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少年犯罪

最近は凶悪な少年犯罪が増えていて、世の中どうにかなっているんじゃないだろうか。食べ物が悪いのか、ゲームが悪いのか、などというのが今のマスコミの世論であり、そう思っている人が大半だと思う。

ところがこれは、ウソなのだ。これを見ていただきたい。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
これによれば、少年犯罪は減少し続けていて、もっとも凶悪だったのは団塊の世代である、今の50代だというのだ。マスコミは不安をあおって視聴率や発行部数を上げるために、故意に事実を隠蔽しているのだ。たとえば年配の人ほどテレビゲームなどに偏見を持っているため、ゲームが若者に悪影響があると思いたい。私はゲームをしないので、その気持ちはよく分かるが、そうは考えない。歴史を知っているからだ。小説だって初めて登場したときは「こんなものを読んだら空想癖が出て頭がおかしくなる」と古い世代に批判された。映画、テレビ、マンガも同じことだ。古い世代は、若い世代に何か悪いことがあると自分が気に入らない新しいもののせいにすることで気持ちがよくなるのだ。それをうまく利用しているのがマスコミだ。しかしデータの捏造、隠蔽はダメだ。

もし少年犯罪を食べ物やゲームと関連づけるとすれば、戦後少年犯罪は現象し続けているのだから、「ゲームとファーストフードは少年犯罪抑止になる」となってしまう。しかし、そういう結論を出す人はいないだろう。自分の価値観と合わないからだ。じゃ、そのときはどう考えるか。少年犯罪とゲーム、ファーストフードは関係がなく、何か他の理由があるに違いないと考えるのだ。自分の価値観と合っているときには関連性を認め、合わないときには無視する。社会学とはこういう恣意的な無意味な学問だとして批判しているのが、上に紹介した「反社会学講座」なのだ。

反社会学講座はどの記事もとても面白くてためになる。しかしこういう一見斬新な意見は往々にしてこれ自体が捏造だったりすることもあるので(「アポロは月に行っていない」などの主張のように)油断はできないが、今のところ私はこの人の主張を信じている。

新横浜『ラーメン博物館』

ブログへの書き込み日は日本の日付なので1月2日だが、時差の関係でこちらは今日が元旦である。昨日のアクセス数を見ると139件で、ブログ書き込み以来、ほぼ最低を記録した。さすがに元旦だ。しかし、元旦からのべ139人も読んでくれる人がいると考えると嬉しい。卓球王国の編集部員たちが、締め切りからの逃避のためにたびたびアクセスしているのではないことを願うばかりだ。

アメリカに来る前に、最後の贅沢として、新横浜の『ラーメン博物館』に行ってきた。あるビルの地下に、昭和30年代の町並みを再現し、全国からの名門ラーメン店が8軒出店している。ここには前から行きたいと思っていたのだが、一度失敗をしているのだ。横浜にジャパンオープンを見に行ったとき、帰りに急に思いついて、駅で場所を聞いたところ、それは新横浜駅にあり、横浜駅にはないという。それで、なぜか『カレーミュージアム』を薦められてそこに行ってしまった。

それで、今度こそはと新横浜駅で降りて『ラーメン博物館』に行ってきたわけである。予想通りの素晴らしいものだった。昭和30年代の町並みが素晴らしい。実は私はそんな風景はほとんど知らないのだが、なぜか懐かしい感じがする。再現されたタバコ屋に並んだ「しんせい」などという銘柄を見て、小学生のときに死んだひい婆さんを思い出したりした。その懲り方が徹底している。コの字型になった町並みの裏には狭い路地がめぐっていて、一般人の住居などが再現されているのだが、どの家を見ても、扉の向こうに本当に部屋があって人が住んでいるようで、板一枚のニセモノとは思えないできだ。会場に入るだけでも入場料を払わなくてはならないのだが、十分にその価値があった。

ラーメン店には、テレビのガチンコに出ていた有名な人の店もあった。食べ歩きできるように、300円のミニラーメンが各店に用意されている気の利きようだ。私は3軒をハシゴしたが、春木屋のラーメンが素晴らしかった。一見ただの醤油ラーメンだが、異様にダシの効いた汁がとんでもなく美味かった。東京に住んでいる人がうらやましい。

仙台にもラーメン博物館のだいぶ後にできた『ラーメン国技館』というのがあるのだが、どの店も特徴を出そうとしてとんでもなく脂っこくしたり巨大な具を入れたり食えないほどしょっぱくしたりするのだが、いまひとつである。たまたま入った店が悪いのだろうと思い、何度も行ったのだがダメだった。

日本に里帰りの際には、また『ラーメン博物館』に行きたいものだ。

正月

日本ではもう2008年になったようだが、こちらはまだ12月31日の昼だ。会社も休日ではなく、平日としてみんな普通に働いている。神様の誕生日に比べれば大晦日など特別意味はないようなのだ。ただしさすがに元旦は休日である。クリスマスの24日、25日あたりは店も休みだったし道路に車も少なく、ちょうど日本の正月のようだった。

昨日書いた、猫と電子レンジの訴訟について用具マニア杉崎君から驚いたというメールがあった。それで、念のために調べてみたら、これは都市伝説のようである。こういういい加減な情報は嫌いだ。

http://k-gensai.hp.infoseek.co.jp/mythsandtruths/t001microwavecat.html

年末のせいか、卓球王国2月号に書いた「インパクトに震える友人」繁則からもメールが来た。「ついに俺をネタにしたな」と書いてあった。さすがにわかったか。彼はビートルズごっこに常に参加していた高校時代の友人である(彼もジョン・レノンのファンだが、力関係で彼にはいつもポール役をやらせていた:8/15等参照)。

繁則はメールを1,2ヶ月に一度しか見ないので、仲間内では「飛脚より遅い」と言われている。今回も年末だからメールが来たのだ。このグログを読むとしても1ヶ月後だろう。今、なにやら埋蔵品の発掘などを仕事にしているようだが、自分が埋蔵されないように気をつけてほしいものだ。

繁則で思い出した。高校一年のときのことだ。当時、卓球の基本姿勢は猫背と決まっていて、先輩がみんなにその基本姿勢を指導したのだが、繁則は胴体が短いためか背筋が頑固なまでに伸びていて、どうしても猫背にならない。今にしてみれば何の問題もないのだが、その先輩はどうしてもそれが気に食わず、繁則の背中と腹を両手で押して無理やり曲げようとしたものだった(もちろん曲がらなかった)。なんという奇妙な光景だろう、卓球とはこんなことまでしなくてはならないスポーツなのか、と思ったものだ。なんとも愚かで滑稽な時代である。

『UFOの会』

私が親しくさせていただいている人たちが作る『UFOの会』というのがある。未確認飛行物体のことではない。そのメンバーである三人の名前、上原久枝さん、藤井基男さん、織部幸治さんの頭文字を取って『UFOの会』である。三人とも荻村伊智朗との親交が深く、月に一度昼食会をする会に、洒落でそんな名前をつけているのだ。私もそのメンバーと何度か食事をご一緒したので、あれはたぶん『UFOの会』に参加したことになるのだろう。

そのメンバー名義で『荻村さんの夢』という本が出版されている。あらためて活字になった『UFOの会』という文字を見るとドキっとしてしまう。誤解を招く本である。その筋の人たちの目にとまり、UFOの本だと思って読んだら卓球の話しか出てこないんだから何だと思うだろうか。

さて、UFOといえばエリア51だ。アメリカ軍が墜落したUFOやら宇宙人の死体をかくまっているという噂のある軍事基地だ。そこに行ったアキラくんから、UFOの運転免許証を見せられた。なかなか洒落の聞いた土産品だ。私も手に入れたいものだ。ドライバーの名前はAL LEANだが、発音するとエイリアンと読めるようになっている。日本語で言えば氏名「内遊 仁」というようなものだ。住所は「銀河系天の川・地球・誘拐通り195」というようなもので、なかなか洒落が効いている。何よ「誘拐通り(Abduction Way)」って。性別のところが「Yes」というのもおかしい。

もっとリアルなら面白いのにと思う。アメリカでは濡れたネコを乾かそうと電子レンジに入れて死んでしまって、注意書きに「ネコを入れるな」と書かなかった電子レンジメーカーが敗訴したり、コーヒーが熱すぎて火傷したといって訴えられたファーストフード店が敗訴したり、狂った訴訟社会なので、こういうものもあまりリアルに作ると何か問題があるのだろうか。それとも単にギャグセンスがイマイチなだけか。

いずれにしても、アメリカにいる間に一度は行かねばなるまい。

ピザの食い放題

ドーサンにはCiCi Pizzaというピザの食い放題のチェーン店がある。たったの4,5ドルでピザを食い放題なのだから多分得だろう。

甘いのやら辛いのや美味しいいろんなピザが置いてあるのだが、中には、円形のまま自分のテーブルに持ってきて食う奴までいる。これをコーラを飲みながら食べるのだ。こちらでは、日本と違ってピザの耳は食べないで残すのが普通らしく、皿には食い残した耳が山となって積まれている。こんな奴らに食われて店は儲かるのだろうか。

金の無い奴で健康を気にしない人にとっては毎日でも行きたい店に違いない。それで、店内には明らかに肥満体形の客が集っている。写真には写っていないが、あまりに尻が大きくて、まるで尻にイスが突き刺さっているように見える人までいる。写真に写っている人たちはドーサンでは中くらいの肥満度だが、この倍くらいの人が沢山いて、スーパーの駐車場などでは、肥満を理由に身障者用の優先駐車場に車を停めて、店内でも電動カートに乗って買い物をしている。食わなければ治る障害なのだが。

食い放題で思い出すのはなんといっても2番弟子の田村だ。学生時代にミルキーウエイのサラダバーを「食い放題です!」と言って主食にしていたほどの男だ。田村は何年か前、全日本を見に仙台から東京に家族5人で旅行がてら出かけた。と、綾瀬の会場近くのマックでハンバーガーを100円で売っているのを発見した。田村はこれに狂喜し、一気に10個以上買って二日間ハンバーガーを家族に食べさせ、以来奥さんには「全日本にはもう行かない」と言われている。卓球に興味のない奥さんにとっては、全日本といえばハンバーガーの印象しかないのだ。

なんと悲しい全日本との出会いだろうか。

道路の風景

車で高速道路を走っていると、よく破裂したタイヤの残骸を見かける。15分も走れば必ず一回は見つかる。アメリカでは日本のような車検というシステムがないので、車が壊れるまで走るのだ。タイヤも多分、自然に破裂するまで使うんだろう。だから日本では考えられないくらいあちこちに破裂したタイヤが転がっているのだ。

公道でトラックの荷台に人が乗っているのもよく見かける。シートベルトをすることが義務付けられているのに、荷台に乗るのはOKらしい。乗っているのは常に有色人種ばかりなので、だから問題ないということだろうか。

前の車からしっぽが出ているので「またアーバンのファンか」と思ってよく見たら本物の馬だった。

クリスマス

クリスマスが終わったが、まだあちこちの家で飾りを続けている。せっかく用意したのだからしばらく飾っているのだろう。

飾りを見ていると、しきりにキリスト誕生の様子を再現したものが多いことに気づいたが、なにしろクリスマスとはイエスさまの誕生祝いなのだから、当然であった。サンタクロースとかトナカイの飾りも多いが、意味を考えれば、キリスト降誕が本筋だろう。私にとっても、ディズニーランドのように楽しげなものよりは、やはりキリスト降誕の飾りの方が深さが感じられてつい、見入ってしまう。

それにしても、普通の家の庭先にこのようなものが置いてあるのを見るのは、興味深いとともにミスマッチな感じがして面白い。だいたいは実寸ではなくて小さめに作ってあるので、七福神の置物のようにも見える。

真摯な信仰心というものは心打たれるものがあるのだが、それがオウム真理教とどこが違うのかとか、科学的良心との折り合いを考えると、複雑な感情が沸いてしまう。

アメリカの野菜

初めてドーサンに出張に来た7年前、ついた夜に、食料の買出しに近くの食料品スーパーに行った。そのときに見た野菜の異様な形は衝撃的だった。その異様な形と縮尺を間違えたような大きさが、前途多難な仕事の先行きを象徴しているようでなんとも不安な泣きたいような気持ちになったものだ。野菜の形がこんなに違うんじゃ、人間も違うわけである。中にはナッパ・キャベツというものが売っているのだが、どう見ても日本の白菜である。アメリカ人に「これは日本の野菜だ」と言ったら意外そうな顔をしていた。

その出張は3人で来たのだが、私がトランクの鍵をなくすというトラブルに見舞われた。どこを探してもない。いよいよ仕方がないので、会社に行ってバールでトランクを壊して開けようということになった。それで同僚の武俊が車のキーを出すと、なぜかそこに見覚えのあるキーが。私のトランクのキーだ。なんと不思議な。私のトランクのキーが武俊のズボンのポケットに入るなど、あり得ないではないか。

よーく考えたら、たった一つだけ可能性があった。宿舎に着いたときに、各部屋の鍵をテーブルに置いて、その鍵を取る方法で各自の部屋を決めたのだが、そのときに私が、トランクのキーを部屋の鍵と一緒にテーブルに置いたのに違いない。そしてそれを武俊が取ったのだ。それ以外には考えられない。なんとも情け無い話である。

オカルト談義

元の職場の後輩に、Tという大変見どころのある奴がいる。Tはほとんどの人が私のオカルト談義に興味を持たない中にあって、完全に食いついてくる得がたい人材である。ただし、その食いつき方は、何でもかんでも私に反対する立場ではあるのだが、興味が無いよりはマシである。職場の飲み会ともなれば、私は常にTのところに行って「それではこれはどう思う?」などとオカルト議論を吹っかけてはTをエキサイトさせて楽しんだものだ。仕事の話などする余地がない。

Tは「宇宙人が地球に来ているなんていう奴は頭がおかしいです」という一方で、幽霊や超能力は絶対にあると断言する。私にはどっちもどっちのあやしい話なのだが、彼の中の何かがそれを判断しているようだ。
それで、幽霊の話になった。私の立場は「幽霊が存在する証拠が出てきたらいつでも認めるが、今のところそのような証拠は無いので認められない」という単純明快なものだ。これがTには面白くないらしく、いろいろと難癖をつけてくる。Tによれば、幽霊とは電磁波の一種で、物理的実在だそうだ。大学で物理を学んだものの発言とは思えない。電磁波なら測定すればわかるではないか。そんな簡単なことならどうして今まで誰もその存在を証明できないのだろうか。

「条太さんはもし殺人現場で寝ろと言われたら寝れるのか、幽霊を信じないなら寝れるはずだ」と息巻く。私はそんなもの、必要があれば寝れると思うが、それではつまらならないので、あえて「気持ち悪くて寝られない」と答えた。するとTは得意になって「矛盾してるじゃないですか」と突っ込んでくる。私の理性と感情が矛盾していても、それが幽霊の実在の議論に関係がないことがTには分からない。

これに第三者が加わると収拾のつかない議論になる。Tが「世界中の民族で幽霊を見た話があるのは実在する証拠だ」という。私が「それは人間が本能的に死を恐れているからで、実在の証拠にならない」と答えるとTは「オレは死ぬのは怖くないですよ」と言う。こいつが死ぬのが怖くなくてもこの議論に何の関係があろう。それを聞いていたSというやつが「それなら今すぐ死んでみろ」とムチャクチャを言う。死ぬのが怖くなくても今すぐ死にたくない理由はいくらでもあることが、この男にはわからないのだ。Tだけでも議論の筋道がわからなくて大変なのに、更にこういうやつが議論に加わると話が全然進まなくて、一体なにを議論しているのかさっぱりわからなくなるのだ。それはそれで盛り上がって面白い。3人で喉をからしながら激論をすることになる。

ある飲み会の翌週の月曜、Tはよほど私との議論が悔しいらしく、昼食のときに蒸し返してきた。「条太さん、幽霊が実在しないってことは、祟りとか呪いもないってことになりますね。それでいいんですか」と言う。そそれは・・霊魂よりもっと信憑性がないではないか。更にTは「これはどう説明しますか」と前置きして「気功師が自分の体重を軽くすることができる」と言う。テレビで気功師が生卵に上がって潰さない超能力を見たのだという。どんどん話のレベルが落ちていくのは一体どうしたことだろうか。こちらの方がよっぽど不思議である。

Callaway Gardenに行ってきた

同僚のゲイリーに教えてもらったCallaway Gardenというところに一泊してきた。大きな敷地の公園で、電球をたくさん使った電飾が見事だと言うので2ヶ月くらい前から予約していたのだ。ドーサンからは車で3時間くらいだった。窓の無い車に乗せられてゆっくりと園内を回って電飾を見たのだが、一周するのに一時間もかかってとても寒かった。電球は800万個使っているそうで、大変な規模だ。たしかに綺麗だったが、電飾で綺麗なのには限界があるなあと思った。いくら色が鮮やかでもそれ以外の情緒に訴えてはこなかった。子供たちもイマイチという感じだった。私も高校ぐらいまでは、「面白い」ことだけが価値であり、「綺麗」などというものには何の価値も感じなかったので、今の息子たちが感動しなくても当然だと思う。

翌日は近くのサファリパークに行った。サファリパークというものは初めてだった。レンタカー代をけちって自分の車で園内に入ったら、バカでかいトナカイみたいなのに角で車を傷つけられた。車の近くに餌を落としてしまったので、それをトナカイが食べようとしたものだから進化の袋小路である無用のツノが車をこすったのだ。しかし、前を走っていた施設のレンタカーをみると、窓ガラスがなくて、トナカイやバイソンが頭部をまるごと車内に入れて客の餌を食っていたので、たぶん上半身ヨダレだらけになっているだろう。それも困る。汚れてもいいようにカッパでも着て行って、レンタカーを借りるのがいいのだろうきっと。もう行くこともないと思うが、万が一あったら覚えておこう。

帰りにドーサン近くの郊外のところで思わぬ看板を妻が見つけた。「サイッキック・リーディング」とある。さすがアメリカだ。ここまで大っぴらに超能力をうたうとは。たぶん、行方不明の子供の居場所などを透視するのだろう。私はこういうものはインチキだと思っているのだが、どうインチキなのかとか、その証拠を見つけるとかに大変興味がある。ところが妻は、私と違って「議論する時間ももったいない」ほどの完全否定なので、どんなに私がこの話をしたくても「時間のムダ、人生のムダ」と相手にしてくれない。それで私は、職場の同僚や友人に唾を飛ばして語ることになるわけである。もちろん、「テレビのチカラ」や「超能力捜査官」など論外である。http://www005.upp.so-net.ne.jp/kaieda/tousinouryoku.html