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インタビュー

【PEOPLE】子どもたちに卓球の楽しさを教える小原秀元監督。「うちのチームは疲れたら遊んでもいいんです」

 

365日、24時間使用可能な「ファン卓球センター」

 

−JUCIPの卒業生には、全中チャンピオン、インターハイでベスト4に入った手塚崚馬(現明治大)選手のような全国区の選手もいますね。

小原 それは長い間やっている時のご褒美かなと思っています。40年も続けていると、どれもこれも思い出がありますね。教え子が日本一を取ったというのは大きな出来事のひとつです。どんな小さな大会でも、それなりの選手がいて優勝することは大変難しいことです。小さなオープン大会、地区大会、県大会など大会の規模に関係なく優勝は特にうれしいものです。どれもこれもうれしい思い出がいっぱいありますね。

 

−チームとしてJUPICの成績はどのようなものでしょうか。

小原 全日本クラブ選手権の小・中学生の部で3位が最高ですね。全国ホープスにも何度も出ていますがベスト16が最高成績です。

 

−お話を聞いて、小原さんの活動からは地域の活性化を越えているイメージを抱いています。それはやはり、地元への恩返しということからでしょうか?

小原 地元というよりも、子どもたちに卓球の楽しさを教えたいということなんですよね。そういう思うのほうが大きいです。うちのチームはファン卓球センターに来たら何をしてもいいんですよ。卓球をやってもいいし、疲れたら遊んでもいい。そしてまた卓球をやりたくなったらコートに入る。コートに行ったらコーチがちゃんと教えてくれます。

平日の子どもたちの練習は、基本的には19時15分から21時まで。出欠を取らないので、好きな時間に来て、好きな曜日に来ていい。送迎する親の都合もあるので、時間はそれぞれに任せています。小さい子は早く寝なければいけないから20時には終わりとかですね。

 

−JUPICでは卓球を楽しんでやるということが一番なんですね。

小原 そうですね。私は「好きこそ物の上手なり」という言葉が好きでして。

卓球を楽しんでいるうちに卓球が好きになり、卓球が好きだから卓球が上手になり、上手になったから結果が出るようになるわけです。

結果は始めから求めるものでなく、結果は後からついてくるご褒美だと思っています。

それから、常に褒めることに心がけています。40年も子供たちを褒め続けているため、もう怒り方を忘れてしまいましたね。

 

 

名門・松商学園高を率いた中野先生もJUPICのコーチ陣のひとり

 

−小原さんはJUPIC監督という顔のほかに、長野県卓球連盟の理事長という重責も担っておられます。連盟の仕事はいつからやられているのでしょうか?

小原 私が35歳の1988年頃から、6年間ほど長野県卓球連盟の事務局長をつとめたと思います。当時は松本市に県卓連の事務局があり、理事長は野本道夫さん(故人)でした。2008年から松本卓球連盟の理事長となり、2018年から県卓連の理事長になりました。

 

−こちらについてはJUPICとはまた違った思いでの卓球への恩返しということでしょうか?

小原 実はもうかなり昔のことになりますが、長野県楢川村にナショナルチームのトレーニングセンターがあった以前から、各種の大会開催準備、アジア卓球連合の会議が松本市で開催されたこと、ITTF卓球ミュージアム建設計画のためなど、荻村伊知郎さん(故人/元国際卓球連盟会長)が頻繁に長野県を訪れていました。その時の送迎などのお手伝いをさせていただきました。

それが縁で荻村さんとの親交をもたせていただくことになって、イギリスのヘイスティング市へITTF語学研修に2週間行かせていただきました。荻村さんと親交をもたせていただくことになって、イギリスへ卓球や語学の留学に行かせていただくという経験をさせてもらいました。

また、長野オリンピック招致も兼ねて、卓球の新しい国際大会としてIOC会長杯という大会を荻村さんが作られて長野県で開催しました。その後に長野オリンピックがありました。荻村さんが提唱された全日本クラブ選手権大会も、第1回大会から第5回大会まで長野県で開催しました。この国際大会や全国大会の開催時にも事務局として携わりました。荻村さんとの出会いから、そういった仕事を経験させていただき、そうしたことが後の県内の理事長などの仕事に繋がっています。

一時期は、日本卓球協会のランキング委員長や理事の仕事もさせていただきましたが、そういった卓球の仕事に就いたのは荻村さんの影響です。

 

−そういうご縁があったのですね。最後になりますが、今度はどのようにしていきたいとお考えでしょうか。

小原 今後もこのまましっかりと続けていきたい。JUPICとして、子どもたちのほうに傾注したいですね。

これまでのJUPICの(子どもたちの)会員番号は860番台。入会申込書を持ってきてくれた子が40年間で860人です。こんなに多くの子どもたちがここで卓球を通じて育ってくれました。私もだいぶ腰が悪くなって動けなくなってきていますが、「継続は力なり」でこれからも長く続けられるように健康に気をつけながら続けていきたいですね。

 

 

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