先日、「テレフォンカードは必ず使い切る」と威勢のいいことを書いたが、大学時代の友人と会うためにその友人からもらった手紙を整理していたら、なんとガシアンと劉南奎の未使用のテレフォンカードが出てきた。面目ない。
いまさら公衆電話は使わないから、これはこのまま保管しようと思う。
ええと、まいったか!
「奇天烈逆も〜ション」でネット検索をしていたら(恥ずかしながらこういう検索を私は結構するのだ)、あるウエブサイトがヒットした。
その名も『麻酔科パラダイス』といって、神戸市内の病院で麻酔科医をやっている方のブログであった。http://www.pat.hi-ho.ne.jp/masuika-paradise/muda.html
ブログの中で、このブログについて触れているところがあるのだが、それがすこぶる面白い。紹介してみよう。
このホームページを作る上で私がお手本にしたのは、「卓球王国」という雑誌が作ってるサイトの中の、「奇天烈逆も〜ション」というブログである。書いているのはある卓球愛好家で、有名選手でもなんでもなく、家電メーカーの技術系会社員である。このおやじが、卓球だけでなく宗教とか音楽とか、あらゆることに好奇心を向け、いかにも理系人間らしい合理主義をふりかざすものの、根本にあるのは卓球に対する不合理なまでの情熱と「どこかずれてて笑えるもの」への渇望であり、結果として毎回わけのわからないオチがつくのである。まことに奇天烈なブログである。ひそかに師と仰ぎ、わがホームページをそのレベルまで近づけたいと願うものの、いまだまったく足元にも及ばない。
なんと、こんなところに私の隠れ弟子が!と、最後のところはちょっと自慢のために引用をさせていただいた次第だが、ご容赦願いたい。ブログから得られる手がかりでは、この方は私より2、3歳年上のようで、つまりご自分も十二分に「おやじ」のようである。ともあれ、文章が面白い上に内容も医療の現場をユーモラスに表現していてなんとも興味深いブログである。しかも言葉遣いが私の文章とよく似ていて、とても親近感を覚える。「俺、こんなこと書いたかなあ?」という感じだ。
私も卓球という狭すぎる題材ではなくて、医療とかもう少し一般性のある部分が得意だったら、ひと山当て・・・おっと失礼。
ホンダ創業者である本田宗一郎は、問題に直面して落ち込んでいる若者に言ったという。「お前、何歳だ?27歳?そうか。俺はもう50だ。もし27歳に戻れるなら俺は500億払うぞ」と勇気づけたという。
こういう話には私はある一定の感動は覚える。と同時に「そんなこと言ってもなあ」という気持ちにもなる。私も20代のころ、そういう類のことを年配の人に言われたり読んだりしたものだが、何か素直には受け取れなかった。若くてよいことばかりではない。恥ずかしながら私は若い頃は死が恐ろしく、十分に人生を経験する前に死ぬことの無念さが気になっていた。しかも若ければ病気になったときの進行も早い。60、70になれば十分生きた気がするだろうし病気だって進行は遅いだろう。早くその年まで生きて安心したいと思っていた。
加えて「若さは宝だ」と押し付けられても、現実に金はないし能力もない。自分には何かあるはずだ、本気出していないだけだ、という思いはあってもあんまり何もできないし本気も出せない。出す対象も思いつかない。私の場合なら、試しに絵や漫画や文章を書いてみても我ながら箸にも棒にもかからない。
実際、50を目前にした今の方がやりたいことは何でもできる状況にある。金はあるしやりたいこともやれることも見えてきたし平均年齢の半分は生きたのでこれから何が起こってもそう不幸だと思わなくて済む。若くて有利なのは体力ぐらいのものだが、富士山に走って登るんでもあるまいし、体力が必要なことでやりたいことなどない。今更また20代に戻されて幸運な偶然に出会わず、卓球王国での連載もできず、病死などしたらたまったものではない。500億払うから(ないけど)このままにしておいてほしいと思う。
そういうわけなので「若さは宝だ」などと言われてピンとこなかったり引け目に感じたりしている若者たちがいたら、気にする必要はない。ほとんどの若者は何もできないし人生つまらないなあ、他の人だけ楽しそうだし若いのにやるべきことをやってない気がするなあと思っている。大丈夫。それが普通だ。とにかく病気と交通事故に気をつけて死なないようにしてほしい。
そして50になれば、50年の経験と思い出という宝が舞い込んでくるのだ(年金か?)。それでは90歳になればもっと良いかと言われれば・・・微妙だ。経験していないのでわからない。
何かと話題の多い「あまちゃん」に、宮澤賢治の曲が使われていることをご存じだろうか。「星めぐりの歌」という歌のメロディーが随所に出てくるのだ。音楽家でもない岩手出身の宮澤賢治のマイナーな曲をあえて使うあたりに、音楽を担当した人の遊び心が感じられる。「わかってるなあ」という感じがするわけである。
宮澤賢治といえば先日、1996年に放送されたNHKの宮澤賢治特集の再放送を見た。その中でひとつ感動的な話があった。畠山モトさんというご老人がいる。彼女は賢治にたった一度だけ会ったことがあるのだが、そのときに賢治にかけられた言葉が忘れられないという。賢治は当時勤めていた砕石工場の同僚の家を訪ねてきたのだが、そのときにモトさんがお茶を出したのだという。賢治が砕石工場に勤めていたのは昭和6年(1931年)で、この放送の時点で実に65年も前の話だ。有名人だったならともかく、まったく無名だった生前の賢治にたった一度だけお茶を出したときにかけられた言葉が忘れられないというのだ。
モトさんが父親に言われて賢治にお茶を出すと、父親はいつも他の客にするのと同じように「この子は母親がなくて、8歳ぐらいの小さなころから飯炊きから何でもこなしてよくやってくれているんです」と自慢話を始めたという。モトさんはその話をされるのが嫌で「また始まった」と思ったという。それを聞いた賢治はひとことだけ
「貧しさの影が全然なくて、優しい娘さんに育ちましたね」
と言ったのだそうだ。貧しい人にこんな言葉をかける人などいない時代であったから、モトさんにとってこの言葉は宝物であり生涯胸から離れることはないという。賢治の台詞を語るときのモトさんのこみ上げるものがあって言葉に詰まる様子が、彼女の思いが伝わってくる感動的な場面だった。
やはり賢治の言葉は並ではなかったのだ。
もっとも私も悪い意味でなら相手が一生忘れられない言葉を発したことがある。友人の奥さんが私の子供を見て「大きくなりましたね」と言ったときに私は「大きくなるのは当たり前だ」と言ったらしいのだ(覚えてないが)。奥さんはそれが衝撃的で忘れられないという。なんとも申し訳ない。
10月号の卓球王国に「最近の私の記事が面白くないと編集部で評判らしい」と書いたためか、読者の方々からこれまでにない数の激励のハガキをいただいた。こういうハガキはいつもは2、3通なのだがいきないり7通も来て、連載を始めて以来の最高記録だ。
見ず知らずの方々からLOVEとまで書かれて(男性だが)執筆者冥利に尽きる。中には「逆モーションの連載が終了したら卓球王国を買うのを止める勢いです」と大変な鼻息のハガキもあったりして、ありがたい限りである。
「面白くないと言われている」というのも、まあひとつのネタとして書いたわけで、それほど強く言われているわけではないのだ。ある程度は言われているが・・・。
ちなにみ、いつもいただくハガキで面白いのは、結構な確率で「隠れファンです」とか「恥ずかしながらファンです」とかいうコメントがあることだ。隠れるかやっぱり。
今朝、通勤途中に車で聴いたラジオで、スピリチュアル依存症について語られていた。一日中、風水らや占いをもとに行動を決めていて何も自分では決められない状態の人たちのことだ。気の毒なことだ。ちゃんと学校でそういうバカバカしいものをきっちりと否定しておかないから可愛そうな人たちが出てくるのだ。
続いてラジオではスピリチュアル・カウンセラーという職業を紹介した。そういう依存症の人たちを救うためのカウンセラーがいるのかと思って聴いていると、なんとオカルトを根拠にカウンセリング行う人たちのことだった。ひーっ!逆か!
こうなったらアレだな。卓球王国でもラバー占いとかラケット占いやったらどうだろうね。「バイオリンにテナジー64を貼っているあなたは他人に合わせてしまいがちだが芯の強い努力型」「ピストルグリップに粘着性とアンチを貼っているあなたはストーカーと紳士の二重人格を持った殺人鬼タイプ」なんてね(いるかそんなヤツ)。あるいは逆に、血液型と誕生日をもとに最適の用具を薦めるとか。担当はもちろん、用具のことなら文字通り裏も表も必要以上に知り尽くした祐だな。
どうだ編集部!
私はもともと物忘れが激しい。いつもあらぬ妄想をしているためかもしれないが、それを差し引いても記憶力が良い方ではない(だから地理、歴史などの成績はめちゃくちゃだった)。
しかし、これは悪いことばかりではないのだ。忘れる能力が役に立つ場合もある。文章を推敲するときだ。なにしろ記憶力がないので、自分の書いた文章をいつも初めて読む読者のように読むことができるのだ。さすがに同じ行を何度も読むと覚えているのでどこがおかしいのかわからないが、そういうときはちょっと遠くから読むと自分でも何を書いたかすっかり忘れているので、たちどころに「くどい」「わかりにくい」などということがわかるのだ。他人の書いたものにケチをつけるつもりで読むのだからこれは楽である。
嫌なことも多分忘れているんだろうと思うが、なにしろ覚えていないので忘れたかどうかもわからない。
最近、セブンイレブンの挽きたてのコーヒーを飲んでいる。昨日、長男と行ったときにも買った。コーヒーを挽きはじめると良い匂いがし始めたので、コーヒーを飲まない長男に「ほら、いい匂いだと思わないか」と言うと「体に水分が足りない時の尿の匂いと同じだ。こういう匂いがしたら水をいっぱい飲むようにしてる」と言われた。
確かに似ている。香ばしいような。あれは何の成分なのだろうか。
私は何を買うのでもさんざん迷ったあげく、満足するということがなく、やっぱり他のが良かったなどと思うことが多い。だからお気に入りのものはあんまりないのだが、断然気に入っているものがある。腕時計だ。
私は腕時計に関しては徹底的な実用主義である。日付と曜日が出ていて使いやすくて壊れなければそれでよい。それ以上の一切の価値を腕時計には期待しない。もともとが使う目的で作られたものに関しては同じ考えである。自動車は走ればよいと思っているし、ワルドナーやガシアンのテレフォンカードでもまずは全部使い切る。水谷の下敷きも使っている。ちゃんと使うことによってそのものの天寿をまっとうさせるというような意識があるのだ。使っていないのは荻村伊智朗の切手ぐらいである(だって使ったら手元になくなるもん)。
そういうことで腕時計も、使いやすくて壊れなければ一生買い替えるつもりはなかった。正確さと見やすさで考えると当然デジタル時計がよい。しかもデジタル時計は大抵は安いのだからこれほど結構なことはない。そういう考えでだいたい3,000円以内の腕時計を買い続けたきたのだが、まったくどいつもこいつも使いにくい。側面の操作ボタンがやけに奥まっていて押すのに爪の先を使わないといけないのやら、やたらと固くて押したら戻らないのやら、逆に過敏でちょっと油断をするとストップウオッチが目まぐるしく動いていたりするのやらだ。アメリカで39ドルも出して買った電波時計など、いきなり日付が2005年1月1日になる病気が頻発したりでそのたびに頭に来ていたものだ。バンドが壊れるのもあったし、デザイン重視のため盤面がやたらと暗くて時間が見難いものもあった。100メートル防水などという不要な機能がついているくせになぜ普通に使いやすいものがないのだろうか。
結果、腕時計など趣味ではないのに5個も6個も買い替えるザマであった。そこで考えた。安いのを買うからだめなのではないか(今ごろか?)。デジタル時計でも最高級の物ならちゃんと使いやすくて丈夫なのではないか、そういう物があるのではないか。そういうつもりで探してみると、ちゃんとセイコーから25,000円もするデジタルの腕時計が出ているではないか。それで思い切って買ったのだが、これがなんとも素晴らしい。ボタンは押しやすく誤動作もしない。バンドも丈夫だ。日付と曜日も出ているし、海外の時間を同時に表示するモードは年に一度の世界選手権の取材の時に嬉しい。デザインもこれでもかというほど自己主張がない。一見プラスチック製に見えて実は極めて頑丈な金属製だ。まったく素晴らしい腕時計があったものだ。
この先、腕時計を買うことはないだろう。
小中学校では、学校のトイレで大便をするというのはなんとも恥ずかしいことであった。誰もが学校ではできるだけ大便を我慢し、どうしても我慢できない者だけがトイレで大便をしてみんなの笑い者になるという構図であった。
これが高校に入って一変した。1年生は3年生のトイレを掃除する役目だったのだが、我々が掃除をしに行くと、老けた面の3年生がやってきて堂々とトイレに入り「糞して食べる弁当は旨い」などと言いながらブリブリと音を立ててクソをしたのだ。これを見た私は「学校のトイレで大便をすることを恥ずかしいと感じていた自分たちはなんと幼稚だったのか、これこそが大人なのだ」と目が開かれる思いがしたのであった。
それから33年が経った先日、久しぶりに偉い男の話を聞いた。次男の高校の友人は、なんと、トイレの個室の扉を開けたまましゃがみ込み「見ないで見ないで」と言いながら糞をするのだという。それは凄い。ギャグのセンスも良い。まいった。「たいした友達がいるじゃないか」と次男を誉めてやった。ただし、その友人の精神状態がまともだったらの話だが。