年別アーカイブ: 2013

青森の卓球人

翌朝は、東アジアホープス大会の青森予選会場に行って、開会式でレーティングの簡単な説明をした。

そこで大会運営をしていた方と話したのだが、なかなか印象的であった。まずこの方「青森卓球連盟で仕事を初めて52年です」というのだから尋常ではない。1977年に世界チャンピオンとなった河野満を「青森商業にひっぱった」というのだから歴史を感じる。

青森といえば、私が卓球王国3月号に書いたとおり、卓球界の偉人が目白押しだ。古くは福士敏光、今孝、宮川賢次郎、佐藤博治から始まり、渋谷五郎、成田静司、村上輝夫、河野満とまったく切れ目がない。近年の青森山田は別として、とにかく青森の卓球はお話にならない強さである。

その方に「どうして青森はこんなに強いんですか」と聞くと「雪で外に出られないし他にやることもないから」となんとも率直な答え。やっぱりそうか・・・。その虚飾の無さにこそ、ゆるぎない自信を感じたのであった。

青森の夜

金曜の夜から土曜にかけて、日本卓球協会のレーティングの普及活動のため、青森に行ってきた(推進チームのメンバーなのだ)。青森にはずっと前に車で浅虫温泉というところに行ったことがあるだけで、新幹線で行くのは初めてだった。最寄の駅から青森駅まで3時間弱もかかり、同じ東北なのにこんなに時間がかかるのかと思った。

ホテルは「ホテルアベスト青森」というところで、一泊3700円と異様に安かった。カプセルホテルでもない普通のホテルだ。他のホテルの値段を見ると、普通に6000円とか7000円なので、青森の相場が安いということではなく、そのホテルだけが異様に安いのだ。行ってみると、多少古いが、なに不自由のない立派なホテルだった。ただ、旧名である「ホテルアラスカ」という看板がデカデカとあり、どこがホテルアベストなのかわからず、ありもしない「ホテルアラスカの間の入り口」を探してしまったのが困ったくらいだ。

夕飯はホテルの人から紹介された近くの居酒屋にひとりで行った。ホテルからの紹介券をもっていくと10%引きだという。

店名は書かないでおくが、なかなか味わい深い店だった。お勧めは何かと聞くと、ホタテ焼きだという。青森ならホタテが有名だと同僚から聞いていた通りだ。ここの女将さんが「生きたままのホタテを出す」と強調したのが可笑しかった。注文をすると、その生きたホタテとやらが貝殻の上に乗って出てきて、火をつけられた。生きているわりにはピクリとも動かないので「動きませんね」と言うとその女将さん、「まだ熱いのに気がついていないんですよ。今に動きますよ」と言った。ホタテが何かに気がつくという発想が面白く笑いを堪えきれない。

しばらく沸騰するまで見ていたが、ついにホタテが動くことはなかった。「動きませんね」と言うと、「ホタテから汁が出てきたでしょう。これが生きていた証拠なんです。熱いから動いて汁を出したんです」と言う。動くというのは初めからそういう意味だったのか、本当は死んでいたのか、確かめるのも気まずいので、それ以上は追求しなかった。

食べてみると美味しかったのでよかったのだが、それにしても本当は死んでいたのだろうか生きていたのだろうか。動かないのは最後までホタテが「気づかなかった」からなのだろうか。古代から貝殻を山と積み上げられるほど人間にいとも簡単に獲られて食われ続けてきた貝類というものの、自己犠牲と間抜けの生態に思いを馳せた青森の夜であった。

ブレる男

昨日、例の「ブレる男」Nとエレベーターで一緒になった。ふと見ると、普段はかけていないメガネをしている。「あれ?メガネかけてたっけ?」と聞くと、なぜかその質問には答えず、気落ちしたように「メガネもブレブレです」と言った。

冗談なのかなんなのか意味がわからないが、ともかく面白かった。

ところで先日来、人の性格について「ブレる」とか「ブレない」とか表現されるのを見聞きすることが多く、一種の流行り言葉であることに気がついた。しまった。私は流行り言葉を使うのはとても嫌なのだ。自分が考えた言葉や用法でなければ辞書に載っている言葉以外は使いたくない。不良たちが使う省略形はもちろん「心が折れる」「元気をもらう」などという、何か気が利いたつもりのような奇妙な比喩も絶対に使わない。軽薄な感じが嫌なのだ。

私はNが「ブレない人」と言ったとき、オリジナルの上手い表現をしたものと思って面白かったのだが、流行り言葉だと知ってがっかりしてしまった。そういう言葉を使うということが「ブレる」ということだとNに教えてやらねばなるまい。あ、使ってしまった。

鋭利なラケット

近所のホームセンターで卓球のラケットを見つけた。ラケット2本にボール3個にケースまでついて、なんと598円。殺人的な安さだ。「本物の臨場感!」「白熱のゲームで大興奮!」とか書いてある。実際に卓球をすれば臨場感があるのは当然だわな。そもそも臨場感の意味、わかっとるのかいな。

次に気がついたのは、このラケットの異様な鋭さだ。ラケットの角が鋭い鋭い。指が血だらけになること間違いなしだ。指に刺さる棘も一本や二本ではなさそうである。そういう意味では598円でも高いといえるだろう。

大倉くんのお父さん

昨年末に、中学で卓球部の顧問をしている青山さんと酒を飲んだとき、面白い話を聞いた。

卓球部に入っていなかった生徒で大倉くんというのがいたのだが、その大倉くんのお父さんが卓球が上手だという話が耳に入ったという。だいたいそんな噂は大げさな話で、実態はちょっと卓球が上手な素人か、良くて中学校のとき卓球部にいたという程度の話に相場が決まっている。

ところが後で知ったところによると、この「大倉くんのお父さん」というのは、1983年東京大会で男子ダブルスで世界3位になり、現役引退後は東北福祉大学に留学生としてやってきてろくに練習もせずに全日本学生選手権を4連覇した、楊玉華だったのだという。「卓球が上手い」どころの話ではない。ひっそりと日本に帰化していたのだ。

父兄参観か何かのときに楊さんが卓球部を覗きに来たことがあったそうで「たまたま部活をやっていなくて本当によかった」と青山さんは胸をなでおろしていた。さすがに楊さんの前で部活をする気にはならんわなあ。

それにしても楊玉華、「大倉くんのお父さん」とはまた上手く化けたものだ。そうとも知らずに試合を挑んだり、あろうことか卓球を指導したりする愚か者が出てこないうちに正体を明かしたほうがよいのではないだろうか(東北福祉大卓球部の監督をやっているので、別に隠れているわけではなく私が知らなかっただけなのだが)。

木方選手が仙台に!

なんと、元日本代表の協和発酵キリンの木方慎之介選手が、現在、仙台の営業所に勤務しているという。卓球はやっていないようだが、木方なら3年くらいやっていなくても宮城県で負ける相手はいないのではないだろうか。このような逸材に卓球をやらせないでおくのはなんとももったいない。

関東には元一流選手はゴロゴロしていると思うが、宮城県となると、そういう人はあまりいないのだ。同じような例では、東北福祉大学に勤務している、楊玉華(元世界複3位)がいる。もちろん卓球はしていないが、この二人に模範試合としてむりやり卓球をさせてみたらどうなるだろうか。

練習不足のためお互いにミスをしては苦笑いをする光景が目に浮かぶが、すかさず私が近寄って胸倉をつかみ「真面目にやれコラ」と凄んでみるのはどうだろう。そういう面白映像を妄想し、ひとり爆笑した仕事中であった。

哀れタマキチくん

先日紹介をした、卓球ファンの山田さんからタマキチくんタオルを購入したいという連絡があった。2001年の世界選手権大阪大会を記念してまったく無関係に私が100枚作って販売をしたタオルだ。

あまりにひさしぶりの注文だったので、在庫がどこにあるのか探すのに苦労したが、2枚だけみつかり、山田さんに送った次第だ。

今日、それを使って試合に出たと報告があったが「反響はありませんでした」と添えてあった。あるわけないなあ。

長男がマスターに!

4月から高校3年生になる双子の長男と次男は、部活も止めて勉強もせずゲームばかりしている。まったく苦々しい限りだが、私が高校生のとき、マンガと卓球に明け暮れていたのと同じことなのだろう。かつては映画も小説も頭がおかしくなると大人たちに嘆かわれたのだ。ゲームは非生産的だと言う人もいそうだが、小説や映画はそれこそただ見ているだけなのだからまだゲームの方が能動的なだけマシである。と、頭ではわかっているものの、やはり息子たちがゲームばかりしているのを見ると嫌な気持ちになるのを抑えられない。

このようにいつも私は息子たちに表面上は理解を示しつつ内心、がっかりしているのだが、先日、嬉しいことがあった。息子たちは、オンラインでどこかの人たちとチームを組んでゲームをしているらしいのだが、長男は「マスター」という地位を与えられて17人のチームを率いているという。マスターにはメンバーに認められる統率力が必要であり、メンバーから「スタッフ」を任命したりマスターだけが設定できる種々の権限が与えられているという。メンバーが他のチームと揉め事を起こしたりすると「うちの者が迷惑をおかけしました」と謝りにも行くのもマスターの役目だという(もちろんゲームの中での話だ)。

メンバーには30歳近い社会人もいるという。どんな愚劣な集団であっても、リーダーになるということはたいしたものである。常に浅はかで下らんことしか言わない我が長男にそんな能力があるとは思いもしなかったから、一筋の光を見たような気がした。

もっとも、チームのメンバーがどんなやつらか聞くと、すぐにルールを無視してキレまくって他のチームとトラブルを起こすくせに「スタッフにしてほしい」と直訴して来るような、まったくどうしようもないやつらばかりだという。長男がそう言うくらいだから本当にひどいのだろう。ちなみに次男も同じチームに所属していて「スタッフ」だそうだ。

なにがスタッフなんだか(笑)。いったいどれだけレベルの低いチームなのだろうか。

ヘビメタ命のOさん

Oさんは音楽が好きで学生時代から切れ目なくバンド活動を続けているという。担当はギターだ。好きなジャンルはなんといってもブリティッシュ・ヘビイ・メタルだそうだ。そう言って彼はソニーのウォークマンを出して見せてくれた。ディスプレイにはアイアン・メイデンのアルバムジャケットが表示されていた。Oさんによれば、アイアン・メイデンはヘビイ・メタルを発明した人たちで、どれだけ偉大かわからないという。単調な2音だけのベースに速いドラムに情緒的なギターとボーカル、これらを発明したところが偉いのだという。「いろいろと軽い音楽も聴いたけど、最後はやっぱりアイアンメイデンに帰ってきますね」とOさんは語る。

アイアン・メイデンはなんと今も現役で、最近、そのライブ映像を見てOさんは泣いたという。ヘビイ・メタルを聴いて泣く人がいるとは知らなかった。

Oさんのウォークマンには他のアーティストのアルバムも入っていて、そのディスプレイにはレッドツェッペリン、ディープパープル、イエス、キングクリムゾン、TOTO、オジーオズボーンなどのアルバムジャケットが次々と表示された。うむむ、私の趣味と根本的に違うが、一部カスるところがあるのが楽しい。

実はOさんは、昨年の夏、十数年組んできたバンドを解散したのだという。その原因は、人間関係だという。あるコンサートのとき、ベースの担当が間違えて別の曲のフレーズを弾いてしまったのだという。ところが芸大出身のセミプロのピアノ担当がそれを許せず、フェイスブックでしつこく批判をしたという。ベースは「もともとあんな曲はやりたくなかった」といえば他のメンバーが「それとこれとは別だろう」となり、Oさんがなだめるも効果がなく、解散を決意したという。「フェイスブックはやっちゃいかんですね」とOさんは語る。

人間模様である。失礼ながら、他人のモメごとを聞くのは面白い。