卓球王国 2024年4月22日 発売
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神巧也

有り寄りの無 と 無寄りの無

共用トイレでウォッシュレットの水圧がMAXだった時、少しだけ前回使用者を憎んでしまいます。

 

使う前に気付いたらセーフ(冷や汗?)

 

使ってからMAX水圧が直撃したら・・・?

 

 

(T_T)/~~~(T_T)/~~~(T_T)/~~~(T_T)/~~~(T_T)/~~~

 

 

痔あるあるです。

 

みなさんこんばんは、痔ンです。

つ・い・に!!!

明日退院、、、

 

予定!!笑

あと一晩、良い子ちゃんにしておきます。


 

さて!今日のタイトルですが・・・

 

 

ペン習字の練習をしているうちに気付くことがありまして〜

ペン習字のテキストに集中し、没頭しているとき

「無=無心」

になっていました。

雑念が入ると「無」にはなりません。

良い状態でペン習字が出来ていました。

 

なんだな集中の高い卓球の練習をしている時と似たような感覚になりました。

指先しか動かしてないのに脇汗もかいてきちゃって?

時間が過ぎるのもあっという間⌚

 

が、しかし

ページが進んでいくにつれて字が乱雑になってきて。。。

でも時間はあっという間に進んでいく。

「無心」→「惰性」

になってしまいました。

それに気付いて、テキストを終了。

 

卓球の練習でもそう。

集中力が高く没頭しているけど、「無心」→「惰性」に変わったら練習の質は低下します。

 

矛盾しているけど、「無心」の中にも「意識(有)」が必要。

「有」寄りの「無」が一番いい状態なのだと!

 

またまた矛盾しているけど、「意識(有)」の無い「無心」=「無」よりの「無」

は一見良い状態に見えるが、「惰性」なので実はそうでもない。

 

ペン習字の練習をしていて、この文字はここを滑らかに。ここは右上がり。大きくまわす。

など「意識が潜在している時の無心」は良い字が書けていました。

 

卓球の練習や試合でも「意識が潜在している時の無心」は質の高い練習が出来ています。

有り寄り無>無寄りの無

という事になります。

 

高校生の時、がむしゃらに動いて打って元気よく練習をしていました。

それでも吉田監督(安夫先生)からは

「お前の練習は惰性だよ。」

と言われ続けていました。

 

さらに板垣監督(孝司先生:現在はドイツブンデスリーグ)にも

「お前は“試合で勝つ事が目標”じゃなくて“努力する事が目標”になっている。」

と言われました。

 

当時は「こっちは必死で頑張ってるのに何言ってんだよ。コンチクショー\(◎o◎)/激オコ!!笑」と思っていました(笑)

 

今となればよく理解できます。

当時の僕は完全に「無」寄りの「無」

頑張ってはいるけど、惰性の極みでした。。。( 一一)

だから、一見省エネに見えるけど、頭を使って無駄無く練習しているチームメイトには勝てませんでした(苦笑)

今でも常に理想的な「有り寄りの無」でやれてるとは思えていません。

ただ、その状態に近付けるような練習を常に心掛けています。

そこには俗に言う「心 技 体 智」の全てが必要で、簡単に条件を揃える事は出来ません。

簡単じゃないから挑戦する価値もある。だから常にそこの領域に持っていける努力をする必要性があります。

またその領域を〈通常の自分=習慣〉にしようとする目的意識が〈意識レベル〉をワンランクアップさせてくれる・・・

 

 

 

・・・はず!笑

 

 

ペン習字の練習をしていて改めて気付かされた出来事でした☆

 

なんか堅苦しい内容になってしまいましたね。笑

そしてなんか表現の仕方も上手くいかなかったなぁ。。。

 

 

あ、今日はシチズン時計のチームメイトがお見舞いに来てくれました?

嬉しかったな〜楽しかったな〜優しさに感謝だな〜(≧▽≦)

おしゃべり出来る楽しさ、仲間がいる嬉しさ。これらも改めて気付かされました!

“当然と思えることも奇跡”なんですね♪

↑あれどこかで聞いたことあるフレーズに似ているぞ。。。(気付く人いるかなぁ 笑)

 

明日、無事に退院出来ますように(*^^*)

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