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インタビュー

山崎雄樹「自分の言葉で卓球と 選手の魅力を伝えたい」

–——その後、立命館大学に進学し、放送局へ。なぜ熊本放送だったんですか?

山崎:もちろんキー局も受けましたよ。TBSは最終選考まで残ったんですが、落ちました。

私はスポーツアナウンサーになり、実況がしたかったんです。

だからプロ野球の実況ができるところ、もしくはテレビとラジオの兼営局でアナウンサーになりたいと思っていました。プロ野球の実況局である大阪、名古屋、広島、福岡も最終選考に近いところで全部落ちてしまい、就職浪人しようかと悩んでいた時に愛媛、石川、熊本の局から声がかかりました。

大きな局の最終選考くらいまで行くと、地方局への紹介もありました。その中から熊本放送を選びました。大きな理由は、ラジオで夏の高校野球の決勝戦を放送していたこと、そして高校駅伝や高校ラグビーの放送もしていたからです。

入社2年目に熊本国体もあり、4年目にはインターハイも控えていました。ローカルスポーツに力を入れている局だったのが決め手ですね。

 

–——社会人になっても卓球は続けていたんですか?

山崎:高校で引退してからは全くやっていません。熊本の強豪校である慶誠高校に取材に行った時、指導していた高木誠也さん(元女子NTヘッドコーチ)に「私も昔卓球やっていたんですよ」くらいの話をする程度でした。

でも心のどこかで、卓球はいつかは再開したいなと思っていましたね。

 

–——そこから卓球に戻るきっかけは何だったのですか?

山崎:40歳手前の2014年、青森山田高から慶誠高に転校してきた安藤みなみ選手を取材したのがきっかけです。「強豪高校生と昔卓球をやっていたアナウンサーの対決」というのをテレビの企画でやったんですよ。私も久々の卓球でしたが、ちょっとはできると思っていました。でもラブゲーム(0点)されたんです。2〜3点くらいは取れるだろうと考えてたけど、これ以上ないほどコテンパンにされました。

その時、高木さんはスピンボールタカギという大きな卓球場を開いていて、「いつでも練習に来てください」と言ってくれたので、そこから卓球を再開しました。

卓球を再スタートしてから、熱が入り、練習頻度が増えていき、試合にも出たいなと考えるようになって、どんどんのめり込んでいましたね。

 

–——局のアナウンサーで仕事後は趣味の卓球。理想ですね。そこから会社を辞めてフリーアナウンサーになったきっかけは?

山崎:いろいろと理由はあるのですが、まず熊本の局でやれること、やりたいことをすべて達成してしまった。そこで何か新しい挑戦をしたいと考えるようになりました。

それと実は激務や会社内での人間関係などに苦しみ、仕事ができないほど心身ともに落ち込んだ時期がありました。

そんな時、私を救ってくれたのが卓球であり、卓球仲間でした。卓球の練習をしている時や同世代の卓球仲間と過ごしている時が唯一自分らしくいられる時間でした。私が所属事務所が決まった時にはガッツポーズをして喜んでくれるような仲間は本当に大切な存在です。今では自分の活躍を見て、「熊本のことを忘れとる」と冗談交じりに言われますが、決して忘れることはありません。

 

また、立て続けに卓球との縁を感じる出来事がありました。

映画「ミックス。」が上映されたことや、

治療などのおかげで、心身が回復傾向にあった2017年秋には全日本カデットが熊本県で開催され、開会式と表彰式の司会をやらせてもらいました。

開会式でも表彰式でも「自分も中学時代にあと一歩で出られなかった大会にアナウンサーとして関われることが、とてもうれしいです」と挨拶させていただきました。

しかも小学生の時のダブルスパートナーである真田さんは名電中の監督をしているし、「うわー立派になったなぁ」と。

さらにTリーグが始まる話が浮上してきて、自分の好きな卓球とアナウンスができる、実況ができるんじゃないかと、希望を持ち始めたんですよ。

ただ、最初は熊本と実家のある三重を拠点に九州や関西、東海で活動しようと思っていましたが、Jリーグ中継などでお世話になった方に紹介してもらって、今の東京にある圭三プロダクションの面接に行きました。

その時に常務に3つのことを言われて、決心しました。

1、フリーならワンルームでもいいから東京に拠点を作るべきだ。国際映像も含め、多くの映像と仕事が東京に集まってくる

2、考えてスッキリと結論を出して、フリーになった人はうちにはいない。みんな不安やリスクを抱えてきている

3、所属したあとに頑張れるかどうか

 

この3つを言ってくれて、よし東京でチャレンジしようという気持ちになったんです。

熊本でも20年間お世話になった方

もいますし、チームができてから10年以上、取材や実況をしてきたJリーグチーム(ロアッソ熊本)もありましたし、手前味噌ですが、私に実況してもらった、取材してもらったと喜んでくれる中学生や高校生もいたので、後ろ髪を引かれる思いもありました。

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