卓球の下ネタ

最近の私の卓球王国の原稿に切れがないと編集部で評判らしいので、ここいらで一発爆笑させてやろうと、来月号用に卓球にからめた下ネタを書いている。二つほどよいネタが出たから気をよくして書き始めたのだが、そこから続かず止まってしまった。なにしろ中学生も読む雑誌に書くのだから、あまりにグロな表現ではいけないし、単に汚いとかエッチならよいわけではなく、とにかく可笑しくなくてはならない。

あまりに何も思いつかなくてここ1週間ほどは「この他にはネタは存在しないのではないか」「本当にこのテーマで進んでよいものだろうか」と不安になって落ち込んでいた。下ネタが思いつかなくて落ち込むというのも私ぐらいのものだろう。

毎日少しづつ考えていたおかげで一昨日あたりからチョロチョロと良い案が出てきて、あと3分の1ほどを残すのみとなった。なんとも楽しい気持ちだ。

Iさんとの痛飲

先週末は、今野編集長の高校時代の卓球部の1年後輩のIさんという方とお酒を飲んだ。現在、単身赴任で仙台在住であり、私の連載やこのブログを愛読していただいているというありがたい方である。今野さんからご紹介をいただき、今回お会いした次第である。

当然、話は今野さんの高校時代の話になった。現在の今野さんや、以前、編集をしていた「TSP卓球トピックス」の内容からすると、卓球に関してあまり厳しい感じを受けないので、学生時代に荻村伊智朗の青卓会に入ったこととあまり結びつかなかったのだが、聞いてみると、かなりストイックだったということがわかった。

今野さんは高校2年のときに過度の偏食による貧血で、どんどんと持久力がなくなって、ついにはグラウンドを1周もできなくなって入院をしたのだという。治療の結果、よくなって退院すると、急に体力がつき、キャプテンとしてメチャクチャなトレーニングを部員に課し始めたという。ランニングは10キロ、腕立て腹筋うさぎ跳びなどをやりすぎなくらいにさせ、ついには今野さんの同期10人のうち6人が退部したという。その中には2番手、3番手の選手もいて、新人戦で地区ベスト4に入った選手もいたという。うさぎ跳びで膝を壊して退部した人もいたという。

厳しいのはトレーニングだけではなく、部活をやっていると急に集合をかけて並ばせて、「おまえらタルんでるぞ」と説教をしたりもした。卓球レポートを隅から隅まで読み込み、精神論にも余念がなかったらしい。

指導は高校を卒業してからも続いた。指導好きの卓球人によくある光景だ。今野さんはなんと浪人しているにもかかわらず高校に行って指導をしたという。Iさんの高総体のときには、あきらかに対戦相手のことを知らないにもかかわらず、相手ごとの「戦術」について便箋6枚にしたためた手紙を東京から送ってきたという。それくらいの創作能力がなくては卓球雑誌は作れないということか。

今野さんは当時、今ほどは持っている人が少なかった、カメラを持ってきて後輩のプレーを写したという。Iさんは、首を回してインパクトを見ているからエライと誉められたことを覚えているという。

今野さんの指導は卓球だけではない。音楽もだ。今野さんのベストセレクションのブラックミュージックを46分テープに入れては送ってきたという。それは「ベスト1」から「ベスト20」まで延々20巻にもなり、さらになぜかシリーズをあらため「ししゃも1」からまた10巻ほど続いたという。このあたり、私には今野さんの気持ちが痛い(イタい)ほどよくわかる。私の場合はビートルズを中心としたものだったが、ほとんど同じようなことをしては後輩に配っていたのだ。

今や世界卓球界を牛耳る今野さんであるが、そのルーツの一端を垣間見た5時間であった。

痛い歯医者

少し前から近所の歯医者に通っている。良心的だとのもっぱらの評判の歯医者である。どのように良心的かといえば、少しづつ治療をして何ヶ月も通わせるのではなく、一回の通院でどんどんと治療を進めて短期間に終了し、なおかつ治療が適切なのでその後、なかなか虫歯にならないというのだ。ただしネックは、麻酔をほとんどしない主義らしく、とにかく痛いのだそうだ。だからすいていて、特に子供の姿はほとんどないという。

行ってみると確かにその評判どおりだった。痛いことは痛かったが、その痛さが問題で、なんと、手と歯の間に唇が挟まって痛かったりもするのだ。先日など、鼻の穴がすっかり塞がれて苦しいのなんの。そういう、気配りの足りない歯医者なのだ。

もちろん、歯の治療自体も大変痛い。虫歯のところを例の回転物を使ってキュイーンだのゴリゴリだのとやるのだ。「痛かったら手を上げてください」とは言われているものの、成人男性としてのプライドと、いまさら麻酔されるのも面倒だというのがあり、とにかく我慢した。

痛いなどというのは私の脳がそう感じているだけのことで、それ以外にはなんの意味もなことだとか、南方の戦地から帰ってきたばかりの兵士の気持ちになってみれば、文明の利器に囲まれて寝そべってぬくぬくと歯を治療してもらうなんてあまりの安堵に寝てしまうほどのはずだ、その気持ちになってみれば、この痛さの中でも眠ることさえできるはずだ、などと考えて寝ようとしたがさすがに無理だった。

ともかく、鼻の穴を塞ぐのだけは生き死ににかかわるのでやめてもらいたい。

ボールペン

DVD『ザ・ファイナル』を撮影するときに、現場でメモをしやすいボールペンが欲しいと思い、近くの文房具店「オフィス・ベンダー」に向かった。夥しい数のボールペンの中から、もっとも書き味が滑らかだった三菱鉛筆のuniジェットストリームという3色の1.0mmを買った。使い心地には満足したのだが、仕事でも使っていたら段々と書けなくなった。よくみるとインクがなくなっていた。

これには感激した。私はボールペンというものは、インクがなくなるまで使ったことはない。必ずその前になくしてしまうのだ。おそらくこのボールペンは「ジェットストリーム」というだけあってインクがものすごい速さでなくなるのだろう。それが損だと思うどころか、ちゃんと製品を最後まで使い切ったことの満足感で一杯である。

喜んでばかりもいられないので、仕事では青色を使ってメモをとるようになった。何ヶ月かすると当然のように青インクもなくなり、最後にはメモをすべて赤インクで取ることになり、ノートが真っ赤に染まった。そして先週、ついに赤インクもなくなったので、またオフィス・ベンダーに向かった。

ところが同じ製品を売っていない。最後には、ペン先が1.0mmで3色ならどのメーカーでもよいと思って探したのだが、なかった。それであきらめかけたときに下の方を見たら、なんとボールペンの替芯を売っているではないか。さっそく、持参したボールペンの型番を見て、それに合う替芯を買った。たったの63円だ。ボールペンでこんなことができるとは知らなかった。みんなは知っているのだろうか。

それで使い始めたのだが、なんか調子が悪い。ペン先を紙に当てたときに、ちょっとでも斜めに当てるとボールが入っているカップの縁が紙に当たってスレるのだ。同じ製品なのにバラツキがあるようだ。クソー、また今週末もボールペンのことを考えなくてはならない。たかだか300円ぐらいのボールペンでガタガタ言うのもバカらしいが、毎日使うのでどうしても気になる。憂鬱だ。

恐るべき千原ジュニア

昨日、すべらない話というテレビ番組を見た。これはいつも面白いので私のお気に入りの番組だ。そこで千原ジュニアという芸人が、岩手のバーだかキャバクラだかに行ったときの話をした。その中で、店にいた女性の会話を千原ジュニアが再現したのだが、そのアクセントが完璧だったことに驚いた。

関西人である彼が、たった一度訪れて聞いた岩手の飲み屋での女性のアクセントをこうも完全に再現したことに心底驚いた。何たる耳の良さ。それを再現する発声の良さ。これは並みの役者が適うわけがない。

ちなみにその台詞とは、前歯がない女性にその理由を聞いたときに、女性がボソッと「ケンカだ」「女同士のケンカだ」と答えた場面だ。

ちなみに、私がこの番組で最も好きなのは小藪という人の話だ。普通の人ならなんとも思わないような些細なことに文句をつけて面白くするスタイルがとても共感できて面白い。

自転車修理でスパーク!

昨夜は職場の懇親会だった。会は途中までは平穏に進んだのだが、私の正面に座っていた同僚が、趣味の話になったとたんにスイッチが入り、怒涛のようにしゃべりだした。

この男、趣味は自転車修理だというから驚く。世の中にいろんな趣味があるが、自転車を修理するのが趣味とは。修理すると言っても、自宅の自転車などしょっちゅう壊れるわけではないから、わざと壊しては直すことを繰り返すかまたは近所などを壊れた自転車を探して歩き回るなどということを想像したのだが、よく聞くと全然違う話だった。

彼は自転車の修理ではなくてリフォームと言ったのであり、それは高価なマウンテンバイクをグレードアップするような趣味なのであった。彼の話は語るほど熱を帯び、そもそもマウンテンバイクを発明したのはアメリカのゲイリーなんとかという人だとか、そういう歴史まで語るのだった。

加えて彼は日本で最初に発売されたアラヤというメーカーのマウンテンバイクを今も持っていて、日々チューンナップしたりフレームの模様を描いたりしているという。シマノというメーカーのことも言っていたが何がなんだか覚えきれなかった。結婚をする前は自転車を部屋にかざってライトアップし、それを見ながら酒を飲むのが至福の時間だったという(もちろん結婚した途端に奥さんから撤去されたという)。

こういう深い話を聞くのは楽しい。特に彼のアラヤの自転車についているステッカーがいかに貴重であるかを自慢していたのが可笑しかった。何年もいっしょに仕事をしているが、こんなに熱い趣味を持っているとは知らなかった。

 

雑談でシュート!

先日紹介した職場の「ブレブレの同僚」が珍しく面白いことを言った。

彼が昇格したのでそのお祝い会があったのだが、そこで彼はスピーチのときに自分の欠点として「雑談が苦手」と言ったのだ。私は仕事中にいつも彼に雑談をされるなあと思っていたのだが、あれは雑談ではなかったらしい(笑)。

まあ、それはよいのだが、なぜそれが欠点なのかというと、それは彼と奥さんの会話についてなのだった。彼は奥さんと話すときにいつも結論を出すとか有意義なアドバイスをしようとしていたのだが、実は女性はそういう会話を求めていないことが最近わかったという。それで、とにかくあいづちを打ちながら話を聞くことが大切であり、それを彼は「雑談」と表現していたのであった。最近ではその苦手な雑談を努めてすることによって、夫婦円満になってきたのだという。

まあ私はそういうポピュラーな雑学は、学生時代から知っていたのだが、彼の表現がとても面白かった。

彼によれば、理想的な奥さんとの話し方はサッカーの「日本対ブラジル戦」だという。試合中の90%はボールを相手に渡しておくべきであり、決してボールを奪おうなどとは思ってはいけないと言う。「条太さんなんかすぐボールを奪って思いっきりシュートするタイプでしょ?それじゃ絶対にうまくいきませんって」「どうせそのシュート、絶対にゴールには入らないんですから」と、まるで見てきたようなことを言う。実際にはコイツは自分のことを言っているのだ。

奥さんのボールをすぐさまかっさらってあらぬ方向にシュートしまくっていた若き日々の彼を想像して可笑しくて仕方がなかった。だって彼は私と仕事中に雑談するときは100%ボールを持っていて常にシュートしっ放しなんだもん(もちろんすべて外れ)。

飛びつきのときの爪先の向き

今月号の「逆モーション」の中に、フォアへの交差歩での飛びつきのときの左足(右利きの場合)の爪先の向きのことを書いた。文字数の制限から詳しく書けなかったので、補足しようと思う。

日本では、フォアに飛びつくときの左足の爪先が相手側あるいはボールを飛ばしたい方向に向けるのがよいとされてきた。そのため、練習ではみんなそのようにやる。しかし現代卓球ではこれは間違った考えである。

このような動きは、時間に余裕のあるときしかできない。実際の試合では誰でも爪先は動いている方向に向けていることは一流選手たちの写真を見ればわかる。一枚の例外もない。交差歩は足をひねることができる時間の余裕がない非常時にしか使わないものだからだ。

当然、練習で爪先の向きを相手の方を向けるためには、本来交差歩を使ってはいけないような遅いボールあるいはあらかじめボールがフォアに来ることがわかっているような有り得ない状況を作り出してやるしかない。このような練習が役に立たないことは言うまでもない。

理想的なフォームを実現するために実戦でありえないような甘い状況で練習をする、ここにも日本の卓球の間違った理想主義が表れている。ワンコースのゆるいボールで1000本ラリーをするとか、ボールより先に動いて止まって打つ(ひどい場合には次の場所に動き出しながら打つ)左右のフットワーク練習もそれらの仲間である。

濁音の規則2

東北弁の濁音についてさらに規則を見つけた。ドラマ制作者は参考にしてほしい(読んでいないかそんな人)。

日本語の濁音は「が行」「ざ行」「だ行」「ば行」「ぎゃ行」「じゃ行」「びゃ行」だが、これらのうち、東北弁として出てくる濁音は「が行」「だ行」に限られることが、書いてみてわかった。「が行」と「だ行」の10音はすべて使われる。例を示そう。

が行: 聞ない、聞ます、聞、聞、聞

だ行: 書い、み(道)、な(夏)、書い、俺

他の規則として

・名詞の頭の音は濁らない。例:影を「げ」とは絶対に言わない。例外:なんてごど言うんだ

・直前の音が「っ」のときは濁らない。例:雨だっ とは言わない。

・直前の音が「ん」のときは濁らない。例:本当を「ほんう」とは言わない。

・直前の音が無声音の場合には濁らない。例:ちい(近い)とは言わない。「ち」が無声音だから。「聞かない」の場合は、標準語では無声音である「き」を有声音にした上で「が」と濁る。

・西洋からの外来語は濁らない。例:ラケットをラットとは言わない。

・歴史が浅い単語は濁らない。例:携帯電話を「けいいでんわ」とは言わない。しかし自転車は「じんしゃ」と言う。

・漢語よりは和語の方が濁ることが多い。漢字で言えば、音読みよりは訓読みの単語の方が濁る場合が多いような気がする。例:「わる」とは言うが「りいする」とは言わない。

今、あまちゃんを見ていたら「緊張感」を「きんちょうん」と言っていた。有り得ない。こういうちょっと堅い単語や専門用語は濁らない。でもまあ、わからないよなあこんなの。自分でも、自分の中の何がこうも確信をもって濁音の有無を断定できるのかわからないんだから。まあちょっとした標準語と東北弁のバイリンガルの風情である。

濁音の規則

さて、東北弁の特徴に濁音がある。濁音は、名詞だろうが動詞だろうが形容詞だろうが、はたまた人の名前だろうがあらゆるところに現われる。当然そこには規則があるのだが、ドラマなどで話される東北弁の濁音はデタラメに入れられることが常である。

しかしこれを責めるのは酷だろう。なぜなら、どういうときに濁音が付くのか東北人自身が説明できないからだ。もちろん規則性はある。人によって違うとか同じ人でも気分次第で違うということではない。どこに濁音がつくのかは完全に固定されているのだが、その規則を一般化して説明できないのだ。もしかすると書いてみれば規則性がわかるかもしれないので書いてみる。初めての試みだ。

まず題材として、ある小説の冒頭を引用しよう(一部変えてある)。

「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」と村上と呼ばれる少年は言う。幾分のっそりとした、いつものしゃべりかただ。深い眠りから目覚めたばかりで、口の筋肉が重くてまだうまく動かないときのような。でもそれはそぶりみたいなもので、じっさいには隅から隅まで目覚めている。いつもと同じように。

これを訛ってみる。本気で訛ると母音や単語そのものまで違うので東北人以外にはまったく意味がわからなくなるので、ここでは濁音以外は訛らないことにする。実際にはありえない訛り方だが、濁音の規則性を知るための実験だ。

「それで、おねのごどはなんとなったんだね?」とむら呼ばれる少年は言う。いぶんのっそりした、いっつものしゃべりがだだ。深い眠りら目覚めりで、くの筋にが重くてまだうまないどぎのような。でもそれはそぶりみいなもので、じっさいには隅ら隅まで目覚めいる。いっつも同じように。

我ながらなんたる濁音の多さだろうか。村上という固有名詞まで「むらがみ」と訛るのだ。ここ数日の考察で、ある音の直後の音には濁音が絶対に付かないことを見出した。それは「深い」の「ふ」や「○○していた」の「し」あるいは「来た」の「き」だ。この三つに共通するのは母音を息を抜くように発音すること。このような音の直後に濁音をつけるのが難しいことは発音をしてみればわかだろう。だから「ふい(深い)」とか「○○しいた」とは絶対に言わないのだ(ドラマなどでこのように発音するときは当然、前の音を修正した上で濁音をつけている)。同様に、「行ってきた」などの「っ」の直後の音が濁音になることもないような気がする。理由は同じく発音が難しいからだ。「行っきた」なんて東北弁を聞いて「なんて言いづらい発音なんだ」と思う人もいたかもしれないが、それは我々だって言いづらいのでそうは言わないのだ。あと、外来語は濁音がつかないような気がする。そういう例を見つけられなかったが、例外もあるかもしれない。なにしろ規則を一般化できていないのだから、どんな反例が出てくるかわからない。

今のところはわかったのはこれくらいである。

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