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卓球の進化

斉藤清が偉大な選手だということを踏まえつつ、あらためて感じるのは、卓球は進化しているということだ。

なぜかあまりいわれることはないが、この20年で日本の卓球が選手の技術面でもっとも進化したと思うのはブロックである。それは革命だったと言ってもよい。

中国は80年代初頭からこのブロック技術が抜きん出ていて、各国選手のドライブをことごとくブロックで跳ね返していた。それは相手にコート全面にランダムにドライブを打ち込んでもらってブロックする練習をしていたからという、実に単純なことだったのだが、他国は、それはあまりに難しいこととして練習をしていなかったのだ。

それにまず気がついたのがスウェーデンだ。その練習を始めたとき、選手たちにとってはそれはあまりに難しく、ほとんど一球も反応できずノータッチばかりだったという。それが「中国ができるなら俺たちもできないはずがない」と練習を何ヶ月か続けるうちに、1球、2球と返せるようになり、ついには自分たちが中国人と同じように前陣で相手の全力ドライブに反応できることに気がついたと言う。それに体の大きさを活かしたオールラウンドなプレーを加えて中国を破ったのが1989年。

これに対して日本がそれらと同等のブロック技術を身につけるようになるのはかなり遅かった。90年当時の全日本決勝を見て痛感したのは、世界とのブロック力の差だった。決勝を争ったのは斉藤清と渡辺武弘。ともにペンドライブだったが、二人ともフォアドライブが主戦であり、ラリー中のバックブロックに難があった。バックにボールがくると、ゼッケンをひらつかせながら飛び上がってバックブロックをしていたのだ。グリップに問題があって、飛び上がって打球点を相対的に体の下方にズラすことでしか角度が出せなかったのだ。

お互いにバックブロックが苦手なので、打球点を落としてでもドライブをした方が得なわけで、グリップ、スタンスなどがますますフォア重視となってブロックを難しくしていくという悪循環だった。世界ではもっと速いボールでラリーが続いているのに、全日本ではボールが遅いのにラリーが続かない。これは二重の差だと思って見ていたものだった。

もちろんこれは斉藤や渡辺を貶めているのではない。私は彼らとほとんど同世代であり、ランダムに打ち込んでもらってブロックする練習などしたことはなかったし、まして失うものが大きい一流選手たちが、成功する保障のない新しいことに挑戦するのは容易なことではない。日本卓球界全体がそういう技術の時代だったということだ。それは指導者も同じだ。誰かがその改革をもっと早くやればよかったのだが、残念ながら日本には、それを実行できる知性と度胸のある人がいなかったのが事実なのだ。

その後、だんだんと日本選手もラリー中のブロックができるようになって現在に至っている。おそらく今の日本の選手たちがそのまま80年代末の選手と対戦したら、世界レベルになれるだろう。つまり、物理的、才能的にはそういうチャンスはあるということだ。問題はいかに他国より先にそういう技術革新をするかにある。あと20年もしたら、日本の選手も今の馬琳や王皓と同じくらいの実力になるかもしれないが、そのときには中国はもっと先を行っているのでそれでは遅い。20年後にできることをどうやったら来年できるようになるのかを考えなくてはならない。

そういうことを強く思った斉藤清の100勝だった。

斉藤清の100勝に思う

女子の人気選手の影響か、全日本選手権への注目度が例年にも増して高いようで、このブログの昨日のアクセスも普段の2倍の530件にもなった。そんな中で愚劣な自主制作映画のことを書いているわけにもいかないので、卓球のことも書いてみる。

斉藤清が全日本通算100勝を上げたということで、その試合をYoutubeで見た。全日本選手権というのは、本戦に出るだけでも大変なことで、出られる人たちというのは小さい頃から卓球づけで地元では天才と言われ、ほとんど卓球で生活しているような人種たちだ。日本の卓球の競技登録人口は30万人だが、私のような登録していない競技人口を含めれば1000万人いるといわれている。その中で全日本の本戦に出られるのは男女それぞれ250人くらいだから、その割合は2万人にひとりだ。

そういう事情をよく知らない人は「たった100回勝つことがそんなに大変なのか」と思うかもしれない。しかし、全日本はトーナメントだから、一回の大会で優勝しても試合数は6回(シードから出場する場合)であることを考えると、合計で100回勝つということがどういうことなのか分かってもらえるのではないだろうか。10年連続優勝しても60勝にしかならないのだ。

斉藤清がいかに突出した選手であるかがわかるだろう。

言いたいこと

「作品を通して作者が言いたいこと」というフレーズがなぜこうも気に入らないのか考えてみたら、それには理由があったことを思い出した。

20代の頃に、手に入れた8ミリビデオカメラで映像作品を何本か作った。それをある後輩に見せたところ、ニコリともせずにずーっと見ていて、最後に「で、これ何が言いたいんですか」と言われたのだ。それでカチンときて以来、このフレーズに恨みを抱くようになったのだった。

その後輩は私の作品があまりにつまらないので、他に言うことを思いつかなかったのだ。それで言葉に窮して「何が言いたいんですか」となったのだ。私はそれが分かっているだけによけいに悔しくて根に持っているというわけだ。もちろんその後輩に罪はない。つまらない作品を30分も見せた私が悪いのだ。

伊丹十三が書いていたことだが、人は誰でも創造力よりも批判力の方が優っている。自分で作る能力よりも他人の作品を論評する能力の方が優れているのだ(山下清のような例は別として)。後輩を30分間も沈黙させてしまった私が三原監督の『燃えよピンポン』をつまらないと批判するのは、そういうわけなのだ。

映画『燃えよピンポン』

昨年公開されたアメリカ映画『燃えよピンポン』のことをブログと雑誌に書いたが、実は97年に同名の日本映画が公開されている。

監督は三原光尋、主役は高田聖子だ。調べてみると高田聖子は、朝の連続ドラマに主演したこともある有名な女優のようだが、三原監督はあまり有名ではないようだ。

・抱腹絶倒
・勇気百倍
・やる気満々
・最強爆笑コメディ

とパッケージに書いているが、可笑しいところが一瞬たりともない苦しい映画だった。面白い映画を作るということはかくも難しいものなのかと痛感した。

一方、『マジック・アワー』という映画を誰のどういう映画かも分からずに見た。映画への愛があふれすぎていてうっとうしいなと思ってみていたら途中からどんどん面白くなって、ついに声を上げて笑ってしまった。なんでこんなに面白いんだ?と疑問に思ったとたん、ハッと気がついた。考えてみれば、こんなに面白い脚本を書ける奴があの男以外にいるはずがない。三谷幸喜だ。これは三谷幸喜の映画ではないのか。そう思って最後まで見ると、やっぱり三谷の映画だった。まったく凄い男だ。

よく「どんな作品でも必ず作者が作品を通して言いたいことがある」というセリフを聞く。まるでそういうメッセージがなければならないかのような風潮だ。しかしそんなことは作る人の勝手だ。生活のために作りたくない作品を作る場合だってあるだろうし、言いたいことがなくたっていいではないか。

三谷幸喜の映画は言いたいことなど何もない。ただ面白いだけだ。もし三谷が言いたいことがあるとすればそれは「どうだ、面白いだろう。俺はこんなに面白い映画が作れるんだぞ」ということだろう。それも言いたいことには違いないが、そんなメッセージ、あえて耳を傾ける必要はない。

セクレタンのショー卓球

昔、フランスに世界的な名選手、セクレタンというのがいた。彼が現役を引退した後、コメディのショー卓球をやっていることは、以前から映像を見る機会があって知っていた。

最近はどうしているのかと思ってYoutubeで検索してみると、なんとまだやっているようだ。http://www.youtube.com/watch?v=OUI9cyvKPGM

以前のショーはあまり面白くなかったが、この映像を見ると面白そうなので、さっそくサイトを見つけてDVDを買った。しかしやっぱりこれも面白くなかった。ギャグのネタは20年前と同じで、よぼよぼになっているセクレタンが痛々しい。

DVD収録を目的としていると思われるのに、心なしか観客も冷たい反応に見える。つまらないギャグにあからさまにムッとしているオヤジもいる。子供すら固い表情。

自分でも卓球のコメディショーをしてみたい人、卓球で生活することの苦しさを学びたいという人は、ぜひとも買ってみて欲しい。これだけけなしておいて買ってみろというのもなんだが(しかも全編フランス語だけでさっぱりわからん)。

カリスマどうしが髪カリスマ

先日、70年代の「卓球レポート」を見ていたら、珍しい写真を見つけた。卓球のカリスマどうしが髪を刈っている写真だ。

刈っているのは中国の荘則棟。61年,63年,65年と、世界選手権の男子シングルスで3回連続優勝した男だ。この男の後に、男子シングルスで三連覇した者はいない。

刈られているのは、日本の故・長谷川信彦。67年にストックホルムで世界チャンピオンになった、60~70年代の日本卓球界の支柱だ。

この両者が、どういうわけでいうことをしているのかわからないが、珍しい写真であることだけは確かだろう。もっとも、珍しいだけで誰も欲しがりはしまいが。荘則棟、長谷川の角刈りの厳しい要求に応えられたのだろうか。

黒人のヒゲ剃り

今日、同僚のグレッグと話していて、あまりに見事なヒゲの剃り具合なので「よくそんなにきっちりと剃れるもんだ」と言うと、そこからヒゲ剃りについての話になった。グレッグは「黒人がどうやってヒゲを剃るか知ってるか」と言う。

グレッグによると、黒人は皮膚の特性上、剃刀を使うと腫れあがってしまってダメなのだという。クリクリに縮れていたりすると電気剃刀も使えない。そこで、彼らは、「シェイビングパウダー」なる製品を買ってきて、それを水に溶かして顔に塗るのだという。そのまま5分ほど待つと、ヒゲが溶けるので、あとは溶けたヒゲと残ったパウダーを、スプーンの背を使ってこそげ落とすのだという。女性が足に使う脱毛クリームのようなものらしい。グレッグはこれを軍隊で同僚の黒人がやっているのを見て知ったという。朝、同僚がスプーンを頬にこすりつけているので「な、何してるんだお前?」と驚いたと言う。アメリカ人でも知らない人がいるのだ。

これは、テレビでは宣伝しないけど、黒人にとっては当たり前のことらしい。それで、そのパウダーの臭いが強く、ときどき黒人からはその臭いがするのだという。中にはそれをパウダーの臭いじゃなくて黒人そのものの臭いだと思っている人もいるかもしれない。

さっそくネットで検索してみると、確かにシェイビングパウダーというのがあり、なるほどパッケージには黒人の写真ばかりが使われている。
http://www.texasbeautysupplies.com/magic.html
ちゃんと「取るときにはスプーンの背を使うこと」と使用法を書いているサイトもあった。「Black Only」と書いてある製品もあって、なるほどと思ったが、それはパウダーの色のことだった。紛らわしいぞ。

もうひとつ知りたいことがある。黒人でも日焼けすることはあるのだろうか。「無い」という説も「有る」と言う説もどちらももっともらしい。いつかは聞いてみねばなるまい。

審判まわし

ゲストブックに卓球の審判まわし(選手ごと)の映像の紹介があった。http://jp.youtube.com/watch?v=wsZOBrbaavM&feature=related

馬琳のやる気なさが素敵だ。こういうことは私も遊びでやってみたことがあるが、あんなに連続して入れることはとてもできない。かといって、こいつら、こんなことを日ごろ練習しているはずはないから、おそらくやろうと思えばすぐにできる運動神経をもっているということなのだろう。これぐらいじゃないととても超一流にはなれないのだろう。この二人、現世界チャンピオンとオリンピックチャンピオンだからな。

ところで、日本代表選手たちもこれくらいのことは当たり前にできるのだろうか。もちろん練習の成果としてではなしに(練習すればたぶんできるだろうから)。

ウォルマート

アメリカにはウォルマート(Walmart)という便利な量販店がある。日本の家電量販店と似たようなイメージの店舗だが、大きな違いは何でもそろっていることと、24時間営業であることだ。

食料、日用雑貨はもちろんのこと、衣類、床屋、眼鏡屋、薬、車のオイル交換等までできる。さすがにすべてが24時間営業ではないが、これらが、広大な駐車場とともに、平屋の店舗で展開されているのだ。この店さえ知っていれば、とりあえず生きて行ける。ドーサンにも2店舗あるくらいだから、アメリカ中にどれだけあるかわからない。

それにしても、ここいらの客のマナーの悪さにはあきれてしまう。写真のように、マットを床にしいてそのまま放置したりは当たり前。また、CDの棚にジュースのカップが置いてあったりもする。

いつだったか、衣類のコーナーでその場でズボンを脱いで試着している客がいた。それを見た私は、それが当たり前なのだと思って、日本から出張に来ていたKさんにそれを勧めたのだった。Kさんは「郷に入れば郷に従え」とばかり、写真のジーパンコーナーでパンツ一丁になって、つぎつぎとズボンを試着したのだった。後で気づくと、近くにちゃんと日本と同じように試着室があった。たしかあれは夜中で他の客がほとんどいなかったからよかったが、昼間にやっていたらどうなっていただろうか。おどおどしながらズボンを脱ぐKさんの姿がありありと思い出される。Kさんには未だに訂正していないので「アメリカではあれが普通なんだ」と思って他人に吹聴してるかもしれない。

元旦のアクセス数

元旦のアクセス数は171件だった。仕事をしている人は少ないだろうし、帰省している人もあるだろうに、元旦からこんなに読んでくれる人がいたというのは嬉しいことだ(10件ぐらいは自分でアクセスした分だと思うが)。

昨年の元旦のアクセスは139件だったから、徐々にではあるが読者数は増加しているようだ。一年を通した傾向もそうなっている。ちなみに、8月の急増は勝手にやった北京オリンピックの実況中継のためだ。

まだまだ「卓球王国」の宣伝効果としては微々たるものしかなく恐縮ではあるが、地道に続けて行きたい。