花巻東のカットマン

なんと、Yahoo!のトップニュースに「花巻東のカットマン」について報じられていた。カットマンも随分と有名になったものだ。

と、喜んでクリックしてみると、なんと卓球のタの字もなく、単なる野球ではないか。まったく人をバカにしている。

この誤報に胸をときめかせた卓球人が日本に何十人いたと思っているのだ!(どうせ卓球のことじゃないとわかってたけどな)。

どこが「中継」だ!

中継のことを生放送の意味だと思っている人が多いが、字を見ればそんな意味であるわけがない。「中継ぎ」なのだから、何かと何かの間をつなぐような意味に決まっている。

中継とは撮影現場で撮影された映像などを現場の近くに設置した機材など(通常は中継車)で放送局に送ることを言う。カメラからの映像を放送局に送るための中間点だからこそ「中継」なのだ。

だから「生中継」はカメラからの映像をリアルタイムで放送局に送ることだし、中継点で録画したものを後で放送する場合は「中継録画放送」だ。カメラで録画したテープを後で放送局に持って行って編集してから放送するのは「収録放送」となる。

さて、最近ではインターネットが発達しているので、個人が現場から映像やコメントをリアルタイムでネットに配信することが普通に見られるが、これを「実況中継」とか「生中継」と称するのは間違いだ。

どこに中継ポイントがあるというのか。インターネットでは直接公共の場に情報を提示できるのだから中継など要らない。正しくは「生配信」とか「実況アップロード」と言うべきだ。

「生中継」という言葉で即時性を表すのは「生」の方なのに、そのあとにつく「中継」をその意味だと思っているのだ。ちょうど「携帯電話」の「携帯」が電話のことだと思い、家の固定電話や公衆電話まで携帯と呼ぶようなものだ。「この辺に公衆携帯ありませんか?」ってなものだ。

当然、テレビ局の人にとってはこれは純然たる技術用語だから間違えようがないはずだが、昨夜のオカルト番組で、現場からインターネットに生配信することを「生中継」と表現していた。

UFOよりも「どこが中継なのか」を問い詰めてやりたい気持に駆られたのは私だけだろうか(まあそうだろうな)。

中継が生放送の意味だという誤解が広まった原因ははっきりしている。昔から「この放送は現場から実況生中継でお送りしております」と中継の意味もわからない視聴者に言い続けていたからだ。中継とはテレビの放送のやり方を表す技術用語であり、本来視聴者には必要のない情報なのに、説明もなしに中継中継と言うもんだからそのうち生放送のことだと誤解されたのだ。

テレビ局にはこの誤解を広めた責任をとってもらい、ネット生配信を「中継」と言っている輩に対して「どこが中継点ですか?」としつこく問いただし「中継が要らないのがインターネットなのです」と正しい情報を流布してもらいたい。

さらば、キング・クリムゾン

今日は渋谷のオーチャードホールというところに伝説のブログレッシブロックバンド、キング・クリムゾンのライブを見に来た。

ところがなんと、入場券を仙台の家に忘れた来たことに今朝気づいたのだった。それで、いろいろと手を考えたのだが、結局、入場券を家からスキャンして送ってもらったものを紙に印刷し、それと運転免許証を証拠に入れてもらおうとしたのだが、なんとこれがダメの一点張りで、結局入れてもらえず、15,000円が無駄になってしまった。

「絶対にこの席は空いているはずだ」と言っても「席を見に行くスタッフがいない」と言われた。開演からすでに40分も経っていて入り口付近には客は一人もおらず、スタッフが数人いる状態なのに、見に行ける人がいないというのだ。スキャンして送ってもらった入場券には、私の住所氏名、クレジットカードの番号と有効期限、電話番号などが書いてあり、いずれも私のものであることを証明してみせたが、とにかく入場券以外はいかなる物も証拠にならないと言われた。

どうにもならないのであきらめて当日券を買う決心をしたが、なんと売り来れだった。うむむ、誰が見に来るんだクリムゾンなんか。

それで、このライブを見に来ている大学時代の友人と、ライブが終わったら飲むことになっていたので、ライブが終わるまで近くのコーヒー店でこのブログを書いているというわけだ。

それにしても、ライブがあることはわかっていてそれを楽しみにして昨日から東京に出張に来ていたのに、入場券のことだけは一度も思い出さなかったのが不思議だ。一ヶ月以上も前に買ってさんざん確認していたのでかえって安心してしまったのだ。つまり、準備が良すぎて失敗したとでも言えようか(笑)。

妻からは「度重なる物忘れによる失敗のいい薬になっただろう」というようなことを言われたが、悔しいので反省はしない。誰の迷惑にもならなかったのだから、入場券を忘れてライブを見られなくてもそんなの俺の勝手だ。くそう。

今後も大事な物を思いっきり忘れてやろうと思う。

ロックコンサートなど難聴のリスクが増えるだけだし、会場はどうせハゲオヤジばかりに決まっている(私がその証拠だ)から、そんなところに行かなくたっていいのだバカバカしい。おかげで渋谷の喫茶店で『奇天烈逆も~ション』の原稿をじっくりと書けるではないか酸っぱい葡萄。

噂によれば、クリムゾンの来日はこれで最後だという。

さらばだ、キング・クリムゾン。

飲み屋の人間模様

先週、出張の帰りに時間があったので、ときどき入る仙台駅前のバーに入った。駅の近くなのでときどき入るのだ。大抵はひとりで黙って飲むのだが、先週は右隣に座っていた酔っ払ったサラリーマンに話しかけられた。

「そちらのお父さん、カッコいいですね、好きです」

ときた。「お父さんか」と苦笑しながら話を合わせていると、なかなか魅力的な奴だ。営業マンだという。顔が色黒でワイルドなもみ上げがどことなく坂本龍馬とか勝海舟を思わせる。「ここいらの人じゃないですね。九州かどこかの方ですか」と聞くと「ええ。私、仙台が大好きになりまして。一生ここに住もうと決めてるんです」と上機嫌だ。それでどこの出身か聞くと「岩切です」ときた。仙台市内じゃないかそれは。

こういうどうにもとぼけた男で、今度は「私、この人を尊敬してるんです。この人のようになるのが目標です」と隣に座っていた所長だという上司を持ち上げ始めた。

上司は酔っておらず冷静に私と話したのだが、なんとその上司は隣のお調子者の部下を指して「私、こいつをぶん殴ったことがあるんです」と言った。「こいつ、人の話を聞かない奴だなと思ったら急に殴りたくなったんですね」と言う。

どういう状況だったのか聞くと、2年前の忘年会のとき、隣の席にいた「こいつ」に話しかけたところ、聞くどころか全然あらぬ方向を見ていて完全に無視だったから殴ったのだという。「私は短気な人間じゃありませんし人を殴ったこともないんですけどね」と言うが、そんなことで人の顔を拳で殴れるものだろうか。

さすがに殴ったことで自己嫌悪に陥り、気分の悪い正月を過ごしていると、殴った男から電話がかかってきた。「辞めます」と言われるかとビビったが「済みません、スノーボードで足を折ってしまいまして、しばらく休まなくてはならなくなりました」という連絡で「これで差し引きゼロだな」と思ったという。うむむ、男だ。

お調子者の部下がトイレに行ったきりずいぶんと帰ってこないと思ったら店員が「帰ると言っていましたよ」とのことだ。なんたることだろうか。私にも尊敬している所長にも一言の挨拶もなく帰ってしまったのだ。もう一発殴った方がよかったのではないだろうか。

帰ってしまったお調子者は、私の左隣の青年をも巻き込んで乾杯やら肩組みやらをしていたので、所長が帰った後、自然と私はその青年と話すことになった。

聞くところによると青年は38歳でバツイチで両親と住んでいるという。「私の人生はこの後どうなるのかと心配です」とかなり暗い感じだが口調がユーモラスなのが、申し訳ないが面白かった。

リハビリ関係の仕事をしていて月給は20万円ほどだが、そのうち22,500円を毎月女性のいる店で使っているという。「給料の10分の1以上をそれですか!」と言うと「そうなんですよー、でも仕方ないんです」と困っている。

終電の時間になったので帰ろうとすると「なんで帰るんですか!もっと話聞いて下さいよー」とせがまれた。正直、聞きたがったのだが、何しろ1週間も出張だったのでこれ以上の放浪はまずかろうと思い、将来の再会を約束して店を後にしたのだった。人間模様である。

機上の『ピンポン』

今週は出張で飛行機に乗った。
座席のモニターで、映画とかいろいろ見ることができるのだが、その中に電子書籍があった。

いったいどんな本が読めるのかと思ってみると、なんと松本大洋の『ピンポン』があるではないか。

もちろん家に持っているのだが、試しに映してみたら不覚にも感動してしまった。

いわば不意打ち状態である。まったく凄いマンガだ。

柳澤太朗の誤解

卓球王国編集部の柳澤太朗が私の昨日の書き込みを読んで「それは指導の醍醐味じゃなくて女子中学生からチヤホヤされる醍醐味でしょうが」と言っていたという話が聞こえてきた。

むむむ、なんと人聞きの悪いことを。

確かにその側面はあるが、それはほんの70%ぐらいのことで、ほとんどは指導の醍醐味に決まっているではないか。

ワーッハッハ。

指導の醍醐味

先日、指導をしている中学生の県大会が行われ、女子団体で1回戦を勝ってベスト16に入ることができた。とはいえ、その1週間前の合同練習会で0-5で負けた相手2校ともがベスト16に入っていないので、完全にまぐれだと思っている。

地区予選のときも県大会のときも、試合の前夜は堂々巡りのオーダーの思案でなかなか眠れず、寝てもオーダーのことが夢に出てきて、結局一晩中試合をしていたような状態だった。卓球王国の連載を休んでいるためか、今ほど熱心に指導をしていたことは過去になく、世間の指導者たちの苦悩と醍醐味の一端を味わったような気になっている。

それだけ考え、試合前には自分が出るわけでもないのに緊張して便意をもよおすほどだったにもかかわらず、オーダーは外れたし、勝つはずのない選手が相手のエースに勝ち、それも私のアドバイスのことごとく反対のことをして(その打ち方じゃ入らないから攻撃するなと言うのに!)入って勝ったのだから、いったい私の指導は役に立っているのだろうかと、嬉しいながらも釈然としない気持ちであった。

大橋先生も「言うことを聞かない奴に限って本番で勝つんです」と言っていたから世の中はそういうものなのだろう。これだけで逆も~ションを1本書けそうである。

それにしても中学生を率いて偉そうな顔をして団体戦のベンチに入るというのは格別である。オーダーを発表するときの生徒たちの緊張した面持ち、負けて泣き、声を張り上げバッドマナースレスレの応援をする生徒たち。彼女たちから信頼されてそのただ中に身を置くことができる何ともいえない幸福感を味わった。どんなにお金や地位があったとしても卓球を真面目にやってこなかったらこのポジションには立てない。資産8兆円のビル・ゲイツだって卓球の新人戦県大会のベンチには入れないのだ(形だけ入ることはできるがそれでは意味がない)。卓球ばかりしつこくやってきて本当に良かった。

そんなことをしみじみと感じた新人戦の県大会であった。

高校のOB会での初体験

今日は高校の卓球部のOB会に参加してきた。OB会といっても仙台支部の開催で、最後に開催したのが20代のときだから20年以上ぶりの開催だ。

ここで人生初の珍しい体験をした。参加者のOさんという先輩と激しい口論になり、おしぼりを投げつけられ、酒を顔にかけられ、最後には雑炊をかけられるに至ったのだ。

私は常々、芸術家などがこういう激しいコミュニケーションをしたという逸話を聞くと、自分にはそういう魂のぶつかり合いのような激しいつき合いができないことに、どこかコンプレックスを感じていたので、今回の経験で人間の器がちょっとだけ大きくなったような気がして誇らしい気持ちになっている。ただ酒や雑炊をかけられただけのことなので別にどうということもないわけだが、誰でも経験できることではないので、今後、随所で自慢してやるつもりだ。

事の顛末はこうだ。今回のOB会を設定してくれたOさんが、Kくんという後輩がOB会に参加できなくなったことにいたく腹を立てているという。そもそもKくんは隣県の岩手県在住であり、仙台支部のOB会にわざわざ来る義理はなかったのだが「できれば参加する」と言っていたのが、ちょっと前に参加できないことになり「済みませんが今回は参加できません」とOさんに連絡をしたのだ。しかしこのOB会のためにいろいろと準備をしていたOさんの目にはこれがあまりにもあっさりとした不参加連絡に映り「理由ぐらい言えよ」といきなり攻撃的な論調になってしまった。一方Kくんにしてみれば、たかが飲み会に参加できなくなったぐらいのことでなぜそこまで問い詰められなくてはならないのかという論調になり、以来、二人は険悪な関係になっているというのが、この飲み会に至る事情であった。

こういう揉め事は私は大好きなので、いっちょ審判をしてやろうとさっそくフェイスブックでの二人のやりとりを見せてもらったところ、私の判定は「完全にOさんのクロ」であった。「Kくんに謝ってください。謝らないのなら私は支部長(今回Oさんから任命された)の権限であなたを仙台支部から除名しますのでもう来ないでください」と言ってやったのだ。

私は学生時代から、先輩だというだけで後輩に生意気な態度をとったり、酒だのお酌だのを強要する世間の風潮を腹に据えかねていたので、ここぞとばかりにまくし立てたのだった。

それでなくとも既に激高しているOさんにそんなことを言ったものだから、Oさんの怒りは尋常ではなく、上記の状況となったわけである。とはいえOさんにも理性は残っており、コップなどの硬い物は投げてこなかったし雑炊は冷えていたし殴ることもしなかったので、私としては安心して最低限の防御をしつつ批判を続けることができたわけだ。その点はOさんの理性を信じていた。

最後にはあわやテーブルをひっくり返す「星一徹状態」になりかけ、周りのメンバーから「店の迷惑になるので二人で外でやってください」と言われてちょうど飲み放題の3時間となり店を後にした。

Oさんはトイレで放尿をしたのを境に何事もなかったかのように穏やかになり、全員で2次会のカラオケに繰り出したのだったが、誰も一曲も歌うことなく続きの話をして最後には笑顔で握手をして別れたのであった。こういうことがあるから人生は面白い。

もちろん私は自説を変えるつもりは毛頭ない。今後Oさんと会う場合には、きわめて温厚かつ冷静かつ丁寧に、Kくんに謝ることを何年かけても説得し続けるつもりだ。謝るまではこれ以外の話をするつもりはない。

迎えに来させた息子の車の中で全身についた飯粒を剥がして食べながらそう固く決意をした土曜の深夜であった。

荻村という名前

少年サンデーの『ニッペン!』第2話を読んだ。

主人公が「荻村」と呼ばれるたびに感動してしまうのは全然正しくない読み方だと思うのだが、感動してしまうのだから仕方がない。荻村伊智朗の存在があまりにも大きくて、荻村伊智朗以外の「荻村」を考えられない体になってしまっているのだ。

ましてや卓球をしている荻村っつったらあんた・・・。いやはや卓球界には大変な人がいたものだ。

荻村伊智朗を超えるほどに荻村朝日がメジャーになったときがこのマンガがヒットしたと言えるときだろう。もっとも今や誰も荻村伊智朗など知らないのだから関係ないか。

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