お世話になった親戚の家では、叔父さんの昔話を聞かせていただいた。私は年配の方の昔話は、あまりにも愚劣な自慢話でないかぎり、聞くのが好きなのだ。
戦後間もない、昭和27年(1952年)、仕事でインドのカルカッタに1年半駐在をしたときの話が面白かった。当時叔父さんは二十歳ちょっとだったが、蛍光灯の電球にアルゴンガスを封入する技術を教えに行ったのだという。叔父さんにそんな技術があったとは知らなかったが、外国に行きたさにどこかの会社に2ヶ月ぐらい通って即席で覚えて、さも専門家のような顔をして行ったという。
カルカッタまでは船で、途中、香港だかシンガポールだかを経由して21日もかかった。当時のインドは冷房がなくて(今もかもしれないが)、とにかく夏は暑くて午前10時を過ぎると気温が42℃を越え、目を開けていられなくなるので、ホテルの部屋を閉め切って(開けると外気が入ってきてかえって暑いからだ)、4時くらいまで寝る毎日だった。もうひとつ困ったのは、カルカッタには歯医者がなかったこと。なぜかといえば当時のインド人には虫歯がなかったためだという。このあたりの真偽は私にはわからないがありそうな話ではある。
あるとき、バスに乗って外を眺めていたら近くの男が「俺の嫁をジロジロ見るな」といちゃもんをつけてきたという。「景色を見ていただけだ」と言っても男の剣幕は変わらなかったが、自分が日本人であることを言うと、男の態度は急変し、バスの中の乗客全員が握手を求めてきたという。その後、ホテルの部屋に帰ってからも他のインド人たちがホテルの前に大勢集まって呼び出され、みんなに触られたという。とにかく日本人だというだけで大変な人気だったという。仕事仲間のインド人に理由を聞くと「それは当然だ。日本人は長い間インドを植民地にしてきたイギリスの船に爆弾を落とした唯一のアジア人だからインドではみんな日本人を尊敬しているんだ」と言ったという。そんなような話は本で読んだこともあるが、その逆に憎まれていたという話もありよくわからなかったが、政治的偏向のない当事者から聞く話には格別の真実味がある。
カルカッタでは結婚披露宴が盛大に行われていくつも出席したが、一点不愉快なことがあったという。それは、お嫁さんが嫁ぐ家に持っていく金の腕輪などの装飾品について、夫から「足りない」と不満を言われて泣いているのを良く見たのだという。今でもインドでは男尊女卑が国際的に批判されることがあるが、当時はもっと激しかったのだろう。
ところで気の利く卓球ファンなら1952年のインドといえばボンベイ大会で優勝した佐藤博治のことを思い出すだろうが、さすがに卓球に興味のない叔父さんはそのことは知らなかった。