年別アーカイブ: 2013

ストラディヴァリウス

先ほど、NHKスペシャルの宣伝を見た。1台がときに何億円もするストラディヴァリウスというバイオリンの秘密を探るという。

番組ではストラディバリウスと他のバイオリンの音を紹介していた。もちろん私にはその違いはまったくわからなかったが、なんと、専門家が聞き比べても違いはほとんどわからないのだという。二つのバイオリンでブラインドテストをすると、専門家でもその正答率は高い人で50%ぐらいなのだという。

これはすごい。二つにひとつの実験で正答率が50%ということは、まったく、少しもわからないということだ。それに、高い人で50%というのも不可解である。これは専門家の正答率が低い方に偏っているということであり、偶然以上の確率で、ストラディバリウスではない方のバイオリンをストラディバリウスだと誤認するということを示している。

もうこれは番組成立の根幹にかかわる大問題だと思うのだが、番組では平然と「バイオリンの出す音を科学的に調べてその秘密を探る」などと続けるのだ。違いがわかっても、それに何の意味もないという結論がとっくに出ているのに、測定をするのだ。しかも、普通はバイオリンの音は直接耳に入る音と、壁などに反射してから耳に入る音が混じって聞こえるが、それだと違いがわかりにくいので、反射音がない特殊な部屋で、マイクを8カ所に設置して、その音の出方を徹底分析するという。これは、ラバーを貼った状態ではラケットの違いがまったくわからないので、ラバーを剥がしてラケットの表面8カ所に振動計をつけて打球をして違いを測定するようなものだろう。

この実験で番組としていったいどんな結論を出すのか、本編を見るのが今から楽しみでならない。

若さのメリット

ホンダ創業者である本田宗一郎は、問題に直面して落ち込んでいる若者に言ったという。「お前、何歳だ?27歳?そうか。俺はもう50だ。もし27歳に戻れるなら俺は500億払うぞ」と勇気づけたという。

こういう話には私はある一定の感動は覚える。と同時に「そんなこと言ってもなあ」という気持ちにもなる。私も20代のころ、そういう類のことを年配の人に言われたり読んだりしたものだが、何か素直には受け取れなかった。若くてよいことばかりではない。恥ずかしながら私は若い頃は死が恐ろしく、十分に人生を経験する前に死ぬことの無念さが気になっていた。しかも若ければ病気になったときの進行も早い。60、70になれば十分生きた気がするだろうし病気だって進行は遅いだろう。早くその年まで生きて安心したいと思っていた。

加えて「若さは宝だ」と押し付けられても、現実に金はないし能力もない。自分には何かあるはずだ、本気出していないだけだ、という思いはあってもあんまり何もできないし本気も出せない。出す対象も思いつかない。私の場合なら、試しに絵や漫画や文章を書いてみても我ながら箸にも棒にもかからない。

実際、50を目前にした今の方がやりたいことは何でもできる状況にある。金はあるしやりたいこともやれることも見えてきたし平均年齢の半分は生きたのでこれから何が起こってもそう不幸だと思わなくて済む。若くて有利なのは体力ぐらいのものだが、富士山に走って登るんでもあるまいし、体力が必要なことでやりたいことなどない。今更また20代に戻されて幸運な偶然に出会わず、卓球王国での連載もできず、病死などしたらたまったものではない。500億払うから(ないけど)このままにしておいてほしいと思う。

そういうわけなので「若さは宝だ」などと言われてピンとこなかったり引け目に感じたりしている若者たちがいたら、気にする必要はない。ほとんどの若者は何もできないし人生つまらないなあ、他の人だけ楽しそうだし若いのにやるべきことをやってない気がするなあと思っている。大丈夫。それが普通だ。とにかく病気と交通事故に気をつけて死なないようにしてほしい。

そして50になれば、50年の経験と思い出という宝が舞い込んでくるのだ(年金か?)。それでは90歳になればもっと良いかと言われれば・・・微妙だ。経験していないのでわからない。

宮澤賢治の言葉

何かと話題の多い「あまちゃん」に、宮澤賢治の曲が使われていることをご存じだろうか。「星めぐりの歌」という歌のメロディーが随所に出てくるのだ。音楽家でもない岩手出身の宮澤賢治のマイナーな曲をあえて使うあたりに、音楽を担当した人の遊び心が感じられる。「わかってるなあ」という感じがするわけである。

宮澤賢治といえば先日、1996年に放送されたNHKの宮澤賢治特集の再放送を見た。その中でひとつ感動的な話があった。畠山モトさんというご老人がいる。彼女は賢治にたった一度だけ会ったことがあるのだが、そのときに賢治にかけられた言葉が忘れられないという。賢治は当時勤めていた砕石工場の同僚の家を訪ねてきたのだが、そのときにモトさんがお茶を出したのだという。賢治が砕石工場に勤めていたのは昭和6年(1931年)で、この放送の時点で実に65年も前の話だ。有名人だったならともかく、まったく無名だった生前の賢治にたった一度だけお茶を出したときにかけられた言葉が忘れられないというのだ。

モトさんが父親に言われて賢治にお茶を出すと、父親はいつも他の客にするのと同じように「この子は母親がなくて、8歳ぐらいの小さなころから飯炊きから何でもこなしてよくやってくれているんです」と自慢話を始めたという。モトさんはその話をされるのが嫌で「また始まった」と思ったという。それを聞いた賢治はひとことだけ

「貧しさの影が全然なくて、優しい娘さんに育ちましたね」

と言ったのだそうだ。貧しい人にこんな言葉をかける人などいない時代であったから、モトさんにとってこの言葉は宝物であり生涯胸から離れることはないという。賢治の台詞を語るときのモトさんのこみ上げるものがあって言葉に詰まる様子が、彼女の思いが伝わってくる感動的な場面だった。

やはり賢治の言葉は並ではなかったのだ。

もっとも私も悪い意味でなら相手が一生忘れられない言葉を発したことがある。友人の奥さんが私の子供を見て「大きくなりましたね」と言ったときに私は「大きくなるのは当たり前だ」と言ったらしいのだ(覚えてないが)。奥さんはそれが衝撃的で忘れられないという。なんとも申し訳ない。

読者からのハガキ

10月号の卓球王国に「最近の私の記事が面白くないと編集部で評判らしい」と書いたためか、読者の方々からこれまでにない数の激励のハガキをいただいた。こういうハガキはいつもは2、3通なのだがいきないり7通も来て、連載を始めて以来の最高記録だ。

見ず知らずの方々からLOVEとまで書かれて(男性だが)執筆者冥利に尽きる。中には「逆モーションの連載が終了したら卓球王国を買うのを止める勢いです」と大変な鼻息のハガキもあったりして、ありがたい限りである。

「面白くないと言われている」というのも、まあひとつのネタとして書いたわけで、それほど強く言われているわけではないのだ。ある程度は言われているが・・・。

ちなにみ、いつもいただくハガキで面白いのは、結構な確率で「隠れファンです」とか「恥ずかしながらファンです」とかいうコメントがあることだ。隠れるかやっぱり。

テレビのやらせ

「ほこたて」という番組がやらせをやったということで問題視され、どうやら番組自体が打ち切りになるようだ。好きな番組だっただけに残念である。

テレビでは、明らかなフィクションのドラマのときに限って「実際の団体とは関係ありません」などと書くくせに、フィクションかどうかわからないような微妙な番組の時には決してそうは書かない。マジックをしているのにマジックではないと言ってみたり超能力だと言ってみたり、果ては種はないけど能力もないデタラメな透視とやらで行方不明者を探してみたりだ。こういう番組の時こそ「これはフィクションです」とテロップを出すべきなのに、これらは、その詐欺的な部分でしか視聴者の興味を引き付けられないので、そのようなことは絶対にできないのだ。

「ほこたて」の場合は、仮に演出があったとしても、登場する人や機械の技術やら能力は凄いものなのだろうから、それでもある程度お見応えはあるはずなのだ。だから番組の最後にでも「必ずしも真剣勝負ではありません」とかなんとか出しておけば少なくとも建前上は、ここまで糾弾されることはなかっただろう。まあ、無理だろうなそんなの。

スピリチュアル・カウンセラー

今朝、通勤途中に車で聴いたラジオで、スピリチュアル依存症について語られていた。一日中、風水らや占いをもとに行動を決めていて何も自分では決められない状態の人たちのことだ。気の毒なことだ。ちゃんと学校でそういうバカバカしいものをきっちりと否定しておかないから可愛そうな人たちが出てくるのだ。

続いてラジオではスピリチュアル・カウンセラーという職業を紹介した。そういう依存症の人たちを救うためのカウンセラーがいるのかと思って聴いていると、なんとオカルトを根拠にカウンセリング行う人たちのことだった。ひーっ!逆か!

こうなったらアレだな。卓球王国でもラバー占いとかラケット占いやったらどうだろうね。「バイオリンにテナジー64を貼っているあなたは他人に合わせてしまいがちだが芯の強い努力型」「ピストルグリップに粘着性とアンチを貼っているあなたはストーカーと紳士の二重人格を持った殺人鬼タイプ」なんてね(いるかそんなヤツ)。あるいは逆に、血液型と誕生日をもとに最適の用具を薦めるとか。担当はもちろん、用具のことなら文字通り裏も表も必要以上に知り尽くした祐だな。

どうだ編集部!

物忘れの利点

私はもともと物忘れが激しい。いつもあらぬ妄想をしているためかもしれないが、それを差し引いても記憶力が良い方ではない(だから地理、歴史などの成績はめちゃくちゃだった)。

しかし、これは悪いことばかりではないのだ。忘れる能力が役に立つ場合もある。文章を推敲するときだ。なにしろ記憶力がないので、自分の書いた文章をいつも初めて読む読者のように読むことができるのだ。さすがに同じ行を何度も読むと覚えているのでどこがおかしいのかわからないが、そういうときはちょっと遠くから読むと自分でも何を書いたかすっかり忘れているので、たちどころに「くどい」「わかりにくい」などということがわかるのだ。他人の書いたものにケチをつけるつもりで読むのだからこれは楽である。

嫌なことも多分忘れているんだろうと思うが、なにしろ覚えていないので忘れたかどうかもわからない。

コーヒーの匂い

最近、セブンイレブンの挽きたてのコーヒーを飲んでいる。昨日、長男と行ったときにも買った。コーヒーを挽きはじめると良い匂いがし始めたので、コーヒーを飲まない長男に「ほら、いい匂いだと思わないか」と言うと「体に水分が足りない時の尿の匂いと同じだ。こういう匂いがしたら水をいっぱい飲むようにしてる」と言われた。

確かに似ている。香ばしいような。あれは何の成分なのだろうか。

デジタル腕時計

私は何を買うのでもさんざん迷ったあげく、満足するということがなく、やっぱり他のが良かったなどと思うことが多い。だからお気に入りのものはあんまりないのだが、断然気に入っているものがある。腕時計だ。

私は腕時計に関しては徹底的な実用主義である。日付と曜日が出ていて使いやすくて壊れなければそれでよい。それ以上の一切の価値を腕時計には期待しない。もともとが使う目的で作られたものに関しては同じ考えである。自動車は走ればよいと思っているし、ワルドナーやガシアンのテレフォンカードでもまずは全部使い切る。水谷の下敷きも使っている。ちゃんと使うことによってそのものの天寿をまっとうさせるというような意識があるのだ。使っていないのは荻村伊智朗の切手ぐらいである(だって使ったら手元になくなるもん)。

そういうことで腕時計も、使いやすくて壊れなければ一生買い替えるつもりはなかった。正確さと見やすさで考えると当然デジタル時計がよい。しかもデジタル時計は大抵は安いのだからこれほど結構なことはない。そういう考えでだいたい3,000円以内の腕時計を買い続けたきたのだが、まったくどいつもこいつも使いにくい。側面の操作ボタンがやけに奥まっていて押すのに爪の先を使わないといけないのやら、やたらと固くて押したら戻らないのやら、逆に過敏でちょっと油断をするとストップウオッチが目まぐるしく動いていたりするのやらだ。アメリカで39ドルも出して買った電波時計など、いきなり日付が2005年1月1日になる病気が頻発したりでそのたびに頭に来ていたものだ。バンドが壊れるのもあったし、デザイン重視のため盤面がやたらと暗くて時間が見難いものもあった。100メートル防水などという不要な機能がついているくせになぜ普通に使いやすいものがないのだろうか。

結果、腕時計など趣味ではないのに5個も6個も買い替えるザマであった。そこで考えた。安いのを買うからだめなのではないか(今ごろか?)。デジタル時計でも最高級の物ならちゃんと使いやすくて丈夫なのではないか、そういう物があるのではないか。そういうつもりで探してみると、ちゃんとセイコーから25,000円もするデジタルの腕時計が出ているではないか。それで思い切って買ったのだが、これがなんとも素晴らしい。ボタンは押しやすく誤動作もしない。バンドも丈夫だ。日付と曜日も出ているし、海外の時間を同時に表示するモードは年に一度の世界選手権の取材の時に嬉しい。デザインもこれでもかというほど自己主張がない。一見プラスチック製に見えて実は極めて頑丈な金属製だ。まったく素晴らしい腕時計があったものだ。

この先、腕時計を買うことはないだろう。

学校のトイレでの大便

小中学校では、学校のトイレで大便をするというのはなんとも恥ずかしいことであった。誰もが学校ではできるだけ大便を我慢し、どうしても我慢できない者だけがトイレで大便をしてみんなの笑い者になるという構図であった。

これが高校に入って一変した。1年生は3年生のトイレを掃除する役目だったのだが、我々が掃除をしに行くと、老けた面の3年生がやってきて堂々とトイレに入り「糞して食べる弁当は旨い」などと言いながらブリブリと音を立ててクソをしたのだ。これを見た私は「学校のトイレで大便をすることを恥ずかしいと感じていた自分たちはなんと幼稚だったのか、これこそが大人なのだ」と目が開かれる思いがしたのであった。

それから33年が経った先日、久しぶりに偉い男の話を聞いた。次男の高校の友人は、なんと、トイレの個室の扉を開けたまましゃがみ込み「見ないで見ないで」と言いながら糞をするのだという。それは凄い。ギャグのセンスも良い。まいった。「たいした友達がいるじゃないか」と次男を誉めてやった。ただし、その友人の精神状態がまともだったらの話だが。

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