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血液型性格判断

2,3日前、yahooのニュースに疑似科学についての記事が載っていた。疑似科学とは、科学を装った非科学のことだ。

血液型性格判断もそのひとつだ。よくこれに対する批判として「血液型性格判断には科学的根拠がない」というセリフがあるが、これは大衆を誤解させる危険を含んだ表現だ。「科学的根拠がない」といわれれば、普通の人は「既存の科学知識とてらしあわせて、そんなことがあるはずがない」ととられる。もちろん科学者は、そういう理由で否定しているのではない。ここでいう「科学的根拠がない」とは「科学的に調査をしたが、そういう事実を見出せない」ということなのだ。竹内久美子など、血液型関連の本を出す人は、「血液型と性格の関連づけをすることは科学者の間でタブーになっている」などと書くが、別にタブーなのではない。何度調査をしても、そのようなデータが出ないから明快に否定されているだけのことなのだ。

http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/pseudo.htm

話としては面白いかもしれないが、本気で主張されると困ってしまう。血液型による性格判断など、どうにでもとれるものばかりだ。たとえば「物事にこだわらない」という表現があるとする。私の場合、興味があるものには偏執狂的にこだわるが、興味のないものにはまったくこだわらない。だから「こだわる」「こだわらない」どちらを見ても「当たってる」と思うわけだ。また、「あなたは理想を貫こうと思っていますが、妥協しがちです」などというのは、自分にだけ当てはまっているように誰でも思うものだ。いうまでもなく、人はいつも自分の内面を意識しているが、他人の内面は意識しないので、内面を深く掘り下げたようなことを言われると、自分にだけあてはまったような気がするのだ。自分以外はみんな気楽に生きているように見えるのと同じことだ。

科学者が血液型を否定するのに「科学的根拠がない」とか「どうして性格がたかが4種に分けられるのか」と言っても全然反論になっていないし信者を納得させることはできない。

そうではなくて「調査をしてもそのようなデータが得られたことがない、そういう事実がないのだ」とだけ言えばいいのだ。これ以外に何も必要ないではないか。

政見放送

YouTubeを見ていると実にいろんな映像がある。
最近見つけて感動したのが、政見放送シリーズだ。金さえ出せば誰でも立候補できるものらしく、とんでもない人たちの映像が堂々とテレビ放送されたということがわかってとても面白い。

中でも最高だったのが、永遠のロックローラー、内田裕也の政見放送だ。

なにしろ政見放送なのに、いきなり英語の歌を無伴奏で歌い始めるのだ。歌が終わっても内田裕也はなんと英語で演説を始める。いったい何のために?という疑問は無意味だ。なにしろ相手は内田裕也なのだ。

もうひとり素晴らしかったのが、やはり奥崎謙三だろう。奥崎謙三は、原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』で有名になったカリスマだ。天皇の戦争責任を追求していろんな事件を起こしているのだが、なにしろこの人、完全にオカしくて、殺人や殺人未遂で刑務所に何度も入っている。『ゆきゆきて神軍』の撮影のときも、原監督に、元上官に罰を与えるために殺すので、その場面を撮ってくれと申し出て断られたりしている(映画にはならなかったが、実際に奥崎は元上官の家に行き、出てきた息子に発砲して重傷を負わせた)。

http://jp.youtube.com/watch?v=t3EALg22uMY&feature=related

こういう人が選挙に立候補しようというのだから、まったく恐ろしい話だ。

写実画

モンゴメリーでは美術館にも行ってきた。
そこで、アメリカの画家、ウイリアム・ハーネットという人の絵に驚いた。

異常に精密なのだ。たかだか横50cmくらいの小さいカンバスに、異常に緻密な画が描かれている。このハーネットという人は、おそらく描くことで表現したいものなどなく、とにかくいろんな質感のものをこれでもかというほど精密に描くことに生きがいを感じていたのだろう。金属、材木、生物、印刷物とどれもこれも信じられない描き込み方で、思わず接写してしまった(撮影可なのだ)。

しかもこのハーネットと言う人、100年以上前に死んでいる。100年以上も前にこんなとんでもない画を描く技術は完成していたのだ。本物そっくりに描くのが偉いなら写真を撮ればいいという言い草があるが、ここまで見事だと、やはり感動する。また、写真ではここまで鮮やかな色は出せまい。

較べるのもなんだが、私も小中学校の頃、画が上手い方でそれなりに自信があった。しかしあるとき『やまねずみロッキーチャック』というアニメを見てからすっかり描くのが嫌になった。そのアニメに出てくる背景が、当時の私がどんなにがんばっても描けないであろう見事な画だった。そしてそれが背景としてほんの数秒使われるだけなのだ。世の中にこんな奴がゴロゴロいたんじゃ、どうにもならないではないか(実際にはゴロゴロはいなかったんだが、たかがアニメの背景ということで、そう感じた)。

もちろん画の良し悪しは上手い下手だけではない。他に魅力があったり、伝えたいことがあったりと価値はいろいろだが、あいにく私の場合、その点でもなーんにもないことが自分でわかっていたので、早々とその道は諦めたのだった。

ビートルズ・モノポリー

土日に、モンゴメリーという町にアイススケートをしに行ってきた。モンゴメリーはアラバマ州の州都であるが、行政機関しかないような町で、意外なほど小さな町である。そしてここは、公民権運動で有名なマーチン・ルーサー・キング牧師の活動拠点のひとつでもあった、由緒ある町だ。

そこのモールで、キング牧師とはまったく関係ないが、ロックンロールのキング、ビートルズのノモポリーを見つけた。盤面にビートルズのオリジナルアルバムがちりばめられている、いかにも楽しそうなゲームだ。付属のコマは曲名にちなんでいて、これだけでも欲しくなる。「こんなものを買うほどイカれちゃいないぞ」と言い聞かせて買いはしなかったが、しばらくうっとりと眺めたのだった(似たようなもんか)。それにしても、いったい何を目的にしたどういうストーリーのゲームなのだろうか。

調べてみると、なんとこれ、ポール・マッカートニーも持っているんだそうな。欲しかったんだろうか。http://item.rakuten.co.jp/thebeatles/10000199/
そうか。ポールが持ってるのかこれ。しみじみ。
でも、単にメーカーから贈られただけかもな。

風呂の話

世の中には風呂に入らない人というのがいるようだ。以前の職場にも、明らかに風呂に入ってない特徴的な臭いの人がいた。学生時代、風呂のないアパートに住んでいる友達が結構いたので、臭いですぐにわかるのだ。単に汗臭いとかワキガだというのではなくて、言葉では表現できないが「風呂に入ってない臭い」というのがあるのだ。

3年ほど前、改装のために、1週間ほど自宅の風呂が使えないときがあった。この間、近くにある銭湯に家族で通うことになった。楽しい娯楽施設で結構高いので、1日おきに行くことになった。ところが私は仕事の関係で帰りが遅くなって行きそびれ、入る予定だった火曜に風呂に入らないことになってしまった。こうなると、ものはついでとばかり、もっと入らないで我慢してみたくなり、思い切って週末まで入らないことした。4日め、5日めと経っても、少なくとも自分では別にどうということもない。ためしに三浦に「臭いかどうかかいでみろ」と胸元を開けて近づけてやったが別に臭くないという。木曜には飲み会まであってタバコの煙臭くなったが、これももちろん我慢をして金曜まで風呂に入らないでみた。さすがに風呂に入ったときはヌルヌルとなり、洗う爽快感を得ることができた。

まあ、こんなものはホームレスや探検家からみれば低レベルの冒険だが、こういう、どうでもいいことをやってみたくなる性分なのだ私は。

それにしてもあの、風呂に入ってない臭いを常に発散させていた同僚は、いったい何日入ってなかったのだろうか。あれは1週間や2週間ではないな。

英語の口癖

仕事でアメリカ人と会話をしていると、英語でも日本語と共通する常套句というか口癖のようなものがあることがわかる。

basically → 基本的には
in other word → 言い換えると
I may be wrong → 私が間違ってるかもしれないが
for insurance → 保険として
honestly → 正直いって

これらは日本語と英語と相互に関係なく独立で使われるようになったのだろうか、それともどちらかが影響を与えたのだろうか。さすがに日本で一部の人が熱狂的に使う「いい意味で」とか「逆に」に相当する英語の口癖はないようだ。

英語がもとになっていると思われる日本語は結構あるように思う。「ナニナニするところの○○」などは、関係代名詞○○which○○の直訳だと思われるし、「○○は彼を驚かすのに十分であった」などというのも、it is enough to …を直訳したものだろう。

注意を払うの「払う」が英語でもpay attensionのpayと、いずれもお金を払う単語と共通なのは偶然ではないだろう。となると、「注意」という言葉自体、英語の直訳なのだろう(「社会」「自由」「経済」などといった多くの言葉が、明治維新後に英語の直訳として作られた造語であることはよく知られている)。http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/8702/1/hogaku0030301790.pdf

「それがどうした?」と言われるととても困るんだが、とにかく英語でも「逆に」を連発されるのだけは避けたい。「逆はお前の頭だろう」と言いたくなってしまう。

鎖骨が曲がった

一ヶ月前に手術をした鎖骨の状況を診てもらいに病院に行ってきた。レントゲン写真を見ると、なんと真直ぐだったはずの埋め込んだプレートが曲がっているとのこと。「大丈夫だ」と説明されたが、何が大丈夫なのかはよくわからない。骨ぐらい曲がってても不都合ないだろという意味に違いない。それはそうだろうが、なんとなく気分が悪い。それよりもなによりも、もっと硬いプレートはなかったのだろうか。白骨死体になったときに身元が判明する便利はあるが、そんなもの要らん。

ついでに左手の指も診てもらった。実は鎖骨を折ったとき、左手の中央の指3本を激しく突き指していて、曲げると痛かったのだ。突き指くらい自然に治るだろと思って診てもらっていなかったのだが、事故から1ヶ月も経つのに、よくなるどころか、ますます痛くなってきた。不安になってネットで調べてみると、治らない突き指というのがあって、放っておくと悪化する厄介なものだと書いてあった。これはいかんと思って診てもらったのだが、幸い骨折はしておらず「できるだけ動かすようにすれば6ヶ月ぐらいで治る」とのことだ。動かすようにとのことだが、先週手品のテクニック「クラシック・パス」の練習をやってからズキズキと痛むんだが、それはやりすぎだろうか。

クラシック・パスとは一瞬にしてトランプの上半分と下半分を入れ替える早業のこと。http://jp.youtube.com/watch?v=Yejxa-b72-g
これでもヘタだってんだから信じられない。マジックの世界は奥が深すぎる。

そういうわけで、事故の直後は右腕は鎖骨が折れていて使えず、左手は親指と小指しか使えず、かなり不自由だったのだ。プレートが曲がってしまったのも、左手を使わないようにしたからかもしれない。

みなさん、突き指に注意!

話を聞かない男、地図が読めない女

何年か前に話題になった『話を聞かない男、地図が読めない女』という本を読んだ。

男と女の特性の違いを面白おかしく解説した本だ。男と女では脳の構造が違うとか、進化の過程で身についた本能の違いだとか、いかにも科学的根拠がありそうなことが書いてあるが、まあ、血液型の話と同じく、適当なエセ科学話だ(ちなみに、右脳とか左脳とかいう話もエセ科学であり、こういう話に科学的根拠はないそうだhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%84%B3#.E5.8F.B3.E8.84.B3.E3.83.BB.E5.B7.A6.E8.84.B3.E8.AB.96

とはいえ、男女それぞれの滑稽に思える特性が上手く表現されていて、面白いことは面白い。特に、下の写真のページなど、そのあまりのバカバカしさに声を出して笑ったのだが、私のセンスはどんなもんだろうか。

ジョン・レノンとポール・マッカートニー

先日、ウイキペディアで「ジョン・レノン」を調べてみた。過去にも何度か読んだことがあるが、この辞書はどんどん新しいものが追加されるので、ときどき見ている。

その中で「ポールマッカートニーとの関係」という項目があり、そこに感動的なことが書いてあった。

以下抜粋

またレノンは常に「ポールは弟であり、彼との確執は『兄弟ゲンカ』みたいなもので、他の奴にとやかく言われる筋合いはない」というスタンスを保ち続けていた。マッカートニーを卑下する発言をする者に対しては「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許さない」と発言している。レノンとは飲み友達でオノとの別居中は共同生活を送っていたハリー・ニルソンや秘書・メイ・パンにでさえ、マッカートニーの悪口を言うことは許さなかったという。
素晴らしい。でもちょっと疑問。本当にジョンはこんなことを言ったのだろうか。私はこれまでジョンの発言はいろいろと読んできたが、こういうのは一度も読んだことがない。本当だとすれば感動的なのだが、なんか怪しいなと感じた次第だ。

ウイキペディアの「卓球」の項目にも「初速が時速280kmを超えるスマッシュを打つ人もいる」などとデタラメが書かれているから必ずしも信用はできない。