年別アーカイブ: 2008

トロフィー

職場の日本人たちのゴルフ大会のため、担当の人がトロフィーを用意している。トロフィーの専門店がドーサンにもあり、そのカタログを見ていたので、卓球のトロフィーが載っているかどうか見てみた。あまりにもかっこいいのがあった場合、もちろん買う。「トロフィーをもらうのではなくて買うのか」と言われそうだが、それが趣味というものだ。

それで見たのだが、ページをめくれどもめくれどもアメリカンフットボールと野球ばかりで、卓球のたの字も出てこない。「卓球のトロフィーは売っていないのか」とあきらめかけたころに、たったひとつトロフィーを見つけた。なんともひどいフォームだ。ラケットの形もウチワみたいでおかしいし握り方もおかしい。こんなボーリングの球を投げるような格好からいったいどこにどんなボールを打とうというのか。試合で勝った報酬がこれとは情けなくて泣きたくなる。

しかも同じページに載っているスポーツは、ダーツ、釣り、馬術、卒業(!)などという目も当てられないマイナーな競技ばかりだ。だいたいEagleってなによ。鷹匠がアメリカにもあるとでもいうのか?

このカタログにはトロフィーの他にメダルも載っていた。卓球のメダルならこれは欲しい!それでドキドキしながら探したが、チアリーディング、ポーカー、料理まであるのに、卓球のメダルはなかった。

悔しくて屁も出ねえ。

(このセリフ、意味がわからないんだが、小学校のころ隣の家の兄ちゃんがよく使っていてお気に入りなのだ)。

KOBE

何ヶ月か前に、ドーサンに新たな日本食レストランKOBEがオープンした。KOBEといっても、神戸牛があるわけではなく、よくある寿司をメインとしたレストランだ。アメリカ生まれの日本人が店長らしく、「日本の味を大切にします」などとしきりに挨拶をしてくる。この店長、ちょっと話すと普通の日本語なのだが、宮根さんは帰り際に深々とおじぎをされて「じゃあね」と言われたらしい。

写真はこの店のカクテルのメニューだ。ブラッディ・マリーとかシンガポール・スリングなどという普通のカクテルもあるのだが、中には「ブルー・ニンジャ」「トーキョー・ティ」「カミカゼ」などといった、いかにも怪しいカクテルがある。この店のオリジナルなのか、意外とアメリカでは定着しているのかは不明だ。

学生時代に山形のスキー場近くに珍しい名前のカクテルばかり出す店があった。ためしにみんなで注文してみると、どれもこれも駄洒落のようなものであった。たとえば「オリンピック」というカクテルには、スライスしたレモンが5枚、オリンピックのマークの形にグラスに貼られていたし、「ラスト・キッス」というカクテルは、サクランボがグラスの底に沈んでいて、酒を飲み終わる間際に口元に転がってくるという寸法だ。

右の写真は今回KOBEで私が注文したカクテルだが、何だかおわかりだろうか。

また畑づくり

先週植えた大根だが、日曜に植えて木曜の朝にはもう芽が出た。あまりに早いので最初、雑草かと思ったが、後の成長を見て、それが植えた大根の芽だったことがわかった。植えたことで満足していつ芽が出るなどとは考えていなかったのだが、こんなに早く結果が見れるのならやりがいがある。

こうなると面白くなり、日曜に例の大木の反対側のやぶも開拓して畑をつくってしまった。慣れない農作業で立ちくらみがして目の前が真っ暗になること2、3度。こちらにも大木の根があちこちに張り巡らされていて、地中の栄養の取り合いが心配だが、肥料を買ってきて撒いたのでなんとかなるだろう。

トマト、茄子、にんじん、きゅうりの種を買ってきて植えたが、今日木曜の朝、やはり小さな芽が出ていた。私の実家は家の前が畑だらけだったが、興味を持ったことなど一度もない。やはり自分でやると違うものだ。私と子供たちはかなり畑に入れ込んで朝晩見に行っているのだが、かかわっていない妻はさっぱり興味がないのも仕方があるまい(このブログの読者も興味がないだろうとは思うが許してほしい)。

シェイヴド・フィッシュ

私がカキ氷の看板「Shaved Ice」を見て電子辞書を引いたのにはわけがある。

ジョン・レノンが生前に発売した唯一のベストアルバムに『ジョンレノンの軌跡』(75年発売)というのがあるが、その原題を『Shaved Fish』という。このタイトル、ジョンレノンの曲にも何にも関係がなく、唯一、アルバムジャケットの裏にShaved Fishと書かれたカツオ節の箱が描かれているだけである。なぜジョンレノンが自分のベストアルバムのタイトルに『カツオ節』などとつけて、その箱までジャケットにあしらったのか、長い間わからずにいた。

後年、伊丹十三のエッセイ集を読んでいると、興味深い話に出くわした。彼のイギリス人の友人が、「Shaved Fish」と書かれたカツオ節の箱を見て「これは何だ?」と聞いたという。伊丹が意味を説明すると、その友人は気が狂ったように笑い出し、「だってこれ、ヒゲを剃った魚って書いてあるぜ」と言ったのだそうだ。その友人はshaved fishという単語がとても気に入って、伊丹に床屋で魚がヒゲを剃っている画を描くようせがんだという。伊丹はついでに猫の理容師も描いてやったという。伊丹によると、英語圏の人にはshaved fishといわれればあくまでヒゲを剃った魚しか思いつかないとのことで、カツオ節ならfish shavingとでもすべきだろうとのことだ。ちなみに、辞書で調べてみるとdried bonito shavingsと書いてあった。

この話から推測するに、日本人を妻に持つジョンレノンは、あるときたまたまカツオ節の箱を目にし、そこに「Shaved Fish」つまり「ヒゲを剃った魚」という文字を見たのだろう。そしてなんともユーモラスなものをそこに感じ、ついにはアルバムのジャケットにしてしまったのだ。だからそこに深遠な意味などあるわけもなく、ただ面白いので使っただけなのだ。つまりギャグだったのだ。

それで私はShaved Iceという看板を見て反応したのだ。電子辞書でカキ氷を調べてみると確かにShaved Iceと書いてあった。Shaved Iceが「ヒゲを剃った氷」じゃなくて「かき氷」として通用するんなら、カツオ節だってShaved Fishでそんなにおかしくないではないか。

ためしにマイクに聞いてみると「確かにヒゲを剃った魚と最初は思うけど、たぶんスライスした魚の料理かなんかなんだろ?」と言われた。別におかしくもなんともないという様子だ。がっかりだ。

ボートレース

よく「ドーサンは何も遊ぶところがない」と社内の日本人が言うのを聞く。私も漠然とそう思っていた。でも、じゃあ仙台でそんなに面白いものがあるだろうかと考えてみると、それほど思い浮かばない。もちろん食べ物は違うが、他にドーサンにないものといえば、パチンコ、温泉、マンガ喫茶、カラオケボックスといったところだろうか。結局、ドーサンで不足を感じるのは友達などがいなくてヒマに感じるということではないだろうか。

土曜に、隣町の湖でボートレースがあるというので見に行ってきた。コーナーリングでボートがひっくり返ったりする激しいものを期待していたのだが、400mぐらいの直線だけの競争であまり見ごたえがなかった。しかもほとんどがスタートで差がついてそのまま勝負が決まる。面白くないので1時間半ほどいて帰ってしまった。

観戦中、カキ氷屋の看板にShaved Iceと書いてあったのを見て思うところがあり、電子辞書で調べようとしたが、画面が真っ暗でさっぱり見えない。明るい屋外で電子辞書を使ったことがないので気がつかなかったが、これほど明るいと液晶のコントラストなど見えないんだなと思った。それで明るさ・コントラスト調整をしたが、ほとんど何も見えない。先に使っていた妻に「見えないよな」と聞くと「気がつかなかった」という。こんなに見えないのに気がつかないということがあるかよ、と思ってハッとした。もしかしてこのサングラスか?そう思ってサングラスを取ったら案の定はっきりくっきりと見えるではないか。それにしてもいくらサングラスをつけたからといって見えなすぎだ。もしやと思い、サングラスを画面にかざして90度回すと、徐々に画面が見えてきた。そういえば液晶画面は偏光、そしてこのサングラスも偏光だったのだ!学校で習った知識が実生活で役に立った珍しい例だ(前もって気がつかなかったのだから役には立たなかったのだが)。

電子辞書の注意書きに『偏光の入ったサングラスをしながらは使えません』と書けと訴える奴、いないだろうか。

ビートルズ勝負

私は卓球とビートルズが好きで、あれこれと本を読んだり考えたりして、脳のかなりの部分を卓球とビートルズのために使っている。

中学、高校、大学と「ビートルズが好きだ」という人には何人にも会ったが、話してみるとだいたいは私の圧勝である。ときどき同程度の人がいるととても嬉しくなって話が弾む。それで自分のビートルズ度にはかなり自信を持っていた。

会社に入ると「ビートルズ好き」と言われる人がいたのでさっそく話してみると、ものの5分で勝負がついてしまった。完敗だったのだ。
私は2,3のマニアックな話題を出したのだが、その人、そのすべてを私よりはるかに知っていた。卓球の試合と同じで、差がありすぎると話も合わないのだ。「こりゃとても勝負にならない」と思った私は早々に退散してしまった。恐ろしい世界だ。

ビートルズは卓球と比較しておそらく愛好者も多いだろうし、聴く以外にやることがないのでどうしても情報の収集合戦となる。そのマニアの世界では私などまったく素人同然であることがよくわかった。

それ以来私は、ビートルズに関しては「知ってればいいってもんじゃないだろ」と思うことにして現在に至っている。

なお、卓球については未だ完敗したことはないので「知っている方が偉い」と思うことにしている。

宮根さん

宮根さんという同僚がいる。私の半年ほど先に赴任してきた人で、歳も同じだ。この人がこれまた大変なビートルズファンなのだ。ファンになったのは私より遅く、社会人になってからだという(フフ、勝ったな)。村上春樹が小説『ノルウェーの森』を書くとき、ホテルに閉じこもってビートルズの『サージェント・ペパーズ』を200回以上聞きながら書いた」というのを読んで、そんな回数を聞くに堪える音楽とはどういうものかと興味を持ったのがきっかけだったと言う。

それで飲み会のたびにビートルズの話になるのだが、みごとなくらい曲の好みが食い違う。私はジョン・レノン派なのに対して宮根さんはポール・マッカートニー派なので、ハナから話が合わない。「これがわからないようじゃ、ビートルズをわかってないってことだな」とお互いに思っているのだ。こういうファンのあり方もまたビートルズならではの懐の広さを表しているのだ。

先日宮根さんの家に行ったら、玄関を入ってすぐのところに『アビイ・ロード』をあしらった額が飾ってあった。よく見ると縁の黒い部分をマジックで塗りつぶした跡がある。「本物のLPを使って作ったんで、中にレコードがそのまま入ってます」と誇らしげだ。

中学、高校のころはLPを買うということは大変なことだったが、大人になってお金を自由に使えるようになるとこんなことも平気できるのだ。大人になってよかったとつくづく思う。

バンカラの話

私の通った高校は水沢高校といって、地元ではバンカラで有名な高校だった。バンカラというのは、学生服や帽子をボロボロにして、腰には手ぬぐいをぶら下げ、中には下駄を履いたりするやつまでいるという、そういうファッションのことだ。応援団は特にすごくて、学生服の継ぎ目と言う継ぎ目を一度はがしてからわざと手で白い糸を使って縫ったりしている。帽子など、いったいどうすればあんなにトロトロに溶けたような布切れになるのかと思うほどだ。

もともとのバンカラの意味は、何かに熱中していて服装などにかまっている暇がなく(あるいは貧しくて)、質素な服装になってしまったのだという、いわば苦学生・質実剛健の証しのようなものだ。私も入学時にそれをかっこいいなと思って新しい帽子をもみくちゃにしたりしたものだった。マンガ家の吉田戦車は高校の同級生だが(クラスが違っていて面識はない)、エッセイ集の中で、やはりバンカラをかっこいいと思ったと書いてる。

他の高校に行った中学の同級生たちのファッションはバンカラとは逆で、ぱりっとした不良用の学生服を着るという、いわゆるツッパリファッションだった(なにしろ70年代末のことだからな)。それを見ながら「ダメだなこいつら」と優越感に浸っていたのだが、ほどなくバンカラの無意味さに気がついた。新しい学生服や帽子を手間をかけて(ときには金をかけて)わざわざボロボロにするのだから、質実剛健どころか、これも外見を取り繕うだけのファッションにすぎないではないか。これは趣味が違うだけでツッパリファッションと同じことだ。いや、むしろ自分ではそう思っていないだけにツッパリよりよっぽど恥ずかしい。

それに気がついて、バンカラをやるのが嫌になった。しかし一度壊した帽子をもとに戻すことはできない。そこで私が考えたのは、ギャグになるくらいの極端なバンカラをやってみせて、バンカラというのがいかにバカバカしいものであるかをみんなに見せつけ、その無意味さを気づかせてやろうということだった。

かくして私は、帽子の内側の布をすべて取り去って一枚の布だけにし、油をつけたり土をつけたり、部分的に火をつけたり、石で打って穴をあけ、あちこちを裂いてワラで縫い、ところどころに葉がついたままの木の枝や貝殻や石ころを縫いつけるという、いかにもメチャクチャなバカバカしいバンカラの帽子を作って、学校にかぶって行った。それでどうなったか。「すごい、すごい」とみんなが寄ってきて、私の意図に反してすっかり尊敬されてしまったのだった。なんとバカバカしいやつらだろうか。

破れたジーパン

私は常々、リアルということにこだわってしまう。小説や映画でもリアルじゃないとどうも落ち着かなくて楽しめない。

最近の若者によく見かけるのが、ボロボロに破いたジーパンだ。ほどよくかっこよく擦り切れたり破れたりしているのがおしゃれのようで、職場の同僚にもそういうものをはいている人がいる。以前の職場の後輩は、太もものところに2,3個の穴が開いていて、その近くには生地の白い繊維がむき出しとなっていた。

おしゃれと実用とは正反対なのだとは思うのだが、それにしてももう少しリアルに穴をあけられないものだろうかと思う。力がかからない太ももなどに関節より先に穴が開くはずがないではないか(太ももの上で毎日まな板を使っているとでもいうなら別だが)。そういうことが気になってしまうのだ。

私は学生時代、ジーパンによく穴が開いたが、もちろんおしゃれではなくて、本気でだ。穴が開くのはひざだ。穴が開く前に、まずひざのところの生地が伸びてどんどんとんがり始める。歩いているときでもひざのところがとんがっているので大変みっともない。そして生地が薄くなって、ついには穴が開くというわけだ。それで、店にもって行ってそこに継ぎ当てをしてもらうのだが、しばらく履いていると、そのあて布の部分がポコンと盛り上がってもとの生地の境界が破れたり、あてた布にもまた穴があいたりして2回ぐらい補修したあげくについには収集がつかなくなって次のジーパンを買うことになる。

おしゃれどころか本当に惨めでみっともない状態だった。ことわっておくが、金がなかったから新品を買わないのではない。金がもったいなかっただけのことだ(同じ意味か?)。

本気で穴が開いた人をも納得させるリアルなおしゃれというものは有り得ないのだろうか。思いっきりひざの生地をとんがらせるとか。まあ無理だろうな。

野菜作り

先日、以前ドーサンに赴任していた人が出張に来たのだが、ドーサンに住んでいたときに、庭に畑を作って野菜を植えた話を聞いた。

私は農家の生まれだが、畑や田にはまったく興味がなかったのだが、彼の話を聞いているうちに、なんとなくやってみたくなった。

そこで、庭の一部を畑にしようと考えた。まさか表側に作るわけにはいかない。芝生を3週間刈らないだけで住宅会社から「見栄えが悪い」と苦情が来るのに、そこに大根だの茄子を植えるなどもってのほかだ。

そこで、裏庭に作ることにした。芝生の一部を畑にするのは、家を売るときに支障がありそうなので、芝生の外側の藪を耕すことにした。土地の境界がはっきりしないが、少しぐらいかまうまい。

子供たちを足手まといにしながら、スコップやのこぎりを使って藪を整地しようとしたが、中に途方もない太い根が張っている。考えてみると、すぐ近くに直径1m近い木が生えているのだ。そのすぐ近くに畑を作ろうなど、プロから見れば愚の骨頂である。しかし、これは半分遊びのようなものなので、少しぐらい育ちが悪くても構わないし、どっちみちここしか可能な場所がないのだからと、木の根はそのままにして大根の種を蒔いてやった(すでに生えているのは子供が学校の宿題で植えたキャベツだ)。

この後どうなるか、今から楽しみだ。