月別アーカイブ: 12月 2007

久しぶりに卓球

ウォレンからメールで誘いがあり、久しぶりに卓球の練習をした。まともな練習は4ヶ月ぶりぐらいだ。行ってみると、ウォレン、チャック、キースの他に、ペンサコーラというところから車で3時間もかけて練習に来た人が二人いた。9時には来ていたので6時に出てきたことになる。本当に好きなのだ。

12時になってヘトヘトになっていると、「これからダブルスをやろう」と言う。これ以上やったら死ぬので帰ってきた。「お前は何歳だ?」「43だ」「私は56だ。どうしてそんなに疲れるのだ?」といういつものやり取りがあった。6時にペンサコーラを出てきた56歳が3時間以上も練習をするのだ。たいしたものだ。

かえりにロビーを見ると、キリスト誕生の様子を再現した飾りがあった。ペプシコーラの自販機の隣にあるのが違和感がある。そういえばもうすぐクリスマスだ。なにしろ神様の誕生日なのだから重要なのは当然だ。それにしてもこんなところにまで神様かよ、と思っていたらその体育館は教会の施設だったことを思い出した。それじゃ仕方がない。

テレビと本

アメリカに来てからテレビをすっかり見なくなった。英語だから見ても分からないということもあるが、アメリカ在住の日本人のための日本語放送も1チャンネルだけあって契約したのだが、半年間にまったく見なかったので先日解約してしまった。

どうして見る気にならないのか考えてみると、パソコンのインターネットで十分な情報が得られるし、日本で見ていたような好きな番組はどっちみち見られないからだ。日本で必ず見ていたものと言えば、「世界まる見えテレビ特捜部」とか「BSマンガ夜話」とか、ときどきやるNHKの海外ドキュメンタリーなどだ。こういうものが見れないので、テレビを見ないということになる。

その反動で、ネット販売やネットオークションで本やDVDを沢山買っている。「トリック」「ビートルズアンソロジー」のDVDをすべて揃えたし、「がきデカ」「トイレット博士」といったマンガの抜けた巻を買い足して揃えようとしている。「がきデカ」は今読んでも面白い、奇跡のようなギャグマンガだ。「キャプテン」もまた、言葉で言い表せない凄いマンガである。

一番思い入れが強いのは「トイレット博士」で、小学校高学年から現在まで何百回読んだかわからないほど好きだ。しかし今では廃刊なので、抜けている巻が手に入らない。その抜けている巻を古本屋で見つける夢を今まで何回も見た。
それで、先日ネットで検索していたら、なんと廃刊になっている本をどうにかして勝手に製本してしまうというサイト「復刊ドットコム」http://www.fukkan.com/fk/index.htmlというのを見つけた。そこで「トイレット博士」の抜けている巻をすべて注文してやった。届くのが楽しみだ。

北九州出身の伝説のロックハンド「ルースターズ」のCD28枚DVD5枚ボックスセットも買った。

これらに加えて、もともと持っていた本やビデオを繰り返し見ながらブログや卓球王国の原稿を書いたりしていると、時間が足りなくてゴルフどころか卓球もできない。かといって睡眠時間を削る気はない。人類の知の集積である文学も少しは読まないとダメだろうと思い、三島由紀夫、川端康成、大江健三郎、阿部公房、夏目漱石といった有名な人たちの文庫の名作も買ってきたがさっぱり読めない(私は小説というものはほとんど読んだことがない。評論や主張は好きなのだが、小説は話が頭に入らないのだ)。

トイレット博士を何百回も読んでいて言うことではないが、つくづく『人生は短い』。

双子の話

我が家の長男と次男は一卵性双生児だ(次男がイチロウというヒネリ入りだ。もちろんイチロウとは「伊智朗」である。名字と「伊」がかぶっているのだが、そこまでして荻村伊智朗の名前をつけたかったという過剰さが良いのだ)。自分の子供が双子だと分かったとき、こんな面白い偶然が自分の身に起こるとはなんて幸運なのだろうと、宝くじに当たったような気がしたものだ。

双子だとわかってから本などで調べて、いろいろなことがわかって面白かった。まず、双子の確率だが、一卵性の場合は、250出産にひとつだそうだ。これは、家系、民族、国によらず世界中でほぼ一定の確率なのだという。一方、二卵性の場合には家系、民族、食べ物、薬物などによる影響がかなりあるのだという。私はこれまで子供が双子だと言うと「親戚に双子いるんですか?」と何度も聞かれたが、そのたびに「一卵性の場合は人類共通で1/250の確率なんで、家系は関係ないんです。私の親戚に双子はいませんが、仮にいたとしてもそれは偶然です」と答えてきた。大体の相手は話の途中から見る見る興味をなくしていくのが顔色からわかり、ちょっと欲求不満である。話し方が悪いのだろうか。

双子の違いを見ると、遺伝子が影響をおよぼす範囲がわかって面白い。指紋、ホクロ、毛の生え方などははっきりと生まれつき差がある。これらは遺伝子という設計図がコントロールできない物なのだ。これに環境の差が加わって、結局はかなり差が出ることになる。身長、体重、知能などはかなり似ている。性格はそれらに比べると相当に違うが、大きく見れば似ている方だろう。

双子だとテレパシーなどあるのかと思われがちだが、そういう片鱗はまったくない。単に遺伝子が同じだけの別の個体なのだから当然である。日本人どうしは外国人と比べれば近い遺伝子をもっていて顔も似ているが、だからといってテレパシーに近いものがあるかといえばまったく無い。それと同じことだ。人間と動物の比較でもよい。
もちろん、同時に同じことを言ったり、好みが同じと言うことは沢山あるが、遺伝子も歳も環境も同じなのだから、そういうことがあるのは当たり前である。無いほうがおかしい。

世の中には、双子のお母さんの会というのがあることを知った。どこから紹介されたか忘れたが、すぐ近所にもあったのでおそらく全国いたるところにあるのだろう。たしか、市が斡旋をしている会だったと思う。そういう公的な会なのだ。双子のお母さんならではの苦労を相談したり協力する会のようだ。なかでもなるほどと思ったのは服である。誰かからお下がりをもらおうにも、双子用の揃ったお下がりをくれる人など普通はいないからだ。双子の会に行けば、これらが豊富に手に入るというわけだ。もっとも我が家の場合は、特に揃えようとは思わなかったので、もらいもの以外は双子で揃えて買ったことはほとんどない。いつもバラバラである。
双子用のベビーカートは、双子のお母さんでも持っている人はほとんどいなくて、ベビー用品のレンタル屋で借りることを教えてもらったりした。横に並んだのと縦に並んだものがあり、我が家では横に並んだのを借りていた。

他にもいろいろと子育ての相談をしていたようだが、私が覚えているのはこれくらいだ。双子を持たなければ一生その存在を知らなかったであろう会が、実はあちこちにあるなんて面白い。さすがに三つ子以上の会はあまりないと思うが。

*写真は10年以上前のもので、創刊まもない卓球王国に載せてもらおうとして撮影し、見事載せてもらったものだ。

もうひとつの韓国レストラン

隣町のデルビルというところには、3つの韓国レストランがあることを知っていたのだが、赴任してから偶然、4つめを見つけた。名前はchoi’sと書いてチョイと読むらしい。

最初に見つけたときは、すでに食事の後だったので、メニューだけもらってきて料理を確かめることにした。このメニューが困ったメニューだった。普通は、こういう外国料理の場合には、料理の名前の後などに「ビーフの焼いたやつ」とか、「魚の煮たやつ」とか、料理の内容が書いてあるものだが、なんとこの店のメニューには、韓国語の後にアルファベットでその発音だけが書いてあるのだ。こんなメニューで一体どうやって選べというのだろうか。料理の内容はともかく発音だけはちゃんとしろということか。

そこで、食い物については並々ならぬ情熱を持っている妻が、インターネットを駆使してそのメニューを解読することに成功した。こんなメニューでよく探せたものだ。すると、メニューの中には、この辺りでは食べられないと思っていた冷麺や、ジャジャ麺、みそラーメンらしきもの(soy bean noodle soup)があることがわかってきた。

それで何週間か後に行ってみた。みそラーメンらしきものを注文すると、ウエイトレスが「誰も頼んだことがないのでできるかどうかわからない」と言う。厨房から戻ってくると、案の定「できないって」と言われた。できないものをメニューに載せておくのはこの辺りでは当たり前である。その上、メニューにないものが出てきたりする。違う店でそっくりのメニューもよく見るので、どうやらメニュー業者が作ったものをそのまま使っているだけだと思われる。

冷麺とジャジャ麺は意外にもとても美味しく、日本で食べるそれらと変わらない味であった。他にもうどんと天ぷらのセットなど、日本風なメニューもあり、もうちょっと近かったらもっと頻繁に行きたい店である。

郁美さんとスタン帰国

郁美さんから、無事帰国したとのメールが来た。一ヶ月ほど旦那さんのスタンと一緒に日本に里帰りをしてきたのだが、スタンはかなり卓球を楽しんだらしい(10/29参照)。

卓球王国のサイトで宣伝されていた石の卓球台にも行ったようだ。また、阿佐ヶ谷のタマス本社を訪れたそうで、突然の訪問にもかかわらず、丁寧に社内を紹介されたと喜んでいた。卓球の施設などないアメリカしか知らないスタンにしてみれば、歴代チャンピオンの用具や本が飾ってある資料コーナーなど夢のようだったに違いない(私の卓球本コレクションを見ただけでoh my god!というくらいだ)。「この世に極楽があるとすれば、それはここに違いありません」と一番弟子の戸田がニッタクに就職したときに書いてきたことを思い出す。

どこから聞いたのか、高田馬場の国際卓球にも行ったそうだ。そこで卓球王国を立ち読みしたら、ちょうど私が郁美さんとスタンのことを書いた号で、それを店員さんに言うと、記念にとプレゼントしてくれたという。よかった。

その後、郁美さんの実家のある北九州市に一ヶ月滞在したそうだが、あらかじめ練習をお願いしていた北九州市立大学卓球部の皆さんにとてもよくしてもらったとのことだ。練習だけではなくて、飲み会などにも誘ってもらい、最後には色紙や刀のプレゼントまでもらったという。よい人たちで本当によかった。

このような、全然知らない人たちと卓球とネットを通じて親しくなれるのだから、楽しいことである。まるで自分のことのように嬉しくなった。

またまたデビッドの話

車中、「奥さんと口論になったとき、自分が間違ってたらすぐ認めるか?」とデビッドに聞いてみた。彼は「もちろん」と言った。どうしてそんなことを聞いたのかと言うと、どうも仕事ではそうは思えない経験をしているからなのだ。

赴任して間もない頃、デビッドが、ある商品の原材料が足りないという。一緒に確認してみると、単にその原材料の数え方の誤解であった。その商品は、原材料を多く使うモデルと少なく使うモデルがあるのだが、我々は、原材料の数量を表現するのに、あるモデルが何個できるかを基準に○○個と表現している。デビッドは、基準とすべきモデルを間違えて計算したので、原材料が足りなくなったように見えただけだったのだ。

これを私が説明すると、彼は「いや、言いたいのはそんなことじゃないんだ」と言う。なにやら紙を持ってきていろいろな図を描いて説明を始めた。「他に何かあるんだろうか」と思って聞いていると、「あるモデルに原材料がどれだけ使うかは、我々は○○gというように決めているが、誰かそれを実際にバラして測定して確認した人はいるか?」と始まった。どう考えても、最初の話と関係がない。こんな明らかな脱線をどうしてするのだろうか。「もしかしてこの人は、関係ない話をして自分の間違いをごまかそうとしているのではないか」と思い始めた。それにしてはあまりに露骨なので、そんなはずはない、何か意味のあることを言おうとしているんだろう思って我慢をして聞いていた。しかしどうも、そうではないことが薄々分かってきた。時間も経っているのでとうとう、「でも、それと基準モデルを間違えたこととは関係ないですよね」と言った。

彼は「お前、ロックが好きなら、レイナード・スキナードを知ってるか」とまた関係のないことを言う。彼によると、レイナード・スキナードは、飛行機事故によって全員が死んだのだが、その事故の原因は、そういう細かいことの確認を怠ったからだという。

うわ。か、関係ない。関係ないことを言ってごまかそうとしているのだ、この人は。これがアメリカ人なのか?!

ついにデビッドは、「製品をバラして原材料の量を測定しないかぎり真実は藪の中なんだよ」と言うに到った。何の解決にもならない・・・。

そこまで聞いてから私は「ところで、この製品の場合は、基準モデルで計算すれば原材料はちょうど合いますから問題ないですよね」と言った。デビッドはすました顔で「それはそうだ。お前は100%正しい」と言った。

ここまでくるのに、30分を費やしたのだった。これでは警察も「わかったからもう行け」と言いたくなるわけである。こんなデビッドが奥さんとの口論ではすぐに間違いを認めるとは信じられないのだが。

またデビッドの話

朝6時にラレードのホテルを発ち、来たときと同じようにデビッドとサンアントニオ空港までレンタカーを運転し、そこから飛行機で、アトランタ→ドーサンと乗り継いで帰ってきた。

サンアントニオまでのドライブ中、デビッドが前日のメキシコ料理の影響で、急激な便意をもよおしてマクドナルドに緊急停車した。「しょうがないなあ」と思っていると、その30分後には私が脂汗を噴き出し、見知らぬホテルに駆け込み、同様に尻を熱くした。

車の中でまたいろいろと話した。先日のスピード違反のことを妻に言って怒られた話をすると、デビッドは「日本女性もアメリカナイズされて強くなったんだろう」と言う。デビッドの奥さんは典型的なウーマンリブの世代で、とても強いのだと言う。アメリカでも日本と同じで、デビッドの親ぐらいまでの世代では、妻は夫の言うことには必ず従うものとされていたそうだ。「なぜ」などという疑問は許されず、とにかく夫が指をパチンと鳴らして「やれ」といえばやるしかないのだという。デビッドの奥さんはそういうことが間違っていることに気づいた世代で、強烈にそれを嫌っているらしい。

ずいぶん昔、デビッドの親戚の集りでのことだ。デビッドの姉夫婦も来ていて、これがやはり古いタイプの夫婦だった。妻がハンバーグを焼いて夫に差し出すと、夫はそれを手にとって食べる前に「私がこれを食べ終わるまでにもうひとつ焼いておきなさい」と妻に言ったのだという。妻はまだ自分の分も焼いていないし当然食べてもいない。この光景を見ていたデビッドの妻は、怒りのあまり両腕がブルブルと震え出したのだという。

今でもときどきその時のことがギャグのネタとして使われるらしい。デビッドが妻に料理を差し出されると、それを食べる前に「このスパゲッティーを食べ終わるまでにもう一皿用意しておきなさい」とわざと言うと、妻は「OK、一生待ってなさい」と言い返すのだという。もちろんこれは、デビッドがわざと言っているとわかっているからであって、もし本気でデビッドがそんなことを言ったら大変だという。

この話に私が喜ぶと、またもやデビッドは携帯電話をスピーカーホンにして妻に電話をかけ始めた。デビッドはチリという料理が好きなのだが、妻は寒いときにしかこれを作らないのだと言う。それで、ドーサンは今夜は寒いはずだから、家につくまでにチリを作って用意しておいてくれ、と言った。デビッドの妻は自宅でベビーシッターをしているので、こういう、彼女の都合を無視した一方的な要求に彼女は耐えられず、「一生待ってろ」というはずだというのだ。ところが妻は「材料があるか探してみるわ」などと親切なことを言ったのでデビッドは拍子抜けし、「今、日本人の同僚と話してたんだ。いつもの台詞を言ってくれよ」となった。

仲の良い夫婦なのである。

メキシコレストラン

最後の夜は、メキシコ側の町「ヌエボ・ラレード(新らしいラレードの意)」のレストランで飲み会を開催してもらった。メキシコ側の町に出るのは初めてだ。こういう場合は、現地会社のセキュリティー担当のメキシコ人の社員が帯同してレストランに行くことになっている。なにしろ二つのマフィアがそれぞれ別のグループの警察と癒着していて、その抗争で2,3年前までは毎日のように警官が殺されていたという町だから危険なのだ。彼らに「格闘が上手いのか」と聞くと、「いや。早く逃げられるだけだ」という。そういうセキュリティーか。

当然メキシコ料理店だったが、内装などは日本でもいくらでも真似できるわけで、特に珍しくはなかった。しかし出てくる料理はやはりもの珍しく、しかもとても美味い。もっとも私の「美味い」は誰の信用もない。だいたいのものは美味いのだから仕方がない。

どれもこれも辛いのだが、油断して写真に写っている青唐辛子を1cmばかり食べたら、その他のものの10倍ぐらい辛くて涙と鼻水が出てメガネは曇りしゃっくりが止まらなくなった。ひどい目に会った。
デビッドがその青唐辛子に塩を振りかけて私に差し出して「そこのメキシコ人に『お前が本当の男ならこれを一気に食ってみろ』と言ってみろ」という。冗談ではない。どうして私が、親しくもない、怖ろしげな顔をしたメキシコ人にそんな挑発をしなくてはならないのか。ぶん殴ってくれといっているようなものではないか。デビッドは私を騙そうと、やけに真面目ぶって勧めてくる。困ったオヤジだ。

隣の席にいた現地会社のメキシコ人に、辛味についていろいろと聞いてみた。メキシコ人は、子供でも辛い物を食べるのだろうか。彼によると、さすがのメキシコ人も子供はこんな辛いのは食べないという。だいたい12歳ぐらいから食べるようになると言う。それなら日本人のわさびと同じようなものだ。
また、我々日本人は、極端に辛いものを食べると翌朝、便所で尻が辛い目に会うわけだが、なんとメキシコ人もそれは同じだと言う。365日、毎日辛い物を食べては毎朝辛い思いをしているのだという。体が対応するわけではないらしい。
するとデビッドがまた、日本から出張してきている女性たちを指して「あのウーマンもそうなのか聞いてみろ」と言う。まったくしょうがないオヤジだ。

面白い英語を教えてもらった。shit faceというのだが、酒を飲んでベロンベロンになった顔のことをいうらしい。デビッドが、酒を飲んですっかり正気を失っている日本人を指して「あれがshit faceだ」と解説してくれた。もっとも、酒を飲んで真っ赤になった私の顔もshit faceだと言っていた。この単語、彼らはとても可笑しいらしく、私が使うとその都度大笑いしてくれる。これからも上手く使おうと思う。

ホッケー観戦

仕事が終わった後、現地の人に案内されて、アイスホッケーの試合観戦に行ってきた。本物の試合を見るのは初めてだ。荒いスポーツだと言うことは聞いていたが、本当によく乱闘になった。たった20分間の1ゲームの間に取っ組み合いの喧嘩が3回もあり、その都度そいつらは退場になっていくのだ。しまいには片方のチームが3人だけになったままでゲームを続けたりしている。

見ていると、アイスホッケーにはサッカーのようにボールが場外に行ったりすることがなく、リンク内はすべて有効なので、喧嘩でもないことには選手は滑りっぱなしである。休むためにわざと喧嘩してるのではないかと思ったほどだ。

観客も、得点が入ったときよりも喧嘩が始まると総立ちになって奇声を発する。どうもそれが楽しみで見ているように思える。ベンチにいたスーツ姿の監督もこれまた救いようのない気の短さで、ことあるごとに全身を使って怒鳴っていた(もちろんこっちが負けているのだ)。おそらく、彼も元選手で、現役時代は猛牛のように荒くれていたのに違いない。まったくもってそういうスポーツなのだ。そういう気質の奴が選ぶスポーツだから監督までそうなのだなと納得した。

中学のとき、ある二人が教室で取っ組み合いの喧嘩を始め、組み合ったまま床に寝転がった。私は、この興奮しきっている二人がどれだけ外乱に耐えられるかを試したくなった。近くから小突いてみたりしても二人はまったく私のことなど眼中にない。それで、今度は黒板消しを二人の顔の前で叩いてみた。さすがに気づいたようで、組み合いながらも顔をそむけて「止めろバカ」などと私に文句を言ってきた。私は「お前ら、喧嘩してるんだろう。俺のことなど気にしないで相手に集中しろ」などと理屈にならない理屈を言いながら、今度は机を逆さにして二人に載せてみた。

だんだん他の見物人も同調してきて、みんなで机を重ね始めた。二人の上に机が5つぐらい重ねられたのを見てなんだか怖ろしくなり、二人が正気に返る前にと、私は教室を出たのだった。

その後どうなったかは覚えていない。

ラレードの国境にて

朝晩と、国境を越えて会社に行ってきた。行きは8人乗りのバンだったが、帰りは徒歩で国境の橋を渡った。銃を持った警官がいて、パスポートを出して国境を越える。赴任者たちは毎日これを繰り返して会社に通っているわけだ。

夕方になると日本から4人の出張者がきて合流し、夜はメキシカンレストランで夕食を食べた。そのうちの一人は同期入社の女性で、なんか感じが変わったと思ったら、メガネをしていない。聞いてみると、コンタクトレンズにしたのだという。実はそもそもがコンタクトレンズであり、その方が良く見えるのだが、今の対外的な仕事の都合上、若く見られると舐められるので、ふけて見えるようにわざとメガネにしていたのだという。最近は歳をとってきたのでその必要がなくなり、めでたく、コンタクトに戻したのだという。なんとも見上げたプロ根性である。

とは言いながら、それを聞きながら隣の秋本君と「捨ててるよね」とささやき合ったのだった。

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