるので、リスクは覚悟の上だ。

出てきたラーメンは外見は日本のラーメンと同じなのだが、麺が焼きそばのように揚げてあり、噛んだときに焼きそばのような臭いがする。とはいえ美味しくなくもなく、まあまあであった。タコやホタテの入ったシーフードマーボー豆腐は最高に美味しかった。

チャーハンを二人前頼んだのだが思ったより大量で、一人分がまるまる余ってしまった。妻はこれを「持ち帰ろう」と言う。「そんなもの持ち帰っていつ食べるんだ?」と聞くと「いいからいいから」などと言って目配せをしてくる。さらに妻は何を考えてか、マーボー豆腐についてきたオヒツの白飯まで持ち帰る気らしく、塩を振って食べてみて「やっぱり食えないか」なんて言っている。完全におかしい。

後で理由がわかった。回転寿司屋に行く直前に子供達の腹に飯をたっぷりと詰め込もうという作戦だったのだ。ホテルの部屋には図らずも電子レンジがあり、プールで3時間も暴れまわった子供達は何も知らずに、暖めたチャーハンを喜んで腹いっぱい詰め込んだのだった。

いざ、回転寿司屋FUNEに出発である。

『ピンポンさん』

戦後間もない東京。
吉祥寺にできたばかりの武蔵野卓球場をひとりの無口で色白のやせっぽちの高校生が訪ねた。
「この卓球場には、誰か強い人がくるんですか」
少年は、母親の古本を内緒で売った金で練習相手を探して卓球場を回る変わり者だった。
卓球場の主人上原久枝は、いつしか少年の食事から洗濯の世話までするようになる。
「おばさん、孔雀ってどこに卵を産むか知ってる?」
「知らないわよ」
「木の上だよ。おばさん、僕はいつも井の頭公園の木の上にいたんです。井の頭公園にある木はぜんぶ登ったんだよ」
2歳で父を亡くし、働く母が帰宅するまでの時間、公園の片隅で孤独をかみしめていた少年。
少年がもっとも嫌いなのは時間を無駄にすることだった。少年の日記。
《天才はごろごろしているぞ。天才中の天才になるんだぞ。》
《俺が死ぬとき何と思うだろう。それを思う時、一刻も無駄な真似はできない。誰にも影響されるな。》
自分の実力を確認して卓球をやめるつもりで参加した全日本選手権。東京予選で負け、はじめて人前で声を出して泣いた。
《9月7日 笑いを忘れた日》
もう卓球をやめられない。少年の卓球にかける情熱はいよいよ狂気を帯び、おばさん以外の者は怖くて声もかけられない。
翌年、全日本選手権で優勝。世界選手権ではコーチ陣の反対を無視した独創的な『51%理論』を実行し優勝。
たゆまぬ自己研鑽で、32歳で引退するまで世界選手権で12個の金メダル。
引退後は現役選手や中国、スウェーデンに指導を請われ幾多の世界チャンピオンを育成。
天才はいるのだろうか。いる。それは君だ。それは、ぼくだ。天才はいないのだろうか。いない。
みんなが天才であっていけないのなら天才はいない。
やれないが“知っている”のは評論家だ。きみよ、評論家になるな、プレーヤーになれ。
プレーヤーとしての若さを失った後、プレーヤーの苦しみを知っている評論家になれ。
並外れた頭脳と行動力で役員としても頭角を現し、54才で「あと一年やったら会長を譲る」という前会長の申し出を断り、選挙にて国際卓球連盟会長に就任。欧米発祥のスポーツで史上初のアジア人会長となる。
2年間で80ヶ国を卓球の普及に奔走。
朝鮮半島に30回数回も足を運び、91年世界卓球選手権女子団体で統一コリアチームを実現。コリアは中国の9連覇を阻んで優勝。
サマランチIOC会長とホットラインを持ち、98年の長野冬季五輪招致に尽力。
彼が久枝に贈った詩
天界からこの蒼い惑星の
いちばんあたたかく緑なる点を探すと
武蔵野卓球場がみつかるかもしれない
94年永眠。NHKがトップニュースで訃報を伝え、全国紙は一面でその死を悼んだ。
「日本スポーツ界は天才的才能の偉大なリーダーを失った」毎日新聞

彼の名は 荻村伊智朗

異端の自己研鑽のDNA 荻村伊智朗伝 『ピンポンさん』 城島充著 講談社より発売中。

本作のもととなった『武蔵野のローレライ』で第7回文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞した城島充が、構想7年、執筆に3年をかけた渾身のノンフィクション。化け物のような強烈な自我をもった孤独な天才と、それを支えた卓球場主人の厳しく、深く、温かい物語。
生きているうちにこんな本に出合えてよかった。本当に凄い本だ。

卓球コント バッタ学園

昭和22年に発行された『卓球人』という卓球雑誌がある。これに卓球教育コントというコーナーがあるのだが、これが可笑しい。

だいたい、『卓球教育コント』という題からしておかしい。その第3回で『バッタ学園』なる奇作が紹介されているのだが、意味がわからないのだ。バッタ学園とはいったい何だ。卓球の教育に昆虫を出すというこの無意味さが素晴らしい。バッタ学園なのにマネージャーだけがバッタらしい。ほかにコオロギさんとかカマキリさんが出てくる。5年生まであって部員が五十人もいるのに卒業するのがコオロギさん一匹というのも不可解である。だいたい、これらの昆虫名が、あだ名なのか何なのかさっぱりわからないのだ。挿絵がリアルな昆虫であるところを見るとどうも本物の昆虫の話のようでもあるが、こんなリアルな昆虫がどうやって卓球をするのか。「私」が何者なのかもわからないし、とにかく集中して読んでも設定が異様すぎてなかなか話が頭に入らないのだ。
昭和22年だからというよりは、これはこの中島という人の特殊性によるものだろう。あまりに変なので、ちょっと長いが全文を紹介する。当時の文字使い、句読点のルールが現代とはだいぶ違うこともわかる。

-◇卓球教育コント◇-
(3)
(続) バツタ学園
中島 巌

土手の芝生が、漸く息をつき始めた頃―バツタ学園にも卒業式が訪れました。
全国女学校の皆さん、全国制覇を希ふバツタ学園卓球部は、どのようにこの冬を過ごしたでせうか又二年生から五年生までが一致団結して学校スポーツとしての卓球の真価を、どのようにして発揮しつつあるでせうか、私は送別会の席上で部長先生やバツタさん、コウロギさん達からお伺ひしたお話しを皆さんにお伝へ致しませう
五台のコートを囲んで、五十名近い部員がお手製のケーキを前にきちんとならんでゐる
立上つてバツタさんは伏目勝ちにでは皆さんこれから「蛍雪の功を積み、将に学園を去らんとする私達のお慕ひ申した姉、コウロギさんの送別の会を開くことに致します。美味しくもありませんが、ケーキを戴き乍ら、コウロギさんの活躍の跡を偲び、心ゆくまで語り歌ふではありませんか」・・・・・
おいみんなそんなしんみりしないでケーキを食べなよ、部長先生の一語にどつと頭をあげた一同、私は早速マネーヂャーのバツタさんにこの冬休みをどのようにお過ごしになりましたか、とお伺ひしたら
バツタさん「私達は先生が少しもお見へになつてくれませんので心配をして居りましたが卓球人のコント?で“クロ”のお話しをよみ冬季練習の重大性を知つて、この冬中は毎日朝九時に集り軽い体操の後校庭を五回位駈足をして、休息後二百回ほど縄跳をし、正午まで基本練習、お昼休みには一時間雑誌卓球人を囲むの会を開いて技術の研究やら、修業のお話しなどをし、午後は一時間集中練習(自分の練習せんと思ふものバツクハンドならバツクだけを)一時間は下級生の指導、その後軽くゲームをやつて一日を終りました」寒がりやの私達の事とてとてもつらかつたですわ、
そうでせうね、カマキリさんなんか特に細いからさぞかし骨までしみた事でせうね、ギョロリトにらんだカマキリさんの眼余り怖ろしいので部長先生に助けを乞ひました。先生この頃とても愉快そうにみんな仲よくやつてゐますね、何かよい薬りでもあつたのですかとお聞きしましたら、部長先生は眼鏡越しににつこり笑つて実はこうなんですよとお話しをしてくれました。
部長「ピンポン部はみんなのものです、生徒自身で立派な自治体を造つて、技術の研究、精神修養の面に互いに努力研鑽し合つてこそほんとうに生きた卓球部が生れるのではないかと言ふ考へから、各学年から二名の委員を選出して、マネーヂャー主将、副将、委員と役員を作りました。特にクラス選出の委員は、よくそのクラスの融和、連絡を図つて仲よく愉快に私達のピンポン部を造りませう、と言ふ事になつたのです」それからと言ふものは皆がとても仲よしなんですよ、ケーキを食べてるにこやかな顔、顔、顔、私もすつかり愉快になつてしまつた。コウロギさん御卒業の感想を聞かせて下さいと伺へばコウロギさんは早速
「長い間の学窓生活の中で、卓球部の思ひ出は私の生涯に永遠に消へやらぬことでせう、苦しくも又楽しかつたあの夏の合宿K校との決勝戦に見事勝つた県下大会、あゝ、数々のつきぬ思ひ出は、私の身を心をこんなにも成長させてくれました。人生てふ航路に船出する私に自信を与へてくれたものそれは卓球です。皆さん私は今、学びやを去るも、折にふれ球を手にし、又母校を訪れて、この卓球に精進致します。」
去る者、送る者、それは感激の一時でした。やがて夕靄に包れかけた講堂から
仰げば尊し 吾が師の恩
教への庭も はや幾年
悩しのメロデーに私はしばし別れを惜しみながら、学園よ永久に栄へよと祈りつゝたそがれの校門にいとまを告げました。
どうだろう。こんな設定だけ異様でオチも何もないダラダラした話をよくも載せたものだ。素晴らしい。

東北弁

子供の秋休みに合わせて来週一週間、休暇をとることにした。こちらではゴールデンウイークもお盆休みもないので、赴任して初めての連休でとても楽しみだ。アトランタの回転寿司にでも行こうと思っている。

それはいいとして東北弁の話だ。むかし職場の大阪出身のやつが飲み会で「関西弁といっても大阪弁と京都弁ではぜんぜん違うので関西弁というものは存在しない」と息巻いた。「それでも共通点というものがあるだろう」と言っても彼は「無い」と言って決して認めなかった。本当に話のわからない奴なのだ川上というのは。

そんなことを言ったら東北弁だって全然違う。私の育った岩手県と隣の宮城県でさえ全然違うように思える。それでも共通点はあるのだろうと考えて「東北弁」という概念を甘んじて認めているのだ。

この東北弁について大問題を提起しておきたい。それは映画やドラマなどで東北弁として使われる「お願げえしますだ」とか「オラ、学校さいっただよ」などというせりふの語尾である。『まんが日本昔ばなし』の市原悦子の異様なセリフを聞くにつけ「これはどこの言葉だろう」と思っていたのだが、ほどなく東北弁のつもりらしいことに気がついた。私の生まれ育った岩手県および宮城県の複数の親戚では、そういう語尾は老人を含めても一度も聞いたことがない。「どこか他の東北の県でそう話しているのかもしれない」と思いながらも、「もしかしてこれはデタラメな東北弁なのではないか」とずっと疑っていたものだった。それを確かめることができたのは大学に入ってからだ。なにしろ『東北大学』というだけあって、東北のすべての県出身の学生がいるわけだが、誰に聞いてみてもそのような話し方に心当たりはないという。思ったとおりだ。「~しただ」「~ですだ」という語尾は、非東北人が東北弁の濁音や紋きり型の語尾から得たイメージから創造して定着してしまった架空の東北弁なのだ。もちろん吉幾三の「オラ東京さいぐだ」の語尾もデタラメである。

これよりはマシだが、気になるのが助詞「さ」の乱用だ。「魚さ煮て食った」「太郎さ寝た」という具合だ。これも東北各地出身の人に聞いてみたが、心当たりのある人はいなかった。東北弁で助詞に「さ」を使うのは標準語で目的や対象を指す「に」「へ」に相当する場合だけだ。「学校さ行ぐ」「太郎さ言って聞かせる」という具合だ。この「さ」が標準語にはなくて印象的なので、それを乱発すれば東北弁らしくなると思っているのだ。助詞は言葉と言葉の関係を表すものだ。「太郎さ学校さカバンさ持って行った」などとすべて同じ助詞を使ったら助詞として機能しないので、そんな用法は有り得ないのだ。

脚本家や役者の中にも東北出身の人はいくらでもいるだろうに、彼ら自身もこのような状況に異を唱えないのは「東北のどごがでそう話してる人いるんだべ」と考えるからか、あるいは「日本人の多ぐがそれが東北弁らしいど思ってるならそういうごどにさせでおげ」と考えてこの世のどこにも実在しない「トーホグ地方」の世界を演じることを選択するからなのだろう。奥ゆかしいのだ東北人というのは。

I am ティムさん

私の会社は日本の会社なので、ここドーサンの現地人は何かと日本人に気を使ってくれる。たとえば、人を呼ぶときに日本人にならって「さん」をつけるのだ。電子メールでも「Jota-san」という具合に書いてくれる。

彼らは、「さん」は英語で言えば「Mr.」のようなものだと思っているのだが、ときどき面白いことを言う。初めてティムという人に会ったとき、彼は自分のことを「I am Tim-san」と自己紹介したのだ。それで、私は「さんは自分にはつけないんだ」と教えてやった。ところが、その後、電子メールでもやたらと文章の終わりに「Jacky-san」などと、自分の名前に「さん」をつけて締めくくって送ってくる人がいる。それで事情を聞くと、英語では自分にMrやMsをつけることが結構あるらしいのだ。どうも、自分が男性か女性かを知らせるためもあるのだという。それで、「日本には男女を区別する敬称はないし、自分に敬称をつけることはない」と教えてやったらひどく驚いてありがたがられた。

それよりもなによりも、「さん」なんて付けてくれなくていいのにと思っている。

「さん」で思い出した。Sandyという人がいるのだが、彼女のことを言おうとしてデビッドに「サンディ」と言っても通じないのだ。スペルを言ったらやっと「ああ、サンディか」とわかってくれた。私の発音のどこが悪いのか聞いたところ、「セアンディ」という風に言わないと日曜日のSundayに聞こえるというのだ。

家で子供たちが学校から渡された英語の発音練習用のCDがあるのだが、これが難しい。五つの基本の母音があるのだが、困ったことにそのうち三つは同じに聞こえるのだ。その五つとは
AppleのA(「エア」という感じ)
OstrichのO(くちを「オ」の形のままで「ア」と発音する感じ)
UmbrellaのU(普通の「ア」と同じ)
ElephantのE(普通の「エ」)
IndianのI(普通の「イ」)

だが、最初の三つが全部同じ「ア」に聞こえるのだ。特に2番目と3番目の違いが難しい。聞いて区別できないものを発音できるわけもなく、通じないということになる。

以上、単語に出てくるa,e,i,u,oの五つが基本の母音なのだが、これは単語の中に母音がひとつしかない場合で、これを「短い母音」と呼んでいる。これが母音が二つ以上の単語では、a,e,i,u,oはアルファベットの読みと同じになり、順にエイ、イー、アイ、ユー、オウと発音し、これらを「長い母音」と呼んでいる。もちろん例外があるとはいえ、これらの規則があるから初めて見た単語でもアメリカ人は発音できるのだそうだ。だから日本人の名前SATOを見ると例外なく「セイトウ」と発音するわけだ。まぐれでも「サトー」とは言わないわけである。
英語の読みに規則性があるなどとは、高校の授業でも聞いたことがなく、驚きであった。私は英語の発音に規則性がないことがとても嫌だったのだ。こんなに面白く役に立つことをどうして中学高校で教えてくれなかったのか残念である。

さすがドイツ

一晃さんがネット検索してくれて、ドイツの小便器を紹介しているサイトを見つけてくれた。なんと小便器にサッカーゴールが備え付けられているのだ。さすがドイツ。この調子なら、卓球台とか、コックなら料理、医者なら臓器と、いくらでも応用ができそうである。

http://relakus.exblog.jp/2425406/

サッカーゴールの位置が「しぶき」の観点から適切ではないように思えるが、もはや効果よりも「楽しみ」を優先させているのだろう。
それにしても、この小便をかけられるために作られたサッカーゴール、小便によってどれだけ汚れるのかと余計なことを想像してしまってさすがに気持ちが悪くなる。『サイエンスチャンネル』で、リン(P)という元素がどのようにして発見されたかを見たが、中世の錬金術師が小便を煮詰めて煮詰めて底に溜まった光る物質がリンだったのだという。サッカーゴールもリンだらけになるのだろうな。そういえば、村上力さんの知人が、まだ世の中にアンチラバーというものがなかったときに、それを自作するために普通のラバーを小便で煮てみたと言っていた。中世の錬金術師と同じことをしているのだ。まったく信じられない執念だ。

さて、小便といえば前から気になっていることがある。それは、映画やドラマで男性が小便をする場面の不自然さである。決まって体全体を上下に揺する動作をして小便が終わる様子を表現するのだが、そんなことをする男性は少数派である。「男性は体をゆすって雫を切る」と思い込んでいる女性は、考え直してもらいたい。手で振ればすむものをどうして膝の関節まで使って振る必要があるのか。卓球じゃあるまいし。「俺は手で持ってないから体ゆするぜ」という人がいたら、それこそ大問題である。そういう奴が小便器を外して床に放滴したりするのだ。威張っていないで、大至急考えをあらためてもらいたい。

製作者だって、まさかその作品で”小便の終わり”を表現したいわけではあるまいに、どうして判で押したようにそういう演出をするのだろう。ひどいのになると、上半身全体を反らしてチャックを上げたりする。そういういかにも茶番な大げさな場面を見るたびに「ああ、またやってる」と恥ずかしいようないたたまれない気持になるのである。

郁美さん(8/18参照)から「スタンはアメリカ人だけどあんこが大好きです」とメールが来た。すいません、例外はあるのですね。もしかして小便についても、全員が体ゆすりをする地域があるのかもしれません。

サイエンスチャンネル

独立法人文部科学振興機構というのが素晴らしいものをネット配信している。『サイエンスチャンネル』である。

http://sc-smn.jst.go.jp/index.asp

数々の科学番組を無料で視聴できるのである。もう、面白くて片っ端から見ている。科学界の偉人の話とか、元素ひとつひとつが発見された経緯などがとてもわかりやすく面白く紹介されてる。卓球王国の原稿を書きたいのだが、どうやら全部見ないうちは書けそうにない。

その中に『アスリート解体新書』というのがあって、いろんなスポーツを紹介している。

卓球は真っ先に見たのだが、残念ながら面白くなかった。いろいろな測定結果が出てくるのだが、意外性がないのだ。おそらく、卓球選手の動体視力などを測定して、飛びぬけて優れた値であることを紹介しようと思ったものの、たいしことがなく、ただ「測定してみた」にとどまったのではないだろうか。「俺ならもっと面白く作れるのに」と歯ぎしりした(そのうち、申し出るつもりだ)。

弓道は面白かった。矢は軽くて柔らかいので、弦による加速に耐えられずに発射時に曲がり、スローで見るとグニャグニャに振動しながら的まで飛んでいくのだ。また、打ち出されるときに、弦は弓の方向にまっすぐもどるのだが、矢は弓の厚みの分だけ右を向いているので、ただ射ると矢はその分だけ右にそれるのだという。これを修正するのと、矢にスピードをつけるための両方の目的で、選手は矢を射る瞬間に弓を持っている左手首を甲の方に瞬間的に曲げて弓全体を大きく左に回転させるのだという。これを「角見(つのみ)」という。
他のスポーツの極意を知ることはとても面白い。

この調子で、ときどきサイエンスチャンネルの見どころを紹介していきたいと思う。スポーツごとの科学的アプローチの違い、人物などとても面白いのだ。