ニューオリンズはフランス領だったりスペイン領だったりと複雑な歴史がある町のようで、町並みがヨーロッパの雰囲気である。馬車も走っているが、いまだに馬で移動しているということではなくて、浅草の馬車と同じく観光のためだ(当り前だ)。
道にはさまざまな大道芸人がいて観光客が足を止めている。ひとりひとり見ていると、つくづくお金を稼ぐのは大変なことだなあと思う。
昨日からニューオリンズに旅行に来ている。ドーサンから車で5時間だ。
ニューオリンズといえばジャズの町だが、特にジャズに興味もないので、単に楽しげな町並みを歩いて眺めるのが旅行の目的である。
夕食は映画『フォレスト・ガンプ』に思いっきりちなんでいるレストランに入った。「ババ・ガンプ・リュシンプ」といって、日本にも店があるらしい。店内中がこの映画に関係した装飾が施されているので、おそらく映画制作者の許可を得てやっているのだろう。
フォレスト・ガンプといえば卓球である。別にそのために入ったわけではなかったのだが、メニューがラケットの上にのっているという嬉しい不意打ちを食らった。売店にも映画にちなんだラケットが高い値段で売ってあり、なるほどと思った。
ニューオリンズは観光地なので、あちこちで土産物が売っていて、眺めているとどれもこれも面白そうではある。私はいつもこういう場合、キーホルダーとか帽子とかTシャツとか何か買いたいような気がするのだが、反面、どれもなくてもかまわないものであることを考えると、どれとも決めることができなくて途方に暮れてしまい、結局は買わない。その点、卓球に関するものなら「これは必要だ」と迷うことはないので、とても楽である。アメリカでは卓球は娯楽としてはポピュラーなので、結構卓球に関するものは見ることがあるのだ。
しかし、さすがにこのガンプのラケットは買わなかった(バカにしないでもらいたい)。
ワニの足の剥製のキーホルダーを見つけ、つい怖いもの見たさで臭いをかいで見ると、生臭い臭いがプーンとしてオエッとなったが、ガンプの店で海老を剥いた自分の指の臭いであった。不愉快だ。
昨年の夏に卓球王国の原稿に書いたバリー・ヘイター、通称バリさんについて、新井さんが情報を提供してくれた。
http://ameblo.jp/tac-show/entry-10469172475.html#cbox
なんと新井さん、バリさんと試合をしたときに、打球に使っていないペンの裏面のラバーにクレームをつけられ、はがして試合をさせられたという。このときは審判長まで出てきて「問題ない」と判断したが(審判長などというものは普通はヒマなものだが、バリさんが出るときはおちおち弁当も食っていられないだろう)バリさんは納得しなかったという。しかも、ラバーをはがしたら白木なのでかえってルール違反だ!
いったいバリさんのどのような正義感が働いてラバーにクレームをつけたのか、興味深いところである。
バリさんの原稿を書くにあたって、いろいろとエピソードを収集したのだが、これは聞いたことがなかった。心温まるエピソードである(笑)。
一番弟子の戸田も、バリさんとの試合で「生まれて初めてムーブドテーブルで点を取られた」と言っていた。素晴らしい。卓球界の名物ジイさんとして、末永く活躍して欲しい。対戦した人はくれぐれも対等にやりあったり激昂したりせず、その名物ぶりを味わう心の広さを持ってほしい(私も試合をしたくはないが)。
卓球インストラクターの新井卓将さんという人が、サイトで卓球王国の私の連載を紹介してくれている。嬉しいので紹介しよう。
http://ameblo.jp/tac-show/entry-10464086107.html
新井さんはTSPトピックス時代の私の4コママンガhttp://www.geocities.jp/gendaitakkyuu/tm1.htmlの当時からファンだったという。79年生まれだから当時は高校生だったはずだ。偉い人である。
このサイトのトップページの写真も良い。テレビ番組でドラマ『ガリレオ』のパロディをしたときに出演したものらしいが、化学者みたいな白衣を着ている様子が、マッドサイエンティストといった感じで可笑しい。なんとバカバカしい映像だろうか。さすがプロの映像だ。
新井さんのテレビ出演記録をよく見ると、以前、宮川さんという方から送ってもらったDVD(音楽に合わせてラリーをするショー)に出ていた人だった。音楽に合わせて完全なリズムでラリーをするのだから、ただ事ではない技術レベルだ。このサイトにもいろいろと曲芸のような卓球技術が紹介されていて面白い。難易度が高く、とても並みの実力の人にはマネができないものばかりだ。
卓球指導で生活するのは並大抵のことではないと思うが、こういう人(私のファン)にはぜひともがんばって大成功してもらいたい。
2/13に書いた赴任者の子供の話をもうひとつ。
なかなかユニークなことを言う子供で、あるときしみじみと「俺、まだ6歳なのに9年生きてるような気がする」と言ったという。なんだか意味が分らないが(おそらく本人も)、不思議な魅力のある台詞だ。こういうことをわざと言えるようになれば創作活動ができるのではないだろうか。単なるオカルトでなければ良いのだが。
電子書籍というものがある。インターネットなどでダウンロードして端末で読む本で、革命的な商品である。現物がないので、材料はいらないし在庫も倉庫もいらない。著者と販売者がいればいいだけだ。よって、著者に入ってくる印税も、売値の50%以上であり、通常の本の10倍以上であるらしい。
それで、さっそく電子書籍を発売してくれるサイトを見てみた。本の値段は自分でつけることができ、発売の手数料も無料で維持費もかからない。だから売れなくても損するわけでもなく、書き放題だ。これは素晴らしいと思った。
問題は内容の審査だ。「公序良俗に反しないものなら何でも良い」のだという。つまり、面白いかどうかを問わないのだ。なんと恐ろしい。これでは、電子書籍といっても、世にあふれる独り言ブログと同じであって、その中から面白い本を見つけることは至難の業だ。そんなサイトで本を買おうという人はいないだろう。したがって売れるわけがない。
難しいものである。
『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるの自伝「ねぼけ人生」を読んだ。
面白かったのが、美術学校へ行くために中卒(今の高卒)の学歴を得ようと園芸学校を受験したときの話だ。50人募集しているところに志願者が51人で、水木ただ一人が落ちたのだという。以下に転載する。
--------------------
学科試験は、我ながらよくできて、百点はまちがいないとほくそえんでいたほどだった。午後、面接試験があった。控室で待っている間、僕は、五十一人のこの受験生のうち、たった一人落ちるのは誰だろうと、じろじろ顔をながめまわしていた。口からよだれをたらしたのや、眼の光のよどんだのが二、三人いたので、必ず、こいつが不幸な一人になるのだと思ったが、まさか、自分がその一人になろうとは思ってもみなかった。
面接の口頭試問は、「この学校を卒業したら、どうするか」というもので、僕は、「美術学校へ行く」と答えた。
これがどうやら校長にはひっかかったらしい。校長は、じーっと書類をながめながら、
「君、園芸というと花作りなんかで楽しいと思っとるか知らんが、百姓仕事は、時には、くさったクソをなめなきゃならんこともあるんだよ」
と言う。校長は、おどかしたつもりだったろうが、僕は、かえってふるいたった。
「僕は、クソは平気です。赤ん坊の時には、手についたクソをなめたことがありますし、小学校では教室でよく屁もしました」
と答えた。その上、さらに勢いづいて、ここぞとばかり、
「猫のクソを菓子とまちがえて食べたこともあるんですよ」
と力説した。
すると、校長は、自分がクソの話を切り出したくせに、急に不機嫌そうな顔になった。
どうも、このあたりがまずかったようだ。
--------------------
他にも、戦争の理不尽さ(戦闘で命からがら部隊に帰ったら「みんなが死んだのにお前はなぜ逃げて来たんだ、お前も死んだらどうだ」「まもなく死に場所を与えてやるからその時はまっ先に死んでくれ」と中隊長に怒られた)、貸本時代の貧乏の凄まじさ(毎回、原稿料をもらう前の一週間はほとんど絶食状態で、餓死した知人もいた)、売れっ子になった後の過酷な労働ぶり(締め切りに追われて頭がおかしくなって原稿を催促する編集者をバットで殴りそうになった)など、ものすごい話を淡々とときにユーモアさえ交えて書いている。特に貧困時代の話は強烈で、マンガでどんなに苦しんでも、貧困にくらべればマシだという。所得申告があまりに少ないために税務署から怪しまれ「生きている以上は食べてるでしょう。これは食べていける所得じゃありませんが」と言われて「我々の生活がキサマらにわかるかい!」と怒鳴って追い返したこともあったという。
この人たちの経験にくらべれば、現代の普通の人の苦労など冗談にしかならないだろうと感じられる。
失礼ながら、マンガより面白かった。
よく子供に対するゲームの悪影響ということが論じられる。ゲーム脳などというのはただのエセ科学だから論外だが、それにしてもゲームの中で人をぶん殴ったり銃で撃ち殺したりするわけだから、我が子がやっているのを見ると不愉快に感じるし、心配になる。
しかしこれはマンガでも同じことだし、その前は映画、さらに小説が登場したときですら同様の理由で悪影響が論じられたが、特に人類の頭がおかしくなっているようにも思えないので、結局そんなに影響はないのだ。そもそも青少年の凶悪犯罪は戦前に比べて激減しているのだから、むしろこういうことは犯罪抑止力になっている可能性の方が高い。
そうは分っているが、ひどいゲームをしているのを見ると、心配になる。それでときどき子供たちに顔を近づけて「こんなゲームしてるとさ、ときどき本当に人、殺してみたくなるよねー?」「ならないよ」「でも、ときどきやってみたくなるんでしょ?」「なるわけないでしょ」などというやり取りをしているが、なかなかしぶとい奴らだ。
今後もしつこく続けようと思う。そのうち俺が殺られたりして。