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画力の限界

『ヤングマシン』のイラストについて友人と口論になったときのことを補足しておく。

そのとき私が言ったのは「いくら写真のように描けても、それで飯が食えるのはごくわずかだ。技術だけではなくて、何を書きたいかとか、何を表現したいかとかそういう特別なものがなかったらダメ。現に私はこの程度の絵なら描くことはできるが、他に何もないので全然どうにもならない」ということだ。卓球に例えれば、綺麗なフォームでフォアロングが200本続けられて素人からはすごいすごいと言われるけど、大会ではさっぱり勝てないということだろうか。

絵についてそのような考えに至ったのは、中学校のときにテレビで見た『やまねずみロッキーチャック』というアニメだった。その背景があまりにも見事だったのだ。普通ならそこで感激して「俺もやろう」となるのだろうが、私の場合は違った。自分が美術の時間に何日もかけて描いている絵より数段見事な絵が、たった数秒のアニメの背景に使われていることにショックを受けたのだ。「ダメだこりゃ。こんな人たちがいるのに絵なんかやったってまったく見込みがないじゃないか」と思ったというわけだ。

まあ今にして思えば、このアニメの背景を描いた人たちはやっぱりそれなりの天才たちだったのだろうが、当時の私はそうは思えなかったのだ。

映画『そして父になる』

先日、テレビで映画『そして父になる』を見た。

私は映画を見て涙が出たことは今までに2回しかないので、我ながら冷たい人間なのだろうと思っている。2回とは『シンドラーのリスト』とテレビドラマ『ルーツ』だ。泣いたといっても目の中で滲んだ程度だ。今回の『そして父になる』で、3回目の涙が滲む経験をした。

映画を観る前に結末を知りたくないという人がいるが、カリフォルニア大学の研究によれば、結末を知っていた方が作品を楽しめるという。

そのメカニズムは、あらかじめ結末を知っていた方が、作品に対する理解が深まり印象が良くなるためと推測しているという。

私も、音楽や芸術作品は解説や批評を聞いてから味わうとより感動する(というより、解説がないとほとんど理解できない)し、結末が決まり切っている水戸黄門の人気が絶大だったり、トリックものでも刑事コロンボが何度見ても、見れば見るほど面白いことを考えれば納得がいく。

そういうわけで『そして父になる』については結末も書いてしまおう。

病院で男の赤ちゃんを取り違えれられた夫婦が息子が6歳になってから知らされ、交換するかどうかを悩む話だ。主人公の福山雅治は高級マンションに住むエリートサラリーマンで、普段から仕事優先で子供に接する時間が少ない。悩みながらも交換しようと考えるが、自分とは対照的に貧しく卑しいながらも温かい相手の父親(リリーフランキー)との対比や、時々子供に貸していたカメラに寝ている自分の姿が何枚も撮られているのを偶然発見し(ここで滲んだ)、息子が普段どれほど寂しい思いをしていたかを知り、血のつながりの有無以前にそもそも自分はまともな父親ですらなかったことに気づくという話だ。それでこのタイトルなのだ。

映画の結末では、交換するのかしないのかは明らかにされないが、福山は6年間育てた息子を心から抱きしめる。

さすが賞をとった映画だけある。しかも驚くべきは子供たちの演技の自然さだ。いったいどうしてこうも他の映画と違うのだろうか。まるですべてアドリブで隠し撮りをしたとしか思えない自然さだ。

是枝裕和、恐るべし。

下手なイラスト

先日、久しぶりに会った親戚の叔母さんから、拙著『ようこそ卓球地獄へ』に対するお褒めの言葉をいただいた。

ただ一点、苦言を呈されたのは「絵、もう少しちゃんと描けないの?中学校の時と同じじゃないのよあれじゃ」ということだった。

マンガなど読まない70近い叔母さんにしてみれば、あのような絵は単に雑でふざけて描いているようにしか思えないのだろう。雑に描いていることは否定しないが「いえ、あの絵がいいっていう人もいるのであれでいいんです」と言っておいた。

まあたしかにこれはひどいかもしれない。

ちなみに、下の絵は私が18歳のときに官製はがきに描いてバイク雑誌に投稿したイラストだ。

バイクになど興味がなかったが、クラスメートが持ってきた『ヤングマシン』という雑誌のイラストコーナーにあまりに感心しているのを見て嫉妬した私が「そんなの俺でも描けるよ」「じゃ描いてみろよ」という経緯でその雑誌に載っていた写真を見て描いたものだ。

評者から「メカがぼけてる」と評価されたが、バイクのメカなど知らないのだから当然である。そこがわかったところがさすがバイク雑誌のイラスト批評家だと妙に感心したものだった。

そいういうことで、今卓球王国で私が描いている絵は「仮の姿」なのだ。まいったか。

至上命題2

至上命題についてもう少し考えてみた。この言葉はすでに広く誤用されているから、誤用が定着した後でそれに追従して使う人は仕方がない。問題は、誤用を始めた人たち、つまり中学校の数学でこの言葉を習ったはずの年輩の人たちにある。

彼らが誤用に至る過程を考えてみた。

それはこうだ。中学校の授業で「命題」という言葉を習ったが、意味は良く理解できなかった。しかしその漢字から、なんとなく「使命」と「課題」が混じったようなものではないかと感じられた。

人は誰でも難しい言葉を使って他人から賢いと思われたい欲求があるので、命題を「使命を帯びた課題」と言う意味で使ってやれというわけだ。「命題」という言葉の勇ましくかつアカデミックな感じがそういう人たちを引きつけたのだ。

たとえて言えば、数学で習う「次元」を、何か高級な言葉のように思い込んで「水谷の卓球と他の選手の卓球とでは次元が違う」と誤用するようなものだ。おっとこれはたとえではなく実例だった。

たとえて言えば、相手を信用させるために物理学の用語である「波動」を使って「あなたの背後霊から良い波動が感じられます」と言うようなものだ。おっとこれも実例だった。

たとえて言えば「体積」を「体育の成績」と誤用し「勉強はできなかったけど体積だけは良かった」と言うようなものだ。さっぱりカッコよくないが。あるいはアカデミックという言葉を「赤っぽい」という意味に誤解し「うーん、この絵はアカデミックなところが良いですねえ」と言うようなものだ。

とまあこのように、話に箔をつけたいだけのデタラメな人たちが、意味も分からず学問の用語をメチャクチャに誤用するという恥ずかしいことが公然と行われているのだ。

その結果、私の大学の先輩など、研究室で真面目に「宇宙波動プラズマ」を研究しているというのに、他人からは必ず怪しい研究だと思われるという被害に合っている。

今や「波動」は、もはやオカルトの人たちに完全に乗っ取られてしまったのだ!なんとも気の毒なことである。

至上命題

よく「今度の大会でメダルを獲ることは我々の至上命題だ」などというセリフを聞く。

まったく噴飯ものである。そんなものが至上命題であるはずがない。

なぜなら「今度の大会でメダルを獲る」というのは、そもそも「命題」ですらないからだ。

「命題」というのは、「日本代表選手は5人である」とか「卓球はスポーツである」というように、ある状態を記述した文章であり、それが「真」なのか「偽」なのか判定し得るような文章のことだ。

非常に簡単に言えば「○○である」と書ける文章のことだ。「メダル獲得」と名詞で終わるのや「メダルを獲る」などという文章は命題ではないのだ。

かつては中学校の数学で習った(逆、裏、対偶とかいうアレだ)ことだし、もちろん辞書にも載っている。

「命題」に「至上」をつけて「至上命題」とするなど、まったく意味不明の誤用である。誤用の理由はわかっている。「命題」という言葉が、より平易で親しみやすい「命令」「使命」「課題」「題目」などより難しくてカッコいい感じがして、なにやら頭が良さそうに聞こえるからだ。その結果、この言葉を使うと逆に、中学校で習う言葉の意味も知らない人間だということが露見してしまうことになるわけだ。

「至上命題」と聞くたびに「いや、それ命題じゃないから」と噴き出しているが、これほど誤用が定着すると、もうじき誤用ではなくなるのだろう。

四国の家庭料理の店

一昨日、出張で東京の青物横丁というところに泊まった。例によってひとりで飲み屋で夕食をとろうとホテルの近くの繁華街を見て回った。

基本的にどんな店でもいいと思っているのだが、いざ入るとなるといろいろと迷ってしまう。入りたいのは、まずチェーン店ではないこと、小じんまりしたところ、和風なところだ。なんだかものすごく簡単そうな条件だが、どこもかしこもバカでかい客席があったり、イタリアンだかエスニックだかの特徴を出している店ばかりでなかなか普通の店が見つからない。

それで目についた「四国の家庭料理」という看板に惹かれて入ってみた。ドアを開けた瞬間に後悔した。広い店内で男女が大騒ぎをしていたのだ。すぐに「イラシャイマセー」と日本語の怪しい東南アジア系の店員が寄ってきた。これで四国の家庭料理出すのか?と思う間もなく「婚活パーティーで飲み放題3,500円ダケ、ドウデスカ」と来た。

婚活パーティーに紛れ込むというのも面白そうだと思ったが、さすがに迷惑になるだろうから止めておいた。書いとけよそれなら。

結局、別の通りにある、看板が異様にそっけない飲み屋に入ると中もそっけなく、客はひとりもいなかった。流れていた曲はジョージハリスンのライブだった。有線放送ですかと聞くと『バングラディッシュコンサート』のCDだという。渋すぎるだろそれは。

当然、持っていった本を読むのは止めにして音楽談義となった。ジョージハリスンの曲がかかっていたのでビートルズのファンかと思うとそうではなく、ローリングストーンズのファンだという。ただしロン・ウッド時代のストーンズが好きで、ミック・テイラー時代のストーンズはイマイチだそうな。

そう言うと店主は「ディランがクラプトンに提供して要らないと言われてロン・ウドがもらった曲」だという『セブン・デイズ』という曲を聞かせてくれた。

当然ディランも好きらしく、ディランが手本としたウディ・ガスリーも好きだという。ウディ・ガスリーを好きだという人間に会ったのは初めてだ。知らない店には入ってみるものだ。

「音楽は何でも聴く」と言うだけあってパンクも日本のロックも聴くようで、中でも「吉田拓郎」「サディスティック・ミカバンド」「キャロル」にご執心のようであった。フォークも好きだと言うので、念のため「かぐや姫」「さだまさし」は?と聞くと無言で頭の上で手を振られた。

音楽談義の合間に先ほどの四国の家庭料理店の話をすると、なんと知っていて、やはりチェーン店が嫌いでそこに入ってカレーライスを食べさせられてこの店に流れてきた客がこれまでにも何人もいたそうで、私が典型的なそういう客のひとりに過ぎないと知って少しガッカリしたのであった。

あきれたことに、その四国の家庭料理の店の婚活パーティーは、ここ十年ほどずっとなのだそうだ。とほほ。看板変えろよそれなら。

さようならピータース

アメリカ赴任時代の友人のドクター・チョップことロナルド・ピータースが一昨日亡くなったと連絡があった。77歳だった。私の連載『奇天烈逆も~ション』の第一回の題材にした人だ。

思えば初めて会った2000年10月に、すでにリンパ腫を患っていて放射線治療をしていると言っていたが、それから約15年も生きたことになる。5年前には72歳にして私から卓球の指導を受けたい、謝礼も払うとまで言って私を家に呼んでくれたものだった。もっともそれは口実で、行ってみると一度も教えてくれとは言わず、自分の技の解説ばかりをされた。

ここ1、2年は相当に体調が悪く、体重も落ちていて、銃やらおもちゃやらを知人にあげて身辺整理をしていたという。それでも卓球への情熱は止みがたく、卓球とは接していたようだ。

「卓球がなかったら自分はとっくに死んでいる」と言っていたそうだ。2000年に初めて会ったときに彼の家にシャツを忘れ、その後連絡が途絶えていたのだが、7年後に再開したときにそのシャツを持ってきてくれたのには感激した。そのときのピータースの得意気な顔が忘れられない。

天国などないに決まっているが、比喩的に「ピータースは天国で思いっきり卓球をしているだろうか」と言いたくなる。

さようならピータース。そして楽しい思い出をありがとう(写真は2010年に卓球をしたときのもの)。

ザ・ファイナル2015.1

先日の全日本選手権の映像の編集が終わりつつある。

プラスチックボールになったことが関係しているのかどうかわからないが、やたらとロビングからのカウンタースマッシュが多かった。頭上のボールを野球のピッチャーのオーバースローのようにカウンタースマッシュするのだ。とにかく強打対強打が続く。いったいどういう育てられ方をしたらああいう選手になるのか。まったく指導者の顔が見たい。

おかげでなんとも迫力のある作品になりそうだ。

それにしても吉田海偉という男は絵になる。特に得点をしたときの掛け声が凄い。ショレーイとかジョレーイとかカモーンとか言うのだ。あるカメラマンによれば「ヘブーン」と言ったという。天国(heaven)?と驚いていたが、編集しながらよくよく聞くと、カモーンの発音が不明瞭な時にそう聞こえていたのだとわかって少しガッカリした。

さすがにheavenってことはないよな。どこの人よいったい。

ロック

離婚が報道されているロックミュージシャンの高橋ジョージという人が、離婚の原因について「やっぱりロックやってるから、並大抵の自己主張じゃない」と言ったという。

ロックってそういうものか。そういう、家庭内のいざこざにも影響を与えるような音楽なのだろうか。なんともすごい音楽もあったものだ。この調子だと「生き様」とかに発展しそうで怖い。

忘年会

年末に職場関係の忘年会がいくつかあった。

そのうちのひとつでは、幹事が100円ショップで仮装道具を買ってきて、全員がつけて参加するという、なかなか気の利いた演出であった。

私は最初、河童だったが(他意はないと思う)、途中から交換し合ったので耳などをつけたりしていい具合に酔っ払ったのだった。

最初は面白いのだが、すぐに慣れて仮装はどうでもよくなり、そのままの格好でフッと真面目に仕事の話をしたりするのだが、後で見ると河童の格好で何を話してもダメという感じがする。

ところでこの職場のうちのあるプロジェクトが、実は一部で「呪われたプロジェクト」と言われている。私を含め、このプロジェクトに関係している男性社員全員がある特徴的な髪形をしているのだ!

この男はすでに退社したが、やはり同様であった。よりによってなぜ全員が?とお互いに何か因縁めいたものを感じていたものだった。まさか集められたわけではないと思うが(だとすると目的がわからない)。

ただしコイツはこんなに毛穴があるのに好き好んで丸刈りにしているので我々はニセ物扱いしているが、その努力が買われて今ではリーダーである。飲むとすぐに寝るのが難だ。

そんな楽しい忘年会なのであった。大人になるとこういうことができるので、青少年は20歳になるのを心待ちにして欲しい。

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