卓球コント バッタ学園

昭和22年に発行された『卓球人』という卓球雑誌がある。これに卓球教育コントというコーナーがあるのだが、これが可笑しい。

だいたい、『卓球教育コント』という題からしておかしい。その第3回で『バッタ学園』なる奇作が紹介されているのだが、意味がわからないのだ。バッタ学園とはいったい何だ。卓球の教育に昆虫を出すというこの無意味さが素晴らしい。バッタ学園なのにマネージャーだけがバッタらしい。ほかにコオロギさんとかカマキリさんが出てくる。5年生まであって部員が五十人もいるのに卒業するのがコオロギさん一匹というのも不可解である。だいたい、これらの昆虫名が、あだ名なのか何なのかさっぱりわからないのだ。挿絵がリアルな昆虫であるところを見るとどうも本物の昆虫の話のようでもあるが、こんなリアルな昆虫がどうやって卓球をするのか。「私」が何者なのかもわからないし、とにかく集中して読んでも設定が異様すぎてなかなか話が頭に入らないのだ。
昭和22年だからというよりは、これはこの中島という人の特殊性によるものだろう。あまりに変なので、ちょっと長いが全文を紹介する。当時の文字使い、句読点のルールが現代とはだいぶ違うこともわかる。

-◇卓球教育コント◇-
(3)
(続) バツタ学園
中島 巌

土手の芝生が、漸く息をつき始めた頃―バツタ学園にも卒業式が訪れました。
全国女学校の皆さん、全国制覇を希ふバツタ学園卓球部は、どのようにこの冬を過ごしたでせうか又二年生から五年生までが一致団結して学校スポーツとしての卓球の真価を、どのようにして発揮しつつあるでせうか、私は送別会の席上で部長先生やバツタさん、コウロギさん達からお伺ひしたお話しを皆さんにお伝へ致しませう
五台のコートを囲んで、五十名近い部員がお手製のケーキを前にきちんとならんでゐる
立上つてバツタさんは伏目勝ちにでは皆さんこれから「蛍雪の功を積み、将に学園を去らんとする私達のお慕ひ申した姉、コウロギさんの送別の会を開くことに致します。美味しくもありませんが、ケーキを戴き乍ら、コウロギさんの活躍の跡を偲び、心ゆくまで語り歌ふではありませんか」・・・・・
おいみんなそんなしんみりしないでケーキを食べなよ、部長先生の一語にどつと頭をあげた一同、私は早速マネーヂャーのバツタさんにこの冬休みをどのようにお過ごしになりましたか、とお伺ひしたら
バツタさん「私達は先生が少しもお見へになつてくれませんので心配をして居りましたが卓球人のコント?で“クロ”のお話しをよみ冬季練習の重大性を知つて、この冬中は毎日朝九時に集り軽い体操の後校庭を五回位駈足をして、休息後二百回ほど縄跳をし、正午まで基本練習、お昼休みには一時間雑誌卓球人を囲むの会を開いて技術の研究やら、修業のお話しなどをし、午後は一時間集中練習(自分の練習せんと思ふものバツクハンドならバツクだけを)一時間は下級生の指導、その後軽くゲームをやつて一日を終りました」寒がりやの私達の事とてとてもつらかつたですわ、
そうでせうね、カマキリさんなんか特に細いからさぞかし骨までしみた事でせうね、ギョロリトにらんだカマキリさんの眼余り怖ろしいので部長先生に助けを乞ひました。先生この頃とても愉快そうにみんな仲よくやつてゐますね、何かよい薬りでもあつたのですかとお聞きしましたら、部長先生は眼鏡越しににつこり笑つて実はこうなんですよとお話しをしてくれました。
部長「ピンポン部はみんなのものです、生徒自身で立派な自治体を造つて、技術の研究、精神修養の面に互いに努力研鑽し合つてこそほんとうに生きた卓球部が生れるのではないかと言ふ考へから、各学年から二名の委員を選出して、マネーヂャー主将、副将、委員と役員を作りました。特にクラス選出の委員は、よくそのクラスの融和、連絡を図つて仲よく愉快に私達のピンポン部を造りませう、と言ふ事になつたのです」それからと言ふものは皆がとても仲よしなんですよ、ケーキを食べてるにこやかな顔、顔、顔、私もすつかり愉快になつてしまつた。コウロギさん御卒業の感想を聞かせて下さいと伺へばコウロギさんは早速
「長い間の学窓生活の中で、卓球部の思ひ出は私の生涯に永遠に消へやらぬことでせう、苦しくも又楽しかつたあの夏の合宿K校との決勝戦に見事勝つた県下大会、あゝ、数々のつきぬ思ひ出は、私の身を心をこんなにも成長させてくれました。人生てふ航路に船出する私に自信を与へてくれたものそれは卓球です。皆さん私は今、学びやを去るも、折にふれ球を手にし、又母校を訪れて、この卓球に精進致します。」
去る者、送る者、それは感激の一時でした。やがて夕靄に包れかけた講堂から
仰げば尊し 吾が師の恩
教への庭も はや幾年
悩しのメロデーに私はしばし別れを惜しみながら、学園よ永久に栄へよと祈りつゝたそがれの校門にいとまを告げました。
どうだろう。こんな設定だけ異様でオチも何もないダラダラした話をよくも載せたものだ。素晴らしい。

東北弁

子供の秋休みに合わせて来週一週間、休暇をとることにした。こちらではゴールデンウイークもお盆休みもないので、赴任して初めての連休でとても楽しみだ。アトランタの回転寿司にでも行こうと思っている。

それはいいとして東北弁の話だ。むかし職場の大阪出身のやつが飲み会で「関西弁といっても大阪弁と京都弁ではぜんぜん違うので関西弁というものは存在しない」と息巻いた。「それでも共通点というものがあるだろう」と言っても彼は「無い」と言って決して認めなかった。本当に話のわからない奴なのだ川上というのは。

そんなことを言ったら東北弁だって全然違う。私の育った岩手県と隣の宮城県でさえ全然違うように思える。それでも共通点はあるのだろうと考えて「東北弁」という概念を甘んじて認めているのだ。

この東北弁について大問題を提起しておきたい。それは映画やドラマなどで東北弁として使われる「お願げえしますだ」とか「オラ、学校さいっただよ」などというせりふの語尾である。『まんが日本昔ばなし』の市原悦子の異様なセリフを聞くにつけ「これはどこの言葉だろう」と思っていたのだが、ほどなく東北弁のつもりらしいことに気がついた。私の生まれ育った岩手県および宮城県の複数の親戚では、そういう語尾は老人を含めても一度も聞いたことがない。「どこか他の東北の県でそう話しているのかもしれない」と思いながらも、「もしかしてこれはデタラメな東北弁なのではないか」とずっと疑っていたものだった。それを確かめることができたのは大学に入ってからだ。なにしろ『東北大学』というだけあって、東北のすべての県出身の学生がいるわけだが、誰に聞いてみてもそのような話し方に心当たりはないという。思ったとおりだ。「~しただ」「~ですだ」という語尾は、非東北人が東北弁の濁音や紋きり型の語尾から得たイメージから創造して定着してしまった架空の東北弁なのだ。もちろん吉幾三の「オラ東京さいぐだ」の語尾もデタラメである。

これよりはマシだが、気になるのが助詞「さ」の乱用だ。「魚さ煮て食った」「太郎さ寝た」という具合だ。これも東北各地出身の人に聞いてみたが、心当たりのある人はいなかった。東北弁で助詞に「さ」を使うのは標準語で目的や対象を指す「に」「へ」に相当する場合だけだ。「学校さ行ぐ」「太郎さ言って聞かせる」という具合だ。この「さ」が標準語にはなくて印象的なので、それを乱発すれば東北弁らしくなると思っているのだ。助詞は言葉と言葉の関係を表すものだ。「太郎さ学校さカバンさ持って行った」などとすべて同じ助詞を使ったら助詞として機能しないので、そんな用法は有り得ないのだ。

脚本家や役者の中にも東北出身の人はいくらでもいるだろうに、彼ら自身もこのような状況に異を唱えないのは「東北のどごがでそう話してる人いるんだべ」と考えるからか、あるいは「日本人の多ぐがそれが東北弁らしいど思ってるならそういうごどにさせでおげ」と考えてこの世のどこにも実在しない「トーホグ地方」の世界を演じることを選択するからなのだろう。奥ゆかしいのだ東北人というのは。

I am ティムさん

私の会社は日本の会社なので、ここドーサンの現地人は何かと日本人に気を使ってくれる。たとえば、人を呼ぶときに日本人にならって「さん」をつけるのだ。電子メールでも「Jota-san」という具合に書いてくれる。

彼らは、「さん」は英語で言えば「Mr.」のようなものだと思っているのだが、ときどき面白いことを言う。初めてティムという人に会ったとき、彼は自分のことを「I am Tim-san」と自己紹介したのだ。それで、私は「さんは自分にはつけないんだ」と教えてやった。ところが、その後、電子メールでもやたらと文章の終わりに「Jacky-san」などと、自分の名前に「さん」をつけて締めくくって送ってくる人がいる。それで事情を聞くと、英語では自分にMrやMsをつけることが結構あるらしいのだ。どうも、自分が男性か女性かを知らせるためもあるのだという。それで、「日本には男女を区別する敬称はないし、自分に敬称をつけることはない」と教えてやったらひどく驚いてありがたがられた。

それよりもなによりも、「さん」なんて付けてくれなくていいのにと思っている。

「さん」で思い出した。Sandyという人がいるのだが、彼女のことを言おうとしてデビッドに「サンディ」と言っても通じないのだ。スペルを言ったらやっと「ああ、サンディか」とわかってくれた。私の発音のどこが悪いのか聞いたところ、「セアンディ」という風に言わないと日曜日のSundayに聞こえるというのだ。

家で子供たちが学校から渡された英語の発音練習用のCDがあるのだが、これが難しい。五つの基本の母音があるのだが、困ったことにそのうち三つは同じに聞こえるのだ。その五つとは
AppleのA(「エア」という感じ)
OstrichのO(くちを「オ」の形のままで「ア」と発音する感じ)
UmbrellaのU(普通の「ア」と同じ)
ElephantのE(普通の「エ」)
IndianのI(普通の「イ」)

だが、最初の三つが全部同じ「ア」に聞こえるのだ。特に2番目と3番目の違いが難しい。聞いて区別できないものを発音できるわけもなく、通じないということになる。

以上、単語に出てくるa,e,i,u,oの五つが基本の母音なのだが、これは単語の中に母音がひとつしかない場合で、これを「短い母音」と呼んでいる。これが母音が二つ以上の単語では、a,e,i,u,oはアルファベットの読みと同じになり、順にエイ、イー、アイ、ユー、オウと発音し、これらを「長い母音」と呼んでいる。もちろん例外があるとはいえ、これらの規則があるから初めて見た単語でもアメリカ人は発音できるのだそうだ。だから日本人の名前SATOを見ると例外なく「セイトウ」と発音するわけだ。まぐれでも「サトー」とは言わないわけである。
英語の読みに規則性があるなどとは、高校の授業でも聞いたことがなく、驚きであった。私は英語の発音に規則性がないことがとても嫌だったのだ。こんなに面白く役に立つことをどうして中学高校で教えてくれなかったのか残念である。

さすがドイツ

一晃さんがネット検索してくれて、ドイツの小便器を紹介しているサイトを見つけてくれた。なんと小便器にサッカーゴールが備え付けられているのだ。さすがドイツ。この調子なら、卓球台とか、コックなら料理、医者なら臓器と、いくらでも応用ができそうである。

http://relakus.exblog.jp/2425406/

サッカーゴールの位置が「しぶき」の観点から適切ではないように思えるが、もはや効果よりも「楽しみ」を優先させているのだろう。
それにしても、この小便をかけられるために作られたサッカーゴール、小便によってどれだけ汚れるのかと余計なことを想像してしまってさすがに気持ちが悪くなる。『サイエンスチャンネル』で、リン(P)という元素がどのようにして発見されたかを見たが、中世の錬金術師が小便を煮詰めて煮詰めて底に溜まった光る物質がリンだったのだという。サッカーゴールもリンだらけになるのだろうな。そういえば、村上力さんの知人が、まだ世の中にアンチラバーというものがなかったときに、それを自作するために普通のラバーを小便で煮てみたと言っていた。中世の錬金術師と同じことをしているのだ。まったく信じられない執念だ。

さて、小便といえば前から気になっていることがある。それは、映画やドラマで男性が小便をする場面の不自然さである。決まって体全体を上下に揺する動作をして小便が終わる様子を表現するのだが、そんなことをする男性は少数派である。「男性は体をゆすって雫を切る」と思い込んでいる女性は、考え直してもらいたい。手で振ればすむものをどうして膝の関節まで使って振る必要があるのか。卓球じゃあるまいし。「俺は手で持ってないから体ゆするぜ」という人がいたら、それこそ大問題である。そういう奴が小便器を外して床に放滴したりするのだ。威張っていないで、大至急考えをあらためてもらいたい。

製作者だって、まさかその作品で”小便の終わり”を表現したいわけではあるまいに、どうして判で押したようにそういう演出をするのだろう。ひどいのになると、上半身全体を反らしてチャックを上げたりする。そういういかにも茶番な大げさな場面を見るたびに「ああ、またやってる」と恥ずかしいようないたたまれない気持になるのである。

郁美さん(8/18参照)から「スタンはアメリカ人だけどあんこが大好きです」とメールが来た。すいません、例外はあるのですね。もしかして小便についても、全員が体ゆすりをする地域があるのかもしれません。

サイエンスチャンネル

独立法人文部科学振興機構というのが素晴らしいものをネット配信している。『サイエンスチャンネル』である。

http://sc-smn.jst.go.jp/index.asp

数々の科学番組を無料で視聴できるのである。もう、面白くて片っ端から見ている。科学界の偉人の話とか、元素ひとつひとつが発見された経緯などがとてもわかりやすく面白く紹介されてる。卓球王国の原稿を書きたいのだが、どうやら全部見ないうちは書けそうにない。

その中に『アスリート解体新書』というのがあって、いろんなスポーツを紹介している。

卓球は真っ先に見たのだが、残念ながら面白くなかった。いろいろな測定結果が出てくるのだが、意外性がないのだ。おそらく、卓球選手の動体視力などを測定して、飛びぬけて優れた値であることを紹介しようと思ったものの、たいしことがなく、ただ「測定してみた」にとどまったのではないだろうか。「俺ならもっと面白く作れるのに」と歯ぎしりした(そのうち、申し出るつもりだ)。

弓道は面白かった。矢は軽くて柔らかいので、弦による加速に耐えられずに発射時に曲がり、スローで見るとグニャグニャに振動しながら的まで飛んでいくのだ。また、打ち出されるときに、弦は弓の方向にまっすぐもどるのだが、矢は弓の厚みの分だけ右を向いているので、ただ射ると矢はその分だけ右にそれるのだという。これを修正するのと、矢にスピードをつけるための両方の目的で、選手は矢を射る瞬間に弓を持っている左手首を甲の方に瞬間的に曲げて弓全体を大きく左に回転させるのだという。これを「角見(つのみ)」という。
他のスポーツの極意を知ることはとても面白い。

この調子で、ときどきサイエンスチャンネルの見どころを紹介していきたいと思う。スポーツごとの科学的アプローチの違い、人物などとても面白いのだ。

家めぐり

こちらに来てから、休日に家族と過ごす時間が長くなった。なにしろ車がないとどこにもいけないし、友人や知人も極端に少ないので、ほとんど一日中家族で過ごすことになる。

それでときどきやるのが、建築中の家めぐりである。私の住宅地はまだほとんど家が建っておらず、建築中の家が何件かある。休日は大工さんがいないので、そこに勝手に入って間取りなどをチェックしてあれこれ言うのが楽しいのだ。住宅地の中なので歩いて5分なのだが、子供たちはまるでピクニック気分で飲み物やおやつなどを持ってくる。

先週、誰もいないと思ってある家に入ったら、屋根に大工さんがいてびっくりした。「家を探しているのか」というから「いえ、もう住んでいて、見ているだけです」と答えた。「わかるよ。俺も車を買った後でも車屋に行って見るのが楽しいもんなあ。ガハハ。」という感じで気のいい人だった。

こどもたちはそこから木の切れ端をもらってきて母親に怒られていた。男は、きれいな木の切れ端などを見ると何かに使えそうな気がして欲しくなるものなのだ。これも本能だろうか。

つぶあんとこしあん

アメリカ人はあんこが大嫌い(というより全然食えない)だが、私は大好きである。嬉しいことにこちらでも、例の韓国雑貨店であんこの缶詰が手に入るので買ってきてそのまま、あるいは牛乳をかけたりして食べている。少し塩分が足りないので塩を入れると、完全に日本のあんこと同じになって大変美味しい。ツブもかなり形が残っていて理想的なツブあんである。

私はツブあんは大、大、大好きなのだが、こしあんとなると嫌いと言うほどではないが、目の前にあってもわざわざ食べる気はしない程度のものになってしまう。それほど評価に差があるのだ。だからときどき、ツブあんかこしあんかわからないお菓子があったりすると困る。ためしに他人に食べさせてみたりしている。こんな大事な情報をパッケージに書かないとは、なんと無神経な業者なことか。「ツブあんもこしあんも味は同じだろう」という人もいるが、私にとっては何かが違う。うまくいえないが、ツブの中の豆の味の香ばしさがいいのか、ツブの感触がいいのか、はたまた皮を歯で噛むところがいいのか自分でもよくわからないが、とにかく全然違うものに感じるのだ。

当然世の中には逆の「断然こしあん派」がいるわけだが、数人でそれぞれの魅力について議論をすると大変面白い。「ツブあん派」も「こしあん派」も、それが単なる好みの問題ではなくて、どちらも自分の方が「正当」であり「他の人もそう思っている」と主張するのだ。「だっておはぎはツブあんが普通だろ」「そんなおはぎは聞いたことがない。おはぎこそこしあんじゃないか」といった調子で、もうハナっから話が合わない。

何年か前、職場の忘年会で温泉に行ったときのことだ。ホテルの同室の6人でこれを話したとき、ある「こしあん派」の人が私に「ツブあんのほうが好きだなんておかしい。そんなやついるか」と言った。私の主張は明白である。「世の中の人は若干ツブあん派が多いが、ほとんど同数である。その証拠はコンビニのあんぱんだ。コンビニの品揃えはそのまま人々のニーズを表している。こしあんが圧倒的に人気があるならツブあんなどとっくに店から消えている」 すると、これに別のこしあん派が反論する。「コストの問題があるんですよ」 彼によれば、本当はこしあんを好きな人の方がずっと多いのだが、こしあんは「こす」分だけコストがかかるため、あまり売りたくなく、結果的に半々に売っているというのだ。こういう調子でとにかく「こしあん派が正当である」と譲らない。アイスクリームに入っているあんが100%ツブあんである事実についてさえも、「コストの問題だ」と言い切る。

翌朝、ホテルのみやげ物売り場で名産の饅頭を売っていたので、さっそくみんなであんの種類を確かめると、はやり半数がツブあん、半数がこしあんであった。私はツブあんを一つ買ってから、売っていたおじさんに「こしあんとツブあんのどちらが買う人が多いですか」と聞いた。すると彼は「まあ、だいたい半々だね」と言ってから声を落として「本当はツブあんがいいのさ。こしあんがいいなんていう人はちょっとね」と言ったのだった。

ビートルズ8

いよいよビートルズネタも最後に近いづいてきた。

今回のは日本発売のシングル盤ジャケットである。初めてビートルズごっこをしてそれなりに自信を得た私は、多少の準備をして真似できそうな写真の真似をした。とはいえ、小物には限界があるので、ポールのチョッキは家にあった父親の『胆沢町消防団』のユニフォームだし、メガネと鼻は前回と同じである。スーツ類はすべて父親のものを勝手に出して袖を折ったりして使っている。

人物の間隔が本物と全然違うことに気づかずに撮影してしまい、残念至極である。

このシングル盤は、楽曲も写真もまったく好きではなく、単に「真似できそうな写真」というだけのことだった。

写真とは関係ない話。私がビートルズファンになったのは77年で、すでに解散から7年が経っていたので現役時代は体験していない。ロック評論家の渋谷陽一やビートルズに影響を受けてミュージシャンになった人たちの証言を聞くと、ビートルズは現役時代、日本では人気がなかったという。ファンなどクラスに1,2人しかいなく、ファンはいつも白い目で見られていたそうなのだ。だから、日本にはいわゆる『ビートルズ世代』というものは存在しないという。いるとすれば、それはビートルズが解散してもっと過激なロックが出てきてビートルズの毒が相対的に薄められて安全なものになる70年代だろうとのこと。しかし私がファンになった77年でもやはりレコードを買ってまでビートルズを聴いている人はクラスにはほとんどいなかった。まさか80年代以降にビートルズ世代があるとも思えない。となると、日本にはどの世代にも『ビートルズ世代』というのはなく、薄くいろんな世代に広がっているのだろう。また、CDが売れるのは単に有名だからなのだろう。

酒に強い人と弱い人

酒の話で、お気に入りのウンチクを披露したい。
以前、テレビで見た話なので正確性についてはご容赦願いたい。

酒の強さを考えるときに、2つのパラメーターがあるという。それは、アルコール脱水素酵素とアセトアルデヒド脱水素酵素である。人間はアルコールを飲むと、それが胃や腸から吸収され、脳にまわることで「酔い」の状態になる。判断力が鈍ったり気が大きくなるという状態だ。その体内のアルコールは、肝臓でアルコール脱水素酵素の働きでアセトアルデヒドというものに変わる。アセトアルデヒドは、体にとって有害物質で、具合が悪くなって吐いたり頭痛を引き起こす物質だ。二日酔いの原因物資である。アセトアルデヒドはさらに肝臓でアセトアルデヒド脱水素酵素によって分解されて最終的に体外へと排出される。

流れを整理すると

アルコールを飲む

脳にまわって酩酊状態となる(酔っている状態)

アルコールがアセトアルデヒドに分解される(アルコール脱水素酵素の働きによる)

吐き気、頭痛に襲われる

アセトアルデヒドが分解されて体外に排出される(アセトアルデヒド脱水素酵素の働きによる)

人間の酒に対する酔い方は、このアルコール脱水素酵素とアセトアルデヒド脱水素酵素の強さの組み合わせによって以下のように分類されるというのだ。

1.アルコール脱水素酵素が強く、アセトアルデヒド脱水素酵素も強い場合
飲んでも飲んでも酔わないし具合も悪くならない。いわゆる酒に強い人

2.アルコール脱水素酵素が強く、アセトアルデヒド脱水素酵素が弱い場合
酒を飲んでも、すぐに酩酊状態からは脱するが、気分が悪くなって吐いたりする。→私はこれだ!

3.アルコール脱水素酵素が弱く、アセトアルデヒド脱水素酵素が強い場合
少量の酒ですぐにべろんべろんになり、長時間そのまんま。しかし具合が悪くなったり二日酔いになることはない。一見、強いんだか弱いんだかわからなく見える。→○晃さん?

4.アルコール脱水素酵素が弱く、アセトアルデヒド脱水素酵素も弱い場合
すぐにべろんべろんになる上、後から具合が悪くなって二日酔いになったりする。

私は、常々、記憶をなくすほど酒を飲んでみたいと思っているのだが、このような酵素の働きを考えると、おそらく死ぬ思いの嘔吐を覚悟しないと無理なのだと思う。大学入学時の初めての飲み会で自分の酒の弱さを知らずに日本酒をコップで何倍も飲み、さすがにそのあたりの記憶は朦朧としているが、30分ぐらいするととてつもなく気分が悪くなって嘔吐と下痢が始まり、それは翌々日まで続いたのだった。アセトアルデヒド脱水素酵素の強い人が本当に羨ましい。

嫌なこと

私はアルコール類を飲むことが嫌いではない。味は好きではないが、甘い味を入れてカクテルにすれば美味しい。酔うこともなんとなく楽しい。

しかし宴会で嫌で嫌で仕方がないものがある。それは、酒を注いだり注がれたりすることである。何が嫌かと言うと、必然性のないこの茶番ともいえる動作をすることが嫌なのだ。理由があれば何の問題もない。高価な酒をご馳走されているので自分で注ぐわけには行かない場合とか、知らない人と話すきっかけを作るために注ぎにいったり注がれたりなら私もやる。しかし、知っている同士の飲み会では必要ないだろう。隣の人のコップの空きぐあいを気にしながら注ぐタイミングを考えたり、注がれるときにはいちいちコップを持って、ありがたいと思っていないのに礼を言わなくてはならない、そういうのががとても苦しいのだ。ウソはつけない。

酒を注がれるぐらいなら放っておけばよいが、大学や会社での歓迎会などでは「飲む」ことを強要されるから最悪である。なぜ飲料を「飲め」と強要されなくてはならないのか。中には「この場を収めるために頼むから飲んでほしい」と耳打ちをする「優しい」先輩もいたりする。私にとって酒を飲むことは、しょっぱくて飲めないラーメンの汁を飲むことと同程度のことである。同じ考えの人はいるはずだ。もしそういう人が歓迎会でそういう目にあったら、「わかりました。私は酒を飲みますから、あなた、そこの醤油を飲んでください」と言ってみるのがよいだろう(袋叩きにされること間違いなし)。

ところがこちらではこの「酒の注ぎ合い」が一切ないのだ。アメリカ人にそういう習慣がないのは当然だが、赴任している日本人どうしの飲み会でも「郷に入れば郷に従え」とばかり、誰もやらないことになっているのである。それがなんとも心地よい。こうしてみると、日本で注ぎ合いをやっている人たちも本当は「面倒だなあ」と思っているのではないだろうか。だから、やらなくてよい理由ができると、もう俄然やらないのだ。

ちなみに私は、酒を飲みすぎて記憶をなくすという人が羨ましくてしかたがない。私は酒に弱すぎて、飲みすぎるとすぐに具合が悪くなって吐いたりしてしまい、そういう状態には絶対にならないのである。理性と記憶をなくした自分がいったい何を語ってどんなことをするのか、ビデオにでも撮ったら面白いだろうと思う。いつかそういう薬の力でも借りてやってみたい。