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弟子、師匠、用具マニア

久しぶりの卓球は、以下のような面々であった。2番弟子の田村、3番弟子の小室、用具マニア杉浦君と岩井さんという面々だ。本人たちの名誉のため、いずれも仮名とし、なおかつどの顔が誰なのかわからないように配慮してある。

とくに2番弟子の田村は自分が弟子だという自覚に乏しく、「ブログに載せるのなら師匠じゃなきゃやだ」というので、そういうことにしておく。

岩井さんは、実力的にも用具的にも杉浦くんと匹敵する用具マニアであり、この10年で20本のラケットを買っている人だ。はっきりいって練習するヒマがないと思うのだがどうだろう。この日も、タマスから発売された『閃光MAX』という、ヒノキ単板のシェーク(!)を持ってきて話題をさらっていた。1ゲームごとに交代で試合をしたのだが、杉浦くんと岩井さんの試合になると、用具のウンチクに話がはずみ、試合が滞る一幕があった。さすが用具マニアである。

私はといえば、四十肩がひどく、田村にまで負け越すありさまで、「田村が師匠」というのもあながち冗談ともいえない状況であった。

卓球中毒

久しぶりに仙台で卓球仲間と練習をした。3番弟子の小室(仮名)が、なぜか色紙をもってきて私にタマキチくんの画を描いて欲しいという。色紙にはすでに平野と愛ちゃんのサインがしてある。それをタマキチくんのラケットの部分にしようというのだ。自分の部屋に飾っておくのだという。よい心がけだ。

小室は卓球中毒なので、何の話をするときでも、常に無意識に素振りを繰り返しながら話すので大変落ち着かない。右の写真も、卓球と関係のない世間話をしている様子なのだが、バックショートやら裏面ドライブやらを繰り返していた。

また、人を疑うことを知らないお人よしなのだが、グルー時代には、灯油やガソリンを塗って試合に出るという暗部をもあわせもつ「卓球中毒」である。

偉関絹子さん

卓球王国の練習会のとき、偉関さんから、私の連載『奇天烈逆も~ション』を中国の卓球雑誌「卓球世界」に翻訳して載せたいとの申し出があった。

嬉しい話だ。まずはその翻訳版を編集長に読んでもらって、可否を判断してもらうことになる。偉関さんの翻訳にかかっているわけだ!がんばれ偉関さん。

美濃加茂市

今日は仕事で岐阜県の美濃加茂市に行ってきた。
降りた「美濃河合」という駅はなんと無人駅。線路のすぐ近くは畑だ。

昼時だったので、見事にさびれた食堂に入った。こういうのが私は大好きだ。頼んだ天婦羅定食は旨かった。
発見その? 味噌汁は赤味噌だった。この辺りは赤味噌が普通だとのこと。
発見その? 天婦羅のつゆがとてもしょっぱかった。佐賀で寿司の醤油がとても甘かったのと同じで、こういう目立たないところが地域によって違うのは面白い。

美濃加茂市での仕事を無事に終え、長野の安曇野市に移動し、今そこのホテルで書いている。明日の夜には、やっと仙台に帰ることができる。1年4ヶ月ぶりの仙台だ。

負けまくった

編集部で村ちゃんと会ったあたりからどうにも調子が狂った。勝てるとふんでいた高橋さん、今野さんに負け、渡辺トモ、柳沢太朗くんにもボコられた。元全日本ダブルスチャンピオンの偉関絹子さんとは試合にならず。もちろん偉関さんは特に何もしていない。強い人との試合によくある地獄の風景だ(私に負けたことのある人の名誉のために言っておくと、昨日は時差ボケと四十肩、ラージと硬式の混在でメチャクチャだった。しかし柳沢さんとトモさんにはどっちみち勝てなかったかもしれない)。

村ちゃんは、久保くんを相手に彼一流の怪しい卓球理論を解説していた。まったくこの人が出てくると、そのオーラですべてがかき消されてしまう。大変な人だ。

編集部に来た『奇天烈逆も~ション』へのファンレターを見せてもらった。嬉しいのでここに紹介しておく。

昨日の出来事をネタに、連載の一回分をでっち上げようと考えている。

卓球界の重鎮

成田空港で藤井基男さんと少し遅い昼食を食べた。藤井さんは、かの荻村伊智朗と親友であり、現役時代は世界最高レベルのカットマンであり、混合ダブルスで世界三位になっている。引退後は卓球レポートの編集長、サウジアラビアのナショナルチームのコーチ、日本卓球協会役員などをへて、現在は卓球愛好家としてニッタクニュースで連載をしている。卓球史研究家としても名著を何冊も書いており、まさに全身卓球家である。

私が卓球王国で文章を書くようになったのはまったくこの人のおかげだ。この人が推薦してくれなかったら、原稿を送りつけたところで難しかっただろうし、私も力が入らず、それなりのものは書けなかったように思う。

藤井さんは成田に住んでいるので、この機会にと会っていただいた。「荻村伊智朗は機嫌が悪いと、選手がパンの耳を残しただけで説教をしていた」とか「日本の卓球台がルールで暗緑色と定められていたのは、国際ルールのDark Colorの濃いという意味のDarkを暗いと誤訳した結果であることが1989年まで分からなかった」などという話をしていると、あまりに楽しくて、自分の父親より年上であることを忘れてしまう。

これほど歳が離れていてもまったく違和感なく、まるで友達のように会話ができるのは、藤井さんと、元タマスの久保彰太郎さんだけだ。いつまでも元気でいてもらいたい。

卓球王国編集部との勝負

いよいよ明朝、成田に向かう。

広州に行くときに成田に寄ったのを除けば、初の帰国だ。すぐに仙台には向かわず、まずは卓球王国編集部の連中と卓球の勝負だ。今後の力関係を左右する重大な勝負である。

ただし、1ヶ月ほど前から右肩が四十肩で後に引くことができず、肩甲骨打法が不可能であることをあらかじめ断っておく。もっとも、トモさんも「最近はラージばっかりで」などと言い訳をしているので、この点でもいい勝負だ。こちらはそれに時差ボケも入るが・・・。

四十肩のきっかけは、椅子に座っていて伸びをしようと両腕を後に引いたことだった。いつもやっていることなのだが、あるとき右肩がピキッとなって、それ以来、肩の関節をある角度にするととても痛いのだ。

会社の医務室に行くと、典型的な四十肩の症状だと言われた。ジャケットに袖を通すときとか、髪をかきあげる動作がきっかけとなって痛くなるのが典型的な症状らしい。こちらではフローズン・ショルダーと言って、病名に年齢はついていないのだが、歳を聞かれて44歳だと言うと、「そういう歳だね」と言われた。そういう歳なのだ。

ユーラシア・カフェ

会社の近くに、また日本食レストランがオープンした。もちろん日本人の店員はいない。

店の名前をユーラシア・カフェというのだが、同僚のマイクに説明しても、店の名前が通じない。なんどか説明すると「ああ、ユーロエイジア・カフェか」と言われた。その瞬間、ピピッときた。

ユーラシアとはユーロ+アジアか!

我々は小学校か中学校で、ユーラシア大陸を習ったが、ユーラシアとは、ヨーロッパのユーロと、アジアを足したもの、つまり、ヨーロッパ・アジア大陸だったのだ!電子辞書で調べると、確かにEurasia[Europe+Asia]と書いてあった。こういうことを40過ぎてから知るのは、新鮮だ。

ちなみに、マイクは「ユーラシア大陸」という単語そのものを知らなかった。

家で卓球

日本人の出張者が2人来たので、宮根さんとともに夕食の後に我が家に来てもらい、4人で卓球をした。ちょっと練習した後に試合をしたのだが、ガレージが暑かったこともあり、みんな汗だくになった。

こういうときのために、昨年12月にiru iru(http://www.iruiru.com/)を通して買った2本のペンラケット(こういう場合にはペンの方が人気があるのだ)をやっと使うことができたわけだ。6ヶ月間も使う機会はなかったのだ。ちなみに、アメリカでは卓球用品はとても高くて、日本製品も日本の1.5倍くらいの値段で売っているので、日本の安い店から航空便で取り寄せたほうが安い(もちろん他国製品も同じくらいに高い)。また、ユニフォームはTシャツでも何でもよいので、それにはほとんどお金はかからない。これからアメリカに来て卓球をする人は、ラケットとラバーだけ日本から買って来たほうがよい。

体操をやっていたという宮根さんは「球技は苦手」と言っていたので少し心配していたのだが、3人とも上手で、ラケットにボールが当たらないというような人はいなかった。私との試合はハンディとして幅3cmぐらいの物差しを使わされたが、空振りが多くてさすがに勝てなかった。ミニラケットを使って勝って面目を保った。写真右端の人は北島さんといって、スキーの大回転でオリンピック候補だったという「変わり者」で、この日はなんと小学校のときに先生に教わったという、鷲づかみによる左右の横回転サービスを操って相手を翻弄していた。ただし、レシーブされると持ち替えが間に合わずミスするというご愛嬌だった。

オイル・サーディン

昨日から家族が日本に帰っているので、久しぶりにひとりで食事をした。

私はふとしたことから他人に影響を受けて、急に好きになった食べ物がたくさんある。以前から知っていて何とも思っていなかったのに、他人が食べているのを見て、急に好きになるのだ。

もっとも古い記憶では小学生とのとき「特ダネ登場」とかいう番組で、ソバに七味唐辛子をものすごい量かけて食べる人を見てから、急にソバに七味唐辛子を入れるようになったし、日本のデパートのスパゲッティナポリタンが大好きになったのも松村雄策のエッセイを読んでからだ。

ゴルゴ13というマンガで、オイルサーディンの缶詰に目がない人が出てきたのを見て(その人はその習慣を利用されてゴルゴに暗殺される)、ずっと気になっていたが、食べる機会はなかった。オイルサーディンといっても、単なるイワシのオリーブ油付けである。

アメリカに来てから、隣の席のマイクが、昼食にそのオイルサーディンの缶詰を食べていた。しかもそれにタバスコをたっぷりとかけている。日本人ならイワシには醤油だと思うが、アメリカではタバスコなのだ。これを見てすぐに店で買ってきてマネをして以来、病みつきになっている。

それで、昨夕、非常用にとっておいたオイルサーディンに醤油とタバスコを別々にかけて、二種類を味わった。これをロールパンと即席味噌汁と一緒にいただいたのだから、組み合わせはメチャクチャである。