3回目の大きな「チェンジ」は75年カルカッタ大会のあとだった。技術は円熟期に入っていたが、戦術を「変えた」。カルカッタ大会ではシングルスで3位に入ることができたが、準決勝でハンガリーのヨニエルに敗れた。この頃は、まだ相手のドライブに対してバックハンドを振れなかった。カルカッタのあとに、何かきっかけをつかむために東京・三鷹の荻村さんの卓球場に行き、練習した。夜の9時にならないと帰らないと言われれば、9時に行き、練習場で待っていた。この頃に、相手のドライブに対してやや台から下がってバックハンドを振る練習も行ったし、同じ打ち方でナックルにして返すバックハンドも習得した。
試合中でも練習中でも、選手の間では荻村さんの言っているアドバイスが理解できないという人もいた。しかし、私は感覚としてとても理解しやすかった。そして迎えた77年のバーミンガム大会は、自分で考えても、それまでの自分の卓球とは相当に違っていた気がする。まさに「河野満の卓球」としての完成形があったと思っている。
まず精神面では、バーミンガムでは「勝とう」「この大会で優勝しよう」という気持ちが全くなかった。思えば、67年ストックホルム大会ではシングルスの決勝で長谷川信彦と対戦し、途中リードして勝てると思い、精神面が崩れて2位に甘んじた。次の69年ミュンヘン大会では団体戦で全勝し絶好調。ところが、「優勝できるぞ」と意気込んだシングルスでは、ベスト8決定戦でアメリン(ソ連)に負けた。優勝できるぞという気持ちが強すぎて、試合中にブルって負けたのだ。
バーミンガム大会前の日中交歓大会では中国選手に勝てなかった。この時点で勝ちたいという欲は捨てた。バーミンガムでは欲や重圧がなく、邪念を捨て、無我の境地で戦うことができた。
団体戦でも完璧な試合をすることができた。なぜなら、試合中に相手のドライブの回転が見えたのだ。相手が打ったボールがどのくらいの回転量なのか察知できたので、ボールの回転量に合わせ、また回転量を利用して落ち着いて返球することができた。これは生まれて初めての体験だった。今でもなぜそうなったのか、自分でも説明がうまくできない。邪念がなく、澄み切った心理状態だったからか。欲も重圧もなく、落ち着いていたからか。それとも絶対的な自信があったからか。
ヨーロッパのパワードライブは完璧に止めることができたのだが、止めるだけでは相手の連続攻撃を受けてしまう。大会中にも荻村さんからアドバイスを受け、止めるだけでなくバックハンドを振ることを心がけたし、「後の先の戦術」、つまり相手に打たせてそれを狙う戦術を使った。台から距離を置いて、バックハンドで攻撃するボールと同じスイングでナックルにして返すことができた。このボールはおもしろいように効果を発揮し、ハンガリー、ユーゴのドライブ選手はネットミスを繰り返した。荻村さんに教わり、練習してきたことだから、試合中でもアドバイスを受ければそのままできた。また、打っても守ってもすべてが逆モーションになっていた。
シングルスでは2回戦でそれまで勝てなかったイングランドの選手に完勝した。ここからまさに勢いに乗り、ゾーン状態に入っていく。優勝する時とはそういうものかもしれない。しかし、それは偶然に起きたことでも、急に目覚めたものでもない。若い時からの多くの失敗、座禅などの精神修行、優勝できずに苦しんだ経験の積み重ねがあり、29歳という年齢になって、開花したのだろう。
選手を続けていく限りは常に変わっていかなくては勝てない。つまり「チェンジ」の繰り返しだ。「変える」ということは勇気がいる。なぜならば、変えたことでダメになる場合もあるからだ。中途半端に変えるのならば変えないほうが良い。変えるならば徹底して変えるべきだ。ハイリスクではあるけれど、変えたことでハイリターンとして返ってくることもある。
変えればみんなが強くなるわけではない。10人が変えれば7人はダメになるかもしれない。だから、恐くてプレースタイルを変えられない人が多い。それは目の前の勝利を考えるからだ。目の前の1勝がほしいから、そのあとの何百勝が見えなくなる。そこで開き直り、「ダメでもともと、変えなければもうおしまいだ」という気持ちになって、日々の改革を徹底してやることが大切だと思う。
ツイート