卓球王国 2024年4月22日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
今野の眼

男子団体銅メダルを決めた全日本男子倉嶋洋介監督。「私が辞めること、それによる変化も必要だ」

 

東京五輪の男子団体、銅メダルを決めた瞬間にチーム全員で抱き合う

 

東京五輪では混合ダブルスで中国ペアを倒して金メダルを決めた卓球ニッポン。

男子団体では銅メダルを獲得した倉嶋洋介全日本男子監督が9月末日でNT(ナショナルチーム)監督を退任する。

以下は。倉嶋監督への単独インタビューである。

 

「今後の卓球界を考えた時には

このタイミングで私が辞めること、

それによる変化も必要だと感じました」

 

  • ーいつ退任を決めたのでしょうか?

 

東京オリンピックがひとつの区切りになるのはわかっていましたが、大会が終わったら退任すると決めていたわけではなく、東京オリンピックの全ての日程が終わった時に改めて考え、決意しました。

 

  • ー退任の理由は何でしょう?

 

今後の卓球界を考えた時にはこのタイミングで私が辞めること、それによる変化も必要だと感じました。たとえば、パリ五輪まではあと3年で、その3年をやれる自信もありますが、長く続けることが良いとは言えない。変化も必要で、その新たな変化が「打倒中国」、卓球界の発展につながってくれればいい。

NT(ナショナルチーム)の現場の指導者としては、オリンピックごとの4年間のスパーンで計画を作ります。つまり、リオ五輪後に監督を続けることになった時、2020年の東京五輪に向けて計画を作りました。ところが、コロナ感染拡大で1年延期され、この1年間は辛い時間でしたし、もし1年前にオリンピックがあったら違った結果になったかもしれない。

ただ混合ダブルスでの金メダル、そして打倒中国は、1988年のソウル五輪以来の日本の悲願の達成です。君が代が流れ、メインポールに日の丸が揚がった時の感動は忘れません。

 

  • ー今回、男子は団体での銅メダルと、混合ダブルスのメダルですから0.5個ということですね。

 

私は団体の1個プラス、混合の0.5個という言い方は好きではないです。日本チームは男女が団結して一体となってオリンピック、世界に立ち向かっているのです。

東京五輪の混合ダブルスで日本の素晴らしい歴史を作ることができました。一度、中国を倒して優勝するという経験をすると、壁に穴が開いた状態になり、今後も同じように勝つという現象が生まれるものです。つまり、今後の世界イベントで日本が中国に勝って優勝することが増えてくると思います。もちろんそのためには継続的な選手強化は必要不可欠です。

 

  • ー会社を辞めて、コーチとして強化本部に入ったのはいつになりますか?

 

2010年3月末に会社を辞めて、4月からナショナルチームのコーチになりました。コーチを2年半やり、2012年ロンドン五輪の後に監督になりました。監督は9年やったので、12年半、NTのコーチと監督をやったことになります。自分としては20年間くらいやった感覚ですね。自分にしかできない人生経験と勉強をさせていただきました。

その中で、大きく考えれば、卓球界の発展を常に考え、そこにやりがいを見いだしていたのです。選手の育成・強化をして成績を出すことが主たる仕事ですが、NTの活動として、各カテゴリーの指導者、選手たちに世界の情報を伝えることや、全国各地で講習会を行うこともやってきました。また、メディアの方たちには卓球を理解していただき、多く取り上げてもらうことも意識してきました。それらの活動は大きく考えれば「卓球界の発展」「卓球をメジャーにする」ということだったと思います。

 

  • ー卓球界の発展を考えるのであれば、ここで辞める必要があるのでしょうか?

 

同じ人が続けることが良いとは言えないと思います。NTの現場のトップにも変化は必要です。もちろん若い選手の成長を見届けたい気持ちもありますが、私としてはこのタイミングで後任の方にバトンタッチして、NTにも大きな変化が起きたほうが良いのでは、という考えです。

 

  • ー13年近いNTでの指導の中で、印象に残っていることは何ですか?

 

2017年世界選手権デュッセルドルフ大会の混合ダブルスで、吉村真晴と石川佳純のペアで優勝して、今回の東京五輪のように一番高い場所に日の丸が揚がり、君が代が流れるのを聞いた時ですね。もちろん今回の金メダルも格別なものですが。

それに2016年リオ五輪での団体決勝の中国戦ですね。銀メダルは獲ったけれども、金メダルを逃した。チャンスがあっただけに、あの時は銀メダルを獲得したけど、落ち込みましたね。この敗戦が一番悔しい思い出です。

2013年世界選手権パリ大会の松平健太対馬琳戦。2018年ジャパンオープン決勝の張本vs張継科戦、2018年チームW杯準決勝韓国戦などが思い出深いです。もちろん負けた試合は全部悔しい。

 

  • ーNTのコーチ・監督というのは毎年相当な日数を遠征や合宿に費やす仕事でしたね。それに成績に対してのプレッシャーも大きいと想像しますが。

 

私は子どもが3人いて、家を留守にすることが多かったので、ほとんど妻一人で3人の子どもを育ててもらった感じです。感謝しかないです。これからは家族孝行をしたいですね。

13年間、常にプレッシャーはありました。プレッシャーを感じるというのは、自分への責任と捉えていました。日本代表として負ければ批判されます。プロの指導者というのは結果がすべてです。批判を恐れず信念と覚悟を持ってやらなければいけないし、時に批判から学ぶこともあります。

 

  • ー後輩たち、NTに今後託すことは何ですか?

 

私が託すというものはないです。次の監督がその監督のカラー、特徴を活かして立派に世界と戦ってくれることでしょう。私自身はやり残したことがないくらいに、やらせてもらいました。ただ、中国に追いつき、倒していくためには、強化のシステムを向上させる必要があります。選手と指導者、環境は三位一体のものです。卓球界は取り巻く環境は徐々に良くなっていると感じますが、指導者を育てるという意味ではまだ十分ではありません。指導者を育成していくプログラムが必要です。それを他の競技の模倣ではなく、卓球独自のものとして育成プログラムを作っていく必要があります。それをやっていきベースアップを図っていき、選手、環境、指導者のそれぞれの質を高めていくことが大切です。

中国のあの組織力は規模が違います。規模の大きさで勝負しても追いつきませんが、質を高めていきながら勝負をすることが必要です。選手の数の多さではかないませんが、日本は少数精鋭主義で、英才を育て上げる工夫が必要です。

日本の指導者には素晴らしい熱意を持っている方々が多くいます。そういった指導者がさらに研鑽の場が増え、トップダウンで勉強と経験をできる場、活躍できる場を提供できるようになるといいなと思っています。

最後に、一緒に戦ってくれた選手、コーチ、スタッフには感謝とリスペクトしかありません。支えてくれた卓球ファン、スポンサーの方々にも感謝しかありません。

 

  • ー倉嶋さんの今後の活動は?

 

しばらく何も考えずゆっくりしたいと思います。リフレッシュできたら、またじっくり次のステップを考えたいと思っています。

 

  • ー長い間、お疲れさまでした。

 

五輪の男子団体で銅メアルを決めた日本チーム

 

会場で応援する日本チームのサポーター

 

銅メダル決定戦でアドバイスを送る倉嶋監督(右端)

 

2016年リオ五輪での日本チーム

関連する記事