年別アーカイブ: 2013

物忘れの利点

私はもともと物忘れが激しい。いつもあらぬ妄想をしているためかもしれないが、それを差し引いても記憶力が良い方ではない(だから地理、歴史などの成績はめちゃくちゃだった)。

しかし、これは悪いことばかりではないのだ。忘れる能力が役に立つ場合もある。文章を推敲するときだ。なにしろ記憶力がないので、自分の書いた文章をいつも初めて読む読者のように読むことができるのだ。さすがに同じ行を何度も読むと覚えているのでどこがおかしいのかわからないが、そういうときはちょっと遠くから読むと自分でも何を書いたかすっかり忘れているので、たちどころに「くどい」「わかりにくい」などということがわかるのだ。他人の書いたものにケチをつけるつもりで読むのだからこれは楽である。

嫌なことも多分忘れているんだろうと思うが、なにしろ覚えていないので忘れたかどうかもわからない。

コーヒーの匂い

最近、セブンイレブンの挽きたてのコーヒーを飲んでいる。昨日、長男と行ったときにも買った。コーヒーを挽きはじめると良い匂いがし始めたので、コーヒーを飲まない長男に「ほら、いい匂いだと思わないか」と言うと「体に水分が足りない時の尿の匂いと同じだ。こういう匂いがしたら水をいっぱい飲むようにしてる」と言われた。

確かに似ている。香ばしいような。あれは何の成分なのだろうか。

デジタル腕時計

私は何を買うのでもさんざん迷ったあげく、満足するということがなく、やっぱり他のが良かったなどと思うことが多い。だからお気に入りのものはあんまりないのだが、断然気に入っているものがある。腕時計だ。

私は腕時計に関しては徹底的な実用主義である。日付と曜日が出ていて使いやすくて壊れなければそれでよい。それ以上の一切の価値を腕時計には期待しない。もともとが使う目的で作られたものに関しては同じ考えである。自動車は走ればよいと思っているし、ワルドナーやガシアンのテレフォンカードでもまずは全部使い切る。水谷の下敷きも使っている。ちゃんと使うことによってそのものの天寿をまっとうさせるというような意識があるのだ。使っていないのは荻村伊智朗の切手ぐらいである(だって使ったら手元になくなるもん)。

そういうことで腕時計も、使いやすくて壊れなければ一生買い替えるつもりはなかった。正確さと見やすさで考えると当然デジタル時計がよい。しかもデジタル時計は大抵は安いのだからこれほど結構なことはない。そういう考えでだいたい3,000円以内の腕時計を買い続けたきたのだが、まったくどいつもこいつも使いにくい。側面の操作ボタンがやけに奥まっていて押すのに爪の先を使わないといけないのやら、やたらと固くて押したら戻らないのやら、逆に過敏でちょっと油断をするとストップウオッチが目まぐるしく動いていたりするのやらだ。アメリカで39ドルも出して買った電波時計など、いきなり日付が2005年1月1日になる病気が頻発したりでそのたびに頭に来ていたものだ。バンドが壊れるのもあったし、デザイン重視のため盤面がやたらと暗くて時間が見難いものもあった。100メートル防水などという不要な機能がついているくせになぜ普通に使いやすいものがないのだろうか。

結果、腕時計など趣味ではないのに5個も6個も買い替えるザマであった。そこで考えた。安いのを買うからだめなのではないか(今ごろか?)。デジタル時計でも最高級の物ならちゃんと使いやすくて丈夫なのではないか、そういう物があるのではないか。そういうつもりで探してみると、ちゃんとセイコーから25,000円もするデジタルの腕時計が出ているではないか。それで思い切って買ったのだが、これがなんとも素晴らしい。ボタンは押しやすく誤動作もしない。バンドも丈夫だ。日付と曜日も出ているし、海外の時間を同時に表示するモードは年に一度の世界選手権の取材の時に嬉しい。デザインもこれでもかというほど自己主張がない。一見プラスチック製に見えて実は極めて頑丈な金属製だ。まったく素晴らしい腕時計があったものだ。

この先、腕時計を買うことはないだろう。

学校のトイレでの大便

小中学校では、学校のトイレで大便をするというのはなんとも恥ずかしいことであった。誰もが学校ではできるだけ大便を我慢し、どうしても我慢できない者だけがトイレで大便をしてみんなの笑い者になるという構図であった。

これが高校に入って一変した。1年生は3年生のトイレを掃除する役目だったのだが、我々が掃除をしに行くと、老けた面の3年生がやってきて堂々とトイレに入り「糞して食べる弁当は旨い」などと言いながらブリブリと音を立ててクソをしたのだ。これを見た私は「学校のトイレで大便をすることを恥ずかしいと感じていた自分たちはなんと幼稚だったのか、これこそが大人なのだ」と目が開かれる思いがしたのであった。

それから33年が経った先日、久しぶりに偉い男の話を聞いた。次男の高校の友人は、なんと、トイレの個室の扉を開けたまましゃがみ込み「見ないで見ないで」と言いながら糞をするのだという。それは凄い。ギャグのセンスも良い。まいった。「たいした友達がいるじゃないか」と次男を誉めてやった。ただし、その友人の精神状態がまともだったらの話だが。

これでもか!

常々、イライラさせられてきたことがある。靴紐が日に何度もほどけるのだ。どれほど強固に力いっぱい結んでも、気がつくとほどけているのだ。

それで、今日こそはとほどける紐の息の根を止めてやった。黒い裁縫糸で結び目を縫ってやったのだ。これで二度とほどけることはあるまい。履くときも緩める必要はないし洗うわけでもないからこれでいいのだ。

それにしてもなんであんなにほどけやすいのだろう。紐の材質がちゃんと考えられていないのに違いない。

ポール・マッカートニー

11月に念願のポール・マッカートニーのライブを見に行くことになった。以前東京に来たときには会社を休んで交通費を使って行くまでもないなと思って行かなかったが、今回は行く。2008年に散々迷ったあげくに広州の世界選手権に行って以来、迷ったら行くことにして失敗はひとつもないので、とにかく迷ったら行くことに決めているのだ。人生は短い。

次男に「元ビートルズのポール・マッカートニーを見に行く」と言ったら「ポール・マッカートニーって白いズボン履いて胸毛が汚い人?」と言う。そりゃクイーンのフレディ・マーキュリーだ。次男は何度教えてもなぜかフレディ・マーキュリーを元ビートルズだと思っているのだ。「ビートルズのもうひとりの生き残りは100年前のギターを弾いてる人だよね」それはブライアン・メイ。こっちもクイーンだ。しかも100年前のギターじゃなくて100年以上前の暖炉の木を使って作ったギターを弾いているのだ。

私の中途半端な教育の成果が実を結んでいるようである。

それにしてもボルって、ポールに似てない?

また冬ソナ

先日、ある友人と電話で話していたら、何かのきっかけで韓国ドラマの話になり、急に冬のソナタを思い出し、アマゾンで見たらなんと撮影風景を延々と記録したDVDが売っていたので2セットも買ってしまった。

かなり前に出ていたので、ヤフオクで定価の半額以下で買うことができた。我ながらあきれたファンである。

映画『世界一美しい本を作る男』

DVD『アウト・オブ・コントロール』の監督であるヨルグ・アドルフの最新作「世界一美しい本を作る男」が日本でも公開されている。

その公式ウェブサイトで、監督のヨルグが紹介されているのだが(http://steidl-movie.com/production.html)経歴のところに『アウト・オブ・コントロール(卓球王国)』と書いてなーい!怪しからん!そんなことだと『世界一美しい本を作る男』の宣伝しないよ!

もう書いちゃってるけどな。

卓球小説

来月の逆も~ションの原稿として、卓球小説を書いている。あまりにもネタがないので、とうとうフィクションに手を染めようというハラだ。フィクションならどうせウソなのでネタのあるなしに関係なくいくらでも書けるのではないかと思っているのだが、甘いだろうか。

小説といっても、普通のストーリーを追う小説だとどうにもならないことはわかっているので、あくまで小説調の体裁を整えた卓球のパロディのようなものだ。以前書いたことのある妄想の世界選手権観戦記などと同系統のものだ。

とはいえ、こちらもアイディアが尽きて「ノンフィクションの方が事実を書くだけでよいので楽だ」と思うことになりそうだ。

卓球理論

先日今野編集長と電話をしているときに、常々考えていたフットワーク練習の間違いについて力説をした。あまりにも自信があったので、卓球王国の技術ページで取り上げて欲しいと言ったところ、次のようなコメントを頂いた。

「条太さんは友だちだから話聞いてあげてるけど、それって、卓球王国にときどき送られてくる自分の卓球理論を載せてくれっていう手紙と同じですよ。そういう人たちは共通して、日本の卓球界はダメだと怒りに燃えてるわけですよ。それでいて書いてることは、ええっ?そこっ?っていうようなことなわけですよ。もし条太さんが連載してもらってる人じゃなかったら、完全にそういう人たちと区別がつきませんね」

とのことだ。失礼な話だ。つい2年前、私なりの視点で日本の卓球を斬るような技術特集をやってみないかと持ちかけてきたことをすっかり忘れているようだ(私も今思い出した)。どうやら、その後にいろいろ提案した打倒中国の秘策などがあまりにもハズしていたために、評価が急激に下落したようである。

ううむ。ショック!

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