年別アーカイブ: 2008

ビートルズ・パズル

本屋でアナログレコードと同じ大きさのビートルズのアルバムが置いてあると思ったら、パズルだった。何のパズルか分からないのだが、500ピースと書いてあるのでおそらくジズソーパズルだと思われる。

よりによってホワイト・アルバムのジズソーパズルというところが洒落が効いている。だってこれ、無地なんだもの。このアルバムの正式なタイトルは『ザ・ビートルズ』だが、白無地ジャケットのために、一般的にはホワイト・アルバムと呼ばれている。もっともこのパズルには、左上や下の方に、オリジナルには入っていない文字があるので、完全な無地ではない。さすがにこういうものは私は買わないのだ。荻村伊智朗のジグソーパズルがあったら珍しいので買うと思う。

セレブリティ・ピンポン

本屋に行ったのにはわけがある。
王国編集部の友くんから、ハリウッドで卓球がブームで、「セレブリティ・ピンポン」という雑誌まで創刊されたという情報が入ったのだ。http://www.mtvjapan.com/news/cinema/14861

それで本屋に行って雑誌のコーナーを見たのだが、見つからない。仕方がないので店員に「セレブリティ・ピンポン」という雑誌があるかどうかを聞くと、「ピンポンの雑誌ならここだ」と案内された。その雑誌じゃないにしても、卓球の雑誌があるなら嬉しいことだと思ってそこを見ると「ペイントボール」の雑誌だった。またか・・・。こういうことはしょっちゅうだが、やはり慣れない。

本屋の光景

今や日本のマンガは世界中から注目され、アメリカでもポピュラーになっている、などとマスコミはかなり前から言っていたが、実際にドーサンで本屋に行ってみると、日本のマンガなどごくわずかしか置いてないし、知っている人もいない、というのが8年前にここに来て感じたことだった。

先日、ひさしぶりに同じ本屋に行ってみて驚いた。途方もない量の日本のマンガ(もちろん英語版)が置いてあるのだ。通りの一列がみんな日本のマンガだった。こんな田舎でそうなのだから、どうやら本当に日本のマンガはアメリカでポピュラーになっているらしい。ちなみに、どの本も日本と同じく、ページもコマもコマ内の時間経過もすべて右から左へと進行していて、ただ書かれている字が左から右へと読む英語になっていた。値段は一冊8ドルとやはり高い。

テレビでは深夜の時間帯に、ナルト、犬夜叉、ブリーチ、ワンピース、デスノートなどをやっている。暴力シーンがあるからか、すべて大人用の放送になっている。8年前には巨人の星、キャンディキャンディなどしか見なかったので、この間にかなり日本のアニメもポピュラーになったものと思われる。

「ヤオイマンガ」と書いてあるマンガが気になったが、いったいどういう了見だろうか(UFOじゃないぞ)。

メモ紙

ビートルズファンの宮根さんが、シルクド・ソレイユという劇団がビートルズをモチーフとした「LOVE」というショーを見てきた。写真のようなメモ帳をお土産に買ってきてくれた。なかなかよい。

雑誌『卓球界』

ネットで注文した雑誌『卓球界』が届いた。1950年の月刊誌だ。

まだ日本は世界選手権に参加しておらず、荻村伊智朗が高校一年生で卓球を始めようというころの雑誌だ。「50年の歴史ある日本の卓球は世界に通用するか」などと書いてある。それから今日まで58年経っているわけだから、この雑誌の時代は、1902年に日本に卓球が伝来してから今日までのだいたい中点ぐらいに位置するわけだ。この雑誌の向こうに残り半分の豊饒な歴史が横たわっていると思うと、なんとも感慨深い。

また、当時、全日本選手権を4連覇していた藤井則和選手が、大学の卒業試験で替え玉受験したことが発覚して除名された記事が載っている。さらに、タマス創業者の田舛彦介がまだ現役選手で、全日本選手権の混合ダブルスで優勝した記事もある。

それにしてもこの「連載卓球小説」はつまらない。

『小さい、速い、制御不能 (Small, Fast, Out of Control) 』

7年前の2001年、バタフライのホームページに、ドイツの映画学校の生徒が卓球を題材にした映像作品を撮って賞を受賞したとの記事が載った。http://www.butterfly.co.jp/news/category/archive/fw011018.html

「小さい、速い、制御不能(Small, Fast, Ouf of control)」という作品だ。どうにかしてこれを見たいと思い、記事を載せたタマスさんに問い合わせたが、わからないという。それで、卓球のDVDなどを作っている仁禮さんという知人に相談したところ、手を尽くしてくれて、結局、ITTFの榎並さんを介して、ドイツ在住の守永さんという方がテレビ放送をVHSテープに録画したもののコピーを入手することができた。

これが筆舌に尽くしがたい素晴らしい作品なのだ。題名は、もちろん卓球競技の恐ろしいまでの緻密な世界を表現している。この題名だけで、もうこの作品の監督が只者ではないことがわかる。今や世界のトップ選手となったドイツのエース、ティモ・ボルの成長期の卓球にかける日常を1年間追い続けたドキュメントだ。過剰な演出を排した淡々とした日常描写と、挿入される卓球の映像のバランスがすばらしく、なぜか泣けてくる。ボルが自分のフォアハンドの連続写真のパラパラマンガを無心にめくるところなど、演出に決まっているのだが、演出に見えないひたむきさがある。窪塚洋介主演の映画『ピンポン』と同質の感動があるが、すべてが本物な分だけ勝っている。ちなみに、『ピンポン』のラストで主人公が挑戦するドイツのブンデスリーガが、この作品の舞台となっている。『ピンポン』に感動した人は、ぜひこの本物のドキュメントを見て欲しい。

今、世の中にあるすべての卓球の映像のなかで、最高の芸術的作品だろう。難点は90分とちょっと長いことと、ドイツ語なのでさっぱり意味が分からないことだ(後に守永さんが全訳をしてくれた)。

もっとよい画質で英語字幕でこれを見たいので、DVDが欲しいとずっと思っていたが、映画学校の生徒が作った作品では、DVDは出てないだろうとあきらめていた。しかし昨夜、ふと思って、ドイツ語の原題”Klein, schnell und auβer Kontrolle”でネット検索してみたら、なんとDVDが発売されているではないか。当然、英語の字幕付だ。もう、狂喜して注文をしてしまった。サイトがドイツ語ばかりでわけがわからなかったが、このDVDが手に入るなら間違って1万円くらい払っても全然かまわないので、適当に入力して、とにかく注文をした。

日本の卓球メーカーはぜひともこれの日本語字幕版のDVDを発売して欲しいものだ。売れないはずがないと思うんだがどうだろう。YouTubeでもずっと見つからなかったが、やはりドイツ語原題を入れたら出てきた。http://jp.youtube.com/watch?v=eoySyFLEd44
ちょっとこれを見ただけで、ただ事ではない映像作品であることが、卓球ファンならわかるはずだ。ボルもかっこいいし、音楽もたまらなくいい。すべての卓球ファンはこれを見るべきだ。これを見ないで何を見るのだ?という感じだ。

DVDの発売サイトはこちら。http://www.doccollection.de/index.php?cat=KAT01&product=002

もちろん、トラブルの責任は負いかねる。なにしろ私も昨夜注文したばかりなのだから。それにしてもこのDVD発売元、売る気があるんだろうか。ドイツ語ばかりのサイトでは、誰もこんな作品があることに気づかないではないか。世界中の卓球ファンがこんな作品を待っているというのに。

単板と合板

みなさんは「合板」という字をどう読むだろうか。

合板という字は、卓球選手にとって極めてポピュラーな日常用語だ。卓球のラケットはその材質の85%以上の重量が木とルールで決まっているので、一枚の木でできているのを単板、何枚かの木(通常、3枚~7枚)が貼り合わされてできているのを合板と読んでいる。

私のまわりの選手たちは、これらをあたりまえのように「たんばん」「ごうばん」と読んでいた。ところが、あなた、単板という字はパソコンでは変換されないではないか。それで広辞苑をみたら、そもそも単板という単語が載ってないのだ。「たんはん」「たんばん」「たんぱん」いずれでも出てこなかった。

次に合板を調べると、我々が慣れ親しんでいる「ごうばん」も広辞苑に載っていない。載っているのは「ごうはん」だ。ということは、卓球選手以外の人は合板を「ごうはん」と読んでいるのだろうか。しかしパソコンでは「ごうはん」「ごうばん」いずれも「合板」と変換されるので、一応、どちらも通用はしているようではある。ちなみに、ウィキペディアもやっぱり「ごうはん」としか書かれていないし、単板にいたっては載っていない。ただし、ネットで検索すると、各方面の専門用語として単板という単語は結構みつかる。しかしふり仮名が書いていないので、どう読むのが通例なのかはわからない。

卓球を始めて30年、今頃こんなことが分かるのは楽しい。

しょうもない夢

とてつもなくしょうもない夢を見た。

卓球王国の営業の宮内さんが、全日本マスターズの50代の部で村上力さんに勝って優勝した夢だ。宮内さんとは、これまで2,3回お会いしただけで、正味10分ぐらいしか話もしていないし、年齢も存じ上げない。卓球は6月に初めてお手合わせいただき、確か私が勝ったような気がするが、時差ボケのせいかよく覚えていない。そのとき、宮内さんはペンの攻撃型だったのだが、夢では、それは仮の姿で本職はカットなのだという。それがド強で優勝したというのだ。

それを聞いた私はわずかに嫉妬をし、「営業だとあんまり強いとお客さんに反感を持たれるので、弱い方がいいかもしれませんね」などとしたり顔で言った。

まったくしょうもない夢だ。宮内さん、すみませんです。

中田淳子 人形展

人形俳句写真でお馴染みの義姉が、生まれて初めて個展を開くことになった。なんでも、近くのそば屋さんでやるらしい。

人形の個展を開くことのできるそば屋というのがどうにも想像がつかないのだが、一風変わったそば屋のようである。

義姉は、個展を開くにあたって近隣にチラシを配って歩いたそうだ。途中で卓球専門店があったので、私のことを言えばチラシをおいてくれると思って飛び込んだらしいのだが、「知らない」と言われたそうだ。それで店にあった卓球王国を見せて「この人だ」と教えたところ、恐縮していたそうな。なんか、店主が気の毒だ。ともかくも、チラシは気持ちよくおいてくれたそうだ。

このブログを見ている人の中にこのそば屋さんの近くに住んでいる人がいるとは到底考えられないが、まあ、そういう人がいたら、そばを食べるついでに見てやってください。
http://www.urban.ne.jp/home/minca/

「人形景」 中田淳子展

日時:2008.12.4(木)~12.21(日)
木曜日~土曜日/AM11:30~PM3:00
(PM5:00以降は要予約)
日曜日/AM11:30~PM6:00

場所:蕎麦茶房 みん
広島市南区仁保1丁目37-24
TEL.082-209-2807

コラボレイションスタッフ:
・俳句=オオヒロノリコ
・オブジェ制作=藤原典子、坂本幸代
・家具制作=内藤さゆり
・会場制作=若見洋子、高橋尚子、片岡恵子

問合せ:UC*C-ミドリの風が吹く(山崎)
TEL&FAX.082-209-2807
E-mail=green-min@urban.jp

入場料:無料

なお下の写真は、チラシをおかれた気の毒な卓球専門店だ。ひさしに描かれた簡素な文字とラケットの絵が、なんとも哀愁を帯びていてグッとくるのは私だけだろうか。

小野田寛郎

小野田寛郎の『たった一人の30年戦争』を読んだ。
小野田寛郎といえば、私が小学校のころ、ルバング島で発見されて帰還した旧日本兵だ。てっきり、生き残るためにずっと逃げ回っていたんだろうと思っていたのだが、実際はまったく違っていた。

彼は、日本軍の諜報員(スパイ)養成学校「陸軍中野学校」出身の諜報員で、戦後27年間もルバング島にとどまっていたのは、敵から逃げるためではなくて、残置蝶者としてゲリラ戦を展開するためだったのだ。諜報活動には、敵に自分の存在を知らせて間接的に祖国の仲間に自分の存在をアピールすることも含まれているから、故意にたびたび地元住民の前に姿を表しながら「諜報活動」を続けたという。つまり小野田は、逃げて隠れていたのではなくて、信じがたいことに、ひとりで戦争を続けていたのだ。

陸軍中野学校は、その性質上、戦時中は存在をひた隠しにされており、関係者以外には親にさえその任務は知らせてはいけなかったという特殊機関である。人材は高等教育を受けたエリート集団で、天皇批判も国体批判も自由、忠誠を誓う相手はただひとつ「日本民族」だったという。どんなことがあっても玉砕は禁止、敵の捕虜になって偽情報を与えることが任務だったという。証拠が残るため、あらゆることについてメモは禁止だったので、ジャングル生活に入って20年目に新聞を拾ったとき、小野田のカレンダーは「6日ずれていた」ことがわかったそうだ。

小野田は日本のラジオや新聞の情報も得ていたが、なまじ諜報戦の知識があったために「これは敵の謀略だ、今の日本国家は敵国の傀儡政権だ」と敗戦を信じなかったという。日本政府は何度か上空からビラをまいたり拡声器で呼びかけたりして小野田の投降をうながしたが、運の悪いことに、ビラに字の間違いがあったり、小野田の父が小野田の弟の名前を書き間違えたりしていたことから「やっぱりこれは敵の謀略だ」と確信を深めるに至る。また、兄が大好きだった一高の寮歌を歌って本物であることを示したが、この一部が「調子っぱずれ」だったことからやはり敵の謀略だと判断したのだが、実は涙をこらえるために音程が狂ったのだとは小野田は知る由もなかった。

小野田は、痕跡をさとられないように2週間おきに居場所を変えていたが「旧日本兵のねぐら発見」「たき火跡を発見」などと書かれた新聞を拾って見ては「私はよほどバカだと思われているようだ。ブタや牛じゃあるまいし、ねぐらや足跡を残して三十年も生き抜けると思っているのか。せいぜいブタでも追っかけてろ」と笑ったそうだ。

結局、小野田が投降することになったのは、鈴木紀夫という青年探検家が現地にキャンプを張って粘り強く滞在して小野田と接触したことがきっかけだった。この鈴木青年が小野田さんに「27年前に戦争は終わっている」とどれだけ言葉を尽くしても鈴木青年のファッションや言葉遣いがあまりに「敵国製らしかった」ため信用できなかったと言うくだりが面白かった。

結局「上官の谷口少佐の命令があれば投降する」という小野田の言を受け、谷口元少佐を現地につれてきて「任務解除命令」をしたことによって、初めて小野田は戦争が本当に終わっていることを知った。この直前の小野田の考えも凄まじい。

「新聞によると、谷口少佐は宮崎県で本屋を営み、一市民として暮していると言うことだった。しかし、それはあくまで表向きで、市民を装いながら、裏では依然、諜報活動を続けているのではないか。軍の謀略関係者が、そう簡単に一市民に戻れるはずがない。(中略)谷口少佐は、私がどのような命令を与えられ、ルバング島に赴任したかを一番よく知っている人物だ。それを知りながら、いまなお「任務解除」の命令を伝えないのは、残置諜者として私をこの島にとどめておく必要があるからにちがいない。」

小野田はもともとバリバリの軍人だったわけではない。召集される前までは、貿易会社で中国湖北省の漢口支店に勤めており、英国製の背広を着て米国製36年型スチュードベーカーに乗って夜のダンスホールに入りびたっていたという。「どうせ二十歳になれば召集」と刹那的に遊びまわっていたそうだ。そういう人間が、陸軍中野学校に入って命令を受けたからといってその責任感だけで27年間もジャングルで任務を遂行する、こんなことが人間に可能なのだろうか。この本を読んでから、朝起きるときや夜寝るとき、小野田さんの生活がどういうものだったのかということを考えずにはいられない。いくら考えても想像がつかない。本当に凄い人間がいたものだ。

小野田が帰還したときの記者会見で「ジャングル生活で一番辛かったことは」との質問に「戦友を失ったことです」と答えた(投降の2年前まで、小塚一等兵と二人で諜報活動をしていたが、地元軍によって狙撃された)。「楽しかったことは?」と聞かれ「今日の今までひとつもありません」と答えた。兄の格郎の言葉「父上、寛郎は気違いです。そうでなければ、戦場で三十年も生き抜けなかったと思います」という言葉どおり、ある意味でこの人は狂ってると思う。しかしその生き様には、感動で身震いを禁じえない。生きているうちに会いに行きたいと思うが、そのチャンスはたぶんないのだろう。

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