実は、その日から約1カ月前の全日本選手権。伊藤美誠との激しい選考レースの末、五輪の切符を決めた時の会見。平野美宇の語りが以前と大きく違っていることに気がついた。
以前の、ほんわかとした天然トークではなく、言葉の選択と語りに強い意志を感じたのだ。語尾のアクセント、テンポまで違っている印象だった。
そして彼女の口から出たのは「自分の人生は自分でコントロールする」という言葉。
五輪代表レース、追い詰められた彼女が、自分に言い聞かせ、心の中で反芻(はんすう)した言葉は、23歳の女性が口に出すような言葉とは思えない。が、そこには卓球人生20年の平野美宇の決意と、五輪への思いを感じ取ることができる。
極限状態に追い込まれた彼女が、代表を決め、その強烈な呪縛から解放された瞬間に、最終選考会としての全日本は終わった。
大会後、しばらく練習できなかったほど、五輪代表の重圧は彼女を押し潰していた。その状態から回復できずに迎えた世界卓球。イラン戦の後のうつろな表情は、自分の試合ぶりに呆然としたのではなく、まだ彼女自身が目を覚まさず、世界卓球へのスイッチングができなかったことに後で気づいた。
しかし、決勝での平野美宇は、重圧から解き放たれ、中国を圧倒した。2017年、「ハリケーンヒラノ」と国際卓球連盟が記し、中国を恐れさせた勢いのあるプレーとは内容も違う。
卓球の幅の広さ、戦術とメンタルも格段に深みを増した。五輪代表レースの険しい道を超えてきた者だけが持つ、苦しくても負けない強さと、中国にも勝ち切る強い気持ちを備えた平野美宇は、なんとも頼もしい選手に成長してる。
山梨から娘を見つめる母・真理子。苦しみながらも成長していく娘・美宇の変化をこう見ていた。
「メンタルという言葉よりも、人としての心の成長を感じます。『あの時、美宇が夢をあきらめずに、もう一度チャレンジしてくれてよかった』と。この2年間、いつも勝つことができたわけではありません。悔しい思いも何度もありましたが、今回の美宇には一貫して変わらないものがありました。それは美宇がよく口にした言葉に表れています」。
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「本当にたくさんの方に支えられている。そのおかげで自分がいる」
「同じ失敗は繰り返さない。私は逃げない!」
「自分の人生は自分でコントロールする!」
「『やるか、やらないか』ではなく、『やるか、やるか』」
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美宇の心の成長を感じる言葉です。周りの方への感謝の気持ちと、夢に向かって頑張る前向きな強い気持ち。我が子の成長を感じながら我が子を精一杯応援する。こんなに幸せなことはありません」(真理子)。
身体能力的に目を見張るものがあるわけでもない。性格も前面に闘志を出し、自分が自分がと我を出すタイプでもない。しかし、目指すべきものに向かって努力を続ける才能。つらくても逃げ出さない平野美宇が躍動した決勝の中国戦。「一滴の雫(しずく)、岩を砕く」かのごとく、彼女の愚直なまでの努力が中国という岩に穴を開けた。
平野美宇の、はにかむような笑顔と、穏やかな語りの裏には血が滲むような日々の研鑽と、卓球への思いがある。東京五輪の選考レースでは石川佳純との熾烈な争いで敗れ、パリ五輪のレースでは、重圧の中、わずかな差で勝ち切った。
かつて10代の頃、怒涛の勢いでアジアチャンピオンになり、全日本も制した。山の頂きに到達したアスリートは、次なる山の頂きを前にして、もがき苦しみ、険しい道を歩き続けてきた。早田ひなにも、伊藤美誠にも、23年間の物語があるように、平野美宇にも笑顔と涙の物語がある。
そんな過酷で苦難の道を歩きながら、平野美宇の中で何かが変わってきている。決勝の相手、王芸迪を3ゲーム目、12−10で破り、彼女は勝利した瞬間、左拳を突き上げた、その拳の先にパリ五輪がある。
2月24日の深夜に、彼女が胸にかけたのは銀メダルだけではない。中国に臆することなく挑み、掴み取った「自信」というメダルかもしれない。
<平野美宇選手の独占インタビューは3月21日発売号に掲載>
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