偉いぞ愛ちゃん

一昨日、『おしゃれイズム』というテレビ番組に愛ちゃんが出ていた。
そこで、寝ピクで逆モーションをしてしまった話をしていた。ちゃんと逆モーションのことを解説していてので偉いと思った。卓球界で普通に使われているこの言葉は、実は卓球界でしか通用しない言葉だ。いや、正しく言えば、まったく別の意味で使われている(それも5種類くらいある)。

フェイントの意味で「逆モーション」を使う競技は卓球だけである。ところが地上波では意味がわかりにくいという理由でテレビの解説では使わせてもらえないのだ。なんとなく意味がわかってなおかつ卓球らしい言葉なのでぜひとも使えるようになって欲しいものだ。しかも私の連載のタイトルでもあるので、愛ちゃんが「逆モーション」と言ったとき、恥ずかしながらドキッとしてしまったことを告白しておく。

もう一つ偉かったのは、愛ちゃんが卓球について「50メートル走をしながらチェスをするようなスポーツなんです」と言ったことだ。まわりのゲストたちは初めて聞くその表現に感心して面白がっていた。

愛ちゃんが知っているかどうかわからないが、この表現の原典はもちろん我らが荻村伊智朗である。

1988年ソウル五輪のとき、荻村はイギリスのアン王女に「卓球とは100メートル競走をしながらブリッジをするみたいなものです。大変なアスレチック能力と、そして同時進行形で、最高の知的能力を要求されるスポーツですよ」と解説をしたのだそうだ。するとアン王女は「それでは、わたくしの卓球のレベルは、50メートル競走をしながらポーカーをするようなものですね」と言ったという(『スポーツが世界をつなぐ』荻村伊智朗著、1993年岩波ジュニア新書)。荻村はこのアン王女の答を「なかなかユーモアがあります」と評している。この、どこからどこまでが自慢話で、どこに感心したらよいのかとらえどころのない話が、この表現の原典なのである。なお、荻村の文中にあるブリッジとはトランプの『コントラクト・ブリッジ』のことで、ものすごく高度な駆け引きが必要なゲームである。

もちろん愛ちゃんがこんなウンチクを知っている必要はないが、こういう背景を知っている私はことの他楽しかったのである。

偉大なり荻村伊智朗。

気絶レベル

職場の同僚から「昨夜自分も数えたみたら10数えられなかった」とメールが来た。
・・・気絶レベルだよそれじゃ。

数えられない

自分がどれだけ早く寝入っているのか測定するため、最近、布団に入って目をつむって寝る体制で心の中で数を数えてみている。速さは適当だが、感覚は1秒より短い。100まで数えたら止めようと思って始めたのだが、なんと、どうしても100まで数えられない。40ぐらいまでは余裕で、100なんか軽いと思うのだが、ふと気づくと数えるのをやめている自分に気がつく。そして80までも数えていないことを思い出す。こうなると精神力で意地でも寝ないようにして100を数えてやろうと思うが、何度数え直しても失敗し、ついには意識がなくなって朝を迎えるのだった。いまだに100を数えられていない。 

これはつまり、寝るまでに1分ぐらいしかかかっていないということだ。子供じゃあるまいしなんということだろうか。
不眠症の方には大変申し訳ない。

綾小路きみまろ、そして郷ひろみ

綾小路きみまろなんてのも出てきたが、本物を知らないのでなんともいえないが、やはり観客席をしきりに指差していた。

そして最後に出てきたのが自身も「似てません」と太鼓判を押す郷ひろみだ。

「アーチーチー」という振り付けを観客に強要し「全員がやらないうちは帰らない」「どっかの公演のときは7回やって飛行機に乗り遅れた」と言っていた。郷ひろみのはずが、途中からダミ声での観客への執拗な要求の方がメインとなり、なんともはやバカバカしくも異様な面白さで周りの者たちと顔を見合わせていた。

ネットで調べてみたら、この人、物まね芸人22人を束ねている社長だという。その22人とはどういう人たちなのだろうかと興味がわくが、それ以上深入りする勇気は私にはない。

桑田佳佑、和田アキ子、美川憲一

谷村新司をしばらくやった後は桑田佳佑、和田アキ子、美川憲一と立て続けに出てきたのだが、似てるも似てないも、そもそもこの人、メーク以外はほとんど同じように尻を振ったり観客を指差して拍手を要求したりで、本人がどこまで意識しているかわからないが、物マネとは別の可笑しさが漂っていた。

美川憲一にいたっては、鼻から伸びる風船みたいなのを出したりして、マネをしていること自体がわからなかった。

ダンシング谷村

昨夜は会社の『秋祭り』と称するイベントがあり、体育館で飲み食いをした。

ゲストの芸人が何人か来たのだが、その中で「ダンシング谷村」という物マネ芸人が面白かった。
何が面白いって、本人が最初に断っている通り、とにかくあんまり似ていないのだ。
谷村新司はメーキャップにも力が入っていて似ているのだが、その顔で谷村新司の曲を歌う以外には特に面白いギャグを言うわけでもないが、このようなイベント、つまりファンでもない人たちの前に呼ばれて場を盛り上げるというとてつもない難題を前に、諦めと開きなおりが混じった「どうでもいい」という感じが、そこはかとない悲哀と共感を呼び、結局はとても面白かったのだ。

年間170回以上の公演をこなすというから、これがこの人の芸なのだろう。

それにしても自分で選んだ道とはいえ、芸人とはなんと難しい仕事なのだろうか。

木製腕時計

いつも商品をおちょくってばかりだが、この製品に限っては本当にほしい。

私は常々、木材製品に愛着を感じていたので、本来、金属部品がメインであるはずの腕時計に使われるとなるとなんとも楽しい気分になる。まさか内部のネジやギアまで木製ではあるまいが、こうして外側が木製なだけで楽しい。

しかし買いはしない。趣味ではない腕時計まで買っていたらお金がいくらあっても足りない。でも触ってみたい。誰か買ってみて頂戴。

それにしても随分と貧弱で汚い腕をモデルに使ったもんだと思ったら、木だった。

寝言録音

寝言やいびきを録音する機械で、文字通り「寝言」のような商品だが・・・実は私はこれは本気で欲しい。こんなに面白いものはないではないか。

あとは「買うほどのものか」という話になる。うーん。スキを見て買いたいものだ。

誰か金あまってる奴、買ってみてくれー。

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