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アメリカで活躍するビジネスマン高岡、創業99年のパン屋さん矢島。セカンドキャリアで輝く人たち

子どもの頃から打ち込んできた卓球が今に生きている。高岡諒太郎は20年以上、選手としての経験を積んだ後、現在は世界的な企業で活躍。一方、矢島淑雄は日本のトップクラスで活躍した後に、家業を継ぎながら指導者として活躍している。

彼らが卓球から学び、得たものとは何だったのか。

静岡県生まれの高岡諒太郎は小学生時代、静岡県の豊田町スポーツ少年団で卓球を始め、同期には水谷隼がいた。その後、中学から東京の実践学園に進んだ。全日本選手権ジュニア3位入賞。その後、早稲田大に進み、全日本学生選手権ダブルス3位、全日本大学対抗(インカレ)で準優勝という成績を残した。卒業後はリコーを選び、卓球の現役を終え、猛烈に英語を勉強し、現在はRichoh USA(アメリカ)に赴任している。

「練習とトレーニングをやり続けて、目標を達成した時の成功体験が今に生きている」「卓球を通じた素晴らしい出会いと、そこからたくさんのことを学べたことが社会人生活の財産になっています」と高岡は語る。

 

アメリカのペンシルバニア州にあるRicho USAで現地スタッフとミーティングをする高岡

 

もうすぐ創業100年を迎える埼玉県川口市にある「妙力堂」、コッペパンが有名な老舗のパン屋さんだ。数多くのチャンピオンを生んだ名門・熊谷商高で鍛えられ、中央大、川鉄千葉、東京アートと卓球エリートの道を歩んだ矢島淑雄だが、28歳の時に5歳上の兄を失い、現役を引退後は家業のパン屋「妙力堂」を継ぐことになった。

自由はきくけどシビアな仕事だし、お客さんが買ってくれないとやっていけない仕事です。
人として魅力があれば人は寄ってくる。そのためにはどういうことをやればいいのかを卓球を通して学んだ。強い弱いだけじゃない。中学や高校で全国で活躍した人が、人間として魅力がなくて、落ちていき、消えていった人を何人も見た。そういう人は卓球が強いだけで、他人の気持ちを汲み取ることができない」としみじみ語った矢島。

現在は、母校の中央大の総監督兼女子監督を務め、週末には車を走らせ、東京八王子の練習場へ向かい、学生の指導をする。「40数年の卓球人生。卓球をやっていない自分を想像できないですね」。

ビジネスマンとして生きていく術を卓球から教わった高岡諒太郎と、40年以上、卓球と寄り添い、学生たちに囲まれる矢島淑雄。それぞれのセカンドキャリアが素晴らしく輝いて見える。

詳しくは卓球王国最新号「セカンドキャリア。選手たちのその後」で紹介。

パン生地を作り、切り分ける矢島。「ぼくのドライブのように正確です」と笑う

 

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