7月11日に65歳の誕生日を迎えたドイツ在住の今村大成さんが6月末にTBE(タマス・バタフライ・ヨーロッパ)を退職した。
1997年の松下浩二に始まって、2002年に坂本竜介・岸川聖也、その後に続いた水谷隼、高木和卓など多くの日本選手が今村さんにお世話になった。
日本人初のブンデスリーガーとして活躍した松下浩二(元世界メダリスト)さんのコメント。
「最初にドイツに行く時にクラブを見つけてくれたのも、次の『ボルシア・デュッセルドルフ』に移籍できたのも今村さんのおかげです。今村さんは日本とドイツをつなぐ窓口のような人でした。練習が休みの時には今村さんの家に行って食事をごちそうになったりしました。本来はクラブを見つけて終わりなのに、マネージメントもしてもらいましたし、公私ともにお世話になりました。
とても親身に、自分ごとのようにお世話してくれたし、信頼できる人でした。あるときはメーカーの域を超えて日本選手をお世話することもありました。だから、仕事としてお世話していたのではなく、みんなから『今村さん、今村さん』と親しまれていましたね。親身なんだけど、ベタベタしないで、適度な距離感を置くのも今村さん流でした。
ぼくのあと、竜介、聖也、隼もドイツに行ってお世話になり、ドイツでは彼らの親代わりだった。今村さんがいなかったら当時の日本選手はドイツに行けなかったでしょうし、今の日本の卓球界はないと思います」
2001年からのドイツでの練習、2002年から9シーズン、ドイツでプレーした岸川聖也(元世界選手権メダリスト・現T.T彩たま監督)さんのコメント。
「中学2年の時から練習で坂本さんとドイツに行ってお世話になっていたし、2002年の中学3年の時からドイツに住んで暮らしていました。すべては今村さんの人柄のおかげで無償でいろいろなことをやってもらっていたし、マリオも今村さんのことを信頼していて、日本選手とマリオと今村さんで数え切れないほどミーティングをしました。用具調整やチームを探してくれたり、実際の仕事以外のことを嫌な顔を見せずにやっていただいて、感謝してもしきれない数少ない人のひとりです。
今村さんの家に招待されて食事をしたこともあるし、何でも相談に乗ってくれました。今村さんはスーッと現れて、スーッと消える。絶妙な距離感がありましたね。
今村さんがいないと間違いなく僕はドイツ生活はできなかったし、チームも見つからなかったかもしれないし、マリオとも深く通じ合えなかったかもしれません。
ぼくが一番うれしかったのは2019年のドイツオープンにコーチで帯同した時に、大会が終わってからホテルのバーで今村さんとビールで乾杯したことです。14歳から今村さんにお世話になって、20年後に初めて乾杯をしたので、すごくうれしかった。あの時は隼と今村さんと3人でした。感慨深かったですね。
今村さん! 長い間お疲れさまでした」。
2002年以降、松下のあとに続いた日本の若手は中学生・高校生だった。デュッセルドルフ市内で共同生活をして、『ボルシア・デュッセルドルフ』の練習場で、名コーチ、マリオ・アミズィッチから指導を受けた。当時、アパート、家庭教師などの生活面、クラブとの交渉を一手に引き受けたのは今村さんだった。事故もなく、若手選手たちはドイツで腕を磨き、その後、日本男子が五輪や世界選手権でメダルを獲るための礎を築いた。まさに、日本の卓球界を裏で支えた人だった。
またヨーロッパの卓球界では「バタフライにタイセイ(大成)あり」と言われるほど、協会、クラブ、選手とのネットワークが緊密で、ドイツの天才卓球少年、ティモ・ボル(五輪メダリスト)の発掘にもひと役買った。
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