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ピンポン外交50周年 伝説のチャンピオン荘則棟 波瀾万丈の人生を語る

「日本の卓球」という映画を見て、荘則棟は荻村伊智朗と田中利明を師と仰いだ。その荻村(左)とのツーショット

 

世界チャンピオンになるためには、

フォアもバックも両方

攻めていかなくてはいけない

 

14歳の時(54年)に、北京第22中学校の校内大会のチャンピオンになりました。56年には北京市の卓球大会のジュニアの部で初めて優勝し、そのあとから黄応麟というナショナルチームのコーチに教わるようになりました。

そして56年に東京で行われた第23回世界選手権を8mmフィルムで見て、さらには、荻村伊智朗さんが自ら製作し、荻村さんと田中利明さんが出演した「日本の卓球」という映画が、田舛彦介さん(タマス創業者)から中国卓球協会の陳先会長に贈られて、陳会長から多くの卓球関係者に配布されました。この映画を見て、その練習法を学び、私は多くの影響と刺激を受けました。当時、中国の銀行でこの映画が上映されていました。銀行には門番がいて、私を入れてくれないために、私は土下座をして、何とか頼み込んで中に入れてもらい、見ることができました。

この映画を見たあとには、荻村さんと田中さんが私の先生だと思うようになりました。私は荻村さんと田中さんの門に入っていない弟子だったのです。当時、私は16歳でした。

荻村さんと田中さんの卓球練習法は今でも参考になる部分は多く、それに自分の考えを付け加えていきました。そのふたりの練習法を見ながら、また中国のコーチから多くのことを学びながら思ったのは、世界チャンピオンになるにはカットマンでは通用しない。ペンホルダー日本式のフォアハンド重視の片面攻撃(単面攻)でも駄目だろう。中国のペンホルダーのバックショートとフォアの攻撃スタイルでも駄目だろう。両ハンドで攻める卓球(両面攻)が絶対的にすぐれていると私は判断し、そのやり方を選びました。

思いつきで選んだわけではなく、ほかのやり方を全部試した結果、私はこの卓球スタイルを選んだのです。55年に、バックはショート、フォアは攻撃、つまり左押し右打ち(左推右攻)という中国伝統の前陣速攻のスタイルを試してみました。カットマンは打たれっぱなしになる消極的なスタイルだし、日本のフォアハンドだけの片面攻撃も全面的ではないのです。

世界チャンピオンになるためには、フォアもバックも両方攻めていかなくてはいけない、というのが私の考えでした。当時、両ハンドで攻撃する王傳耀、胡炳権という選手が中国にいましたが、少し台から下がって打つスタイルでした。そのふたりは身長があるから良かったけれども、私は身長がないので、前陣で攻撃するスタイルを自分なりに作りました。現在、世界の卓球では中陣で両ハンド卓球をする選手がたくさんいますが、私自身、この前陣での両ハンド攻撃を作り出したことが、自分の卓球生活に大きな影響を与えました。つまり、この両ハンド攻撃のやり方を実践し始めてから、それまでコーチに教わったフットワーク、スイングが合わなくなったのです。

その頃は真似する人もいなかったので、やり方だけでなく、その打法の名前(呼び方)も自分でつけたほどです。私は斬新な打法を作りましたが、当時、私のコーチだった傅其芳は私の打法に対して反対でした。私の打法は安定性に欠けていて、ラリー中の強打が多くなることで、勝つのも早いが負けるのも早かったのです。

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