月別アーカイブ: 7月 2014

満員電車での善行

昨夜、新宿から厚木に向かう満員電車の中で良いことをした。足が悪く杖をついたオヤジが、酔っているのか素面なのかわからないが立ったままブツブツと「みんな自分のことしか考えない」「人を助けてあげようとか思わないのか」なんて怒ったような独り言を言っていた。そしてついに目の前の自分と同じくらいの身長の若い女性に標的を定め、顔を近づけて「荷物を前に抱えたら他人にあたって迷惑だと思いませんか」などと絡み始めた。私は珍しい生物を見つけたと顔がほころぶのを抑えきれないほどだったが、若い女性にとっては苦痛だろうと思い、無理やり二人の間に割り込んで、そのオヤジに背を向けて立ってやると静かになった。次の駅でそのオヤジが降りると、女性から礼を言われると同時に、近くの若者から「オジさんナイスでした」と親指を立てられた。

「俺、オジさんかよ」と思ったが仕方があるまい。それどころか、1ヶ月ほど前には、やっと言葉を話し始めた感じの幼児が私を指して「じいじ、じいじ」と言い、その母親と思われる女性が「こらっ、違うの、じいじじゃないのっ」と叱りながら赤面で私に平謝りであった。それにくらべれば「オジさん」というのは実は気をつかっていたのかもしれん。

今朝方、昨夜のオヤジがなぜか厚木の交番の警察官になっている夢を見た。いかにも夢らしいどうでも良い事象だ。

オチのない音楽

この週末、何度か町で夏祭りに出くわした。町内の人たちが仮装をして神輿を担ぎ、その後ろを女性や子供が笛や太鼓を叩いて歩いていた。これまでに何度も見てきた光景だが、あらためて意識してみると、面白いことに気が付いた。それは笛の旋律だ。西洋の音楽なら、導入部があって途中で繰り返しの盛り上がりがあり、最後にいかにも曲の終わりという感じの旋律に落ち着くというストーリーがあるのだが、この祭りの笛の旋律は、なんだか常にランダム、デタラメという感じでしかもストーリーもオチもない。だからとても落ち着かない。しかし、これは西洋音楽の影響を受ける前の日本人本来の音楽が、庶民によって伝承されて現代まで生き残っているのだろうと思い、音楽ではなくてそのことに少し感動を覚えた。

もし私に音楽理論の知識があれば、この笛のコード進行はどうだとか楽しい話ができるのだろうが、それができないのが残念だ。意外と「祭りの笛も明治維新後に西洋から入ってきたものだった」などというのが真相だとがっかりするのだが、まあそんなこともないだろう。西洋にはあんなヒョロヒョロとした根無し草のような旋律はないはずだ。それにしても落ち着かない。楽しいとも悲しいともなんの感情も喚起しないピーピーピーという笛の音だが、昔の人たちは何か感じたのだろうかと思うと不思議な気持ちになる。

日経新聞

今朝の日経新聞1面に『ようこそ卓球地獄へ』の宣伝がデカデカと載っている。

日経新聞を読むビジネスマンのいったいどれだけの人の目にとまるだろうか。目にとまったとして興味をもってもらえるだろうか。疑問、興味は尽きない。卓球王国、攻めまくってるなあ。

両隣の本とのタイトルのギャップが笑いを誘う。

本屋を調査

そろそろ『ようこそ卓球地獄へ』が本屋に並ぶ頃なので、仙台駅前の大きな本屋を見てきた。

丸善に行ってみると、なんと面陳(表紙が見えるように立てて陳列)で4冊が重ねてあった。その他に棚差しが1冊あったので、合計5冊が置いてあることになる。卓球王国からは事前に「仙台の丸善から5冊注文があった」と聞いていたので、これはつまりまだ1冊も売れていないということだ。

次に、ジュンク堂に行ってみると、1冊だけ棚差しで置いてあるだけだった。けしからんなあジュンク堂。さっそく面陳してある他の本の上に移動してやった。

さらに、ジュンク堂の別店舗に行ってみると、面陳で3冊が重ねてあり、他に棚差しも1冊あった。なんだジュンク堂、いいところあるじゃないか。

それにしても、これだけ本屋で堂々と置かれるとは思わなかった。少なくとも本屋はかなり押してくれているということになる。これではもはや「目立たないから売れなかった」という言い訳はできなくなったというわけだ。

3時間後に再度丸善に行ってみると、まだ5冊置いてあった。うむむ。頑張るのだぞ我が子たちよ。

作業者の話

職場で面白いことがあった。

ある建物の天井の蛍光灯が切れたのだが、そこは大きな機械が置いてある部屋なので天井が高く、とても素人ではランプの交換ができない。そこで、担当者が社外の専門業者に電話で連絡をして、交換に来てもらうことになった。

ところがその予定日は大雨が予想されていたため、その業者は、前の晩から作業者を建物に泊めさせて欲しいと言ったという。当然こちらの担当者は「そういう例はないし、そんなことはできません」と答えた。業者はなおも食い下がり、ちゃんと囲いを作って安全性も確保するのでぜひ泊めさせて欲しいと言う。「いえ、とにかくそんなことは絶対に認められませんから朝来てください」とこちらも譲らない。「そんなところに泊めたら作業者が可哀想でしょう」「いえ、可哀想じゃありませんよ」「あなた、どうしてそんなことがわかるんですか。本人の身にもなってください」

などという多少険悪なやりとりがあった後、判明したのは、業者が言っているのは「作業者を泊めさせて欲しい」ということではなく「作業車を停めさせて欲しい」ということなのであった。

久しぶりに大笑いした。そりゃ可哀想じゃないよなあ。こちらも先方もお互いに「何を頭のオカしいこと言っているんだ」と思っていたのだろう。そこが可笑しい。

Amazonに登場!

拙著『ようこそ卓球地獄へ』がアマゾンに登場したようだ。まだ画像はなく、予約注文を受け付けつける状態だ。キタキタキターっという感じだ。自分で大絶賛のレビューを書いてやろうかなっと。

こんなこと書くとまた今野編集長から「だいぶ浮かれてるね」って言われるから嫌なんだが、宣伝のためには仕方がない。ふふふ(浮かれてる)。

クールビズ

私の職場では何年か前から夏場の軽装が推奨されている。軽装にすることによってエアコンの設定温度を上げて電力使用量を減らそうという活動だ。

それで、職場の壁に貼ってあったポスターがイカしている。さすがに虫取り少年の格好ではダメらしいが、アロハシャツは大歓迎のようだ。

時代は変わるものだ。

恐ろしやモダンバレエ

職場の同僚がモダンバレエを見てきたという。なんでも知人が出るというので誘われて見たらしい。私はモダンバレエというものは見たことがなく、イメージがわかなかったのだが、なんとなく体操に対する新体操みたいなものだろうぐらいに考えていた。

実際にはかなり違っていて、まず、ストーリーがあるものだという。しかし台詞はなく、そのストーリーをすべて踊りだけで表現するらしい。これはかなり難しいのではないだろうか。同僚が見た公演は、織田信長にまつわる故事を再現したものらしく、合戦の場面などもあったはずだが、そこでも刀もチャンバラもいっさいないのだそうだ。服装さえも一人が着物みたいなもので、その他の人たちはどうみても侍の服装ではなかったそうだ。

ちなにみ知人の役は「風」だったという。・・・恐ろしやモダンバレエ。それほど極端な芸術であれば、一度は見ておかなくてはなるまい。