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インタビュー

卓球と笑顔で仲間を繋ぐ。神田テーブルテニスセンター・中岡賢次郎

高知県にある神田テーブルテニスセンター。オーナーを務める中岡賢次郎は、その明るい人柄と飛び抜けた行動力で、国内外に多くのつながりを持つ名物指導者だ。

 

ーー中岡さんが卓球を始めたきっかけを教えてください。

中岡:ぼくは本当は野球が好きで、中学校に入学したら野球部に入りたいと思っていたんです。でも、身長が低くて体も小さかったから、父親に「体が出来上がるまで野球部に入るのは我慢しとけ」と言われた。それで卓球部に入ったのがきっかけです。

 

ーーいつ頃から卓球にのめり込み始めたのですか?

中岡:たまたま1つ上に卓球がうまい先輩がいて、その人に教えてもらったりしているうちに面白くなっていきました。卓球レポートとかも読んだりしていましたね。練習もほぼ毎日やっていたけど、シングルスでは地区総体の決定戦で負けてしまい、県大会に出ることはできませんでした。

 

ーー当時の戦型を教えてください。

中岡:戦型はシェークだけど、本当に何もわからない初心者だったので、たまたま最初に買ったラバーが片面アンチでした。当時、中国にアンチラバーを使って戦う蔡振華という選手がいて、先輩がその話をしてくれていました。それを参考に、ラケットを反転させながらサービスを出したりもしていたけど、次にラバーを変える時には普通の裏ソフトラバーに変えました。

 

ーー高校でも卓球を続けられたんですよね?

中岡:高校は追手前高校に通いました。普通の進学校で、特に卓球が強いわけでもなかったです。顧問の先生もバスケ部から異動になった卓球初心者でした。もともとは合宿がない部活だったけど、先生の許可をもらって予約から何から全部自分で手配をして、合宿をするようになりました。中学の時よりも外部で練習することも増えたので、少しずつ強くなって、高校最後の県総体では明徳義塾高の選手に負けてしまったけど、シングルスでベスト32まで行くことができました。

 

ーー高校卒業後の進路はどうされたんですか?

中岡:高校卒業後は一般企業に就職をして、趣味で卓球をしていました。20歳の時に知り合いに頼まれて地元のスポーツ少年団の手伝いをするようになったのが、ぼくの指導の原点ですね。休みの日や、仕事がある日はなんとか都合をつけて後半の1時間だけでも行くようにしていました。

 

ーー卓球場はいつ頃始めたのですか?

中岡:一般企業に12年勤めて、30歳の時にこの卓球場をスタートさせました。本当に選手をゼロから育てたらどこまで強くなるかを見てみたかったんです。2002年にスタートして、当時の名前はファーストステップ。6年前に現在の「神田テーブルテニスセンター」に改名しました。

神田テーブルテニスセンターの外観。2階が卓球場になっている

ファーストステップ(現:神田テーブルテニスセンター)出身で、11年世界選手権にも出場した谷岡あゆか

今年の全日本選手権全日本選手権4回戦で張本智和と好勝負を繰り広げた公務員チョッパー・竹崎千明(岡谷市役所)もファーストステップ(現:神田テーブルテニスセンター)出身だ

 

ーージュニア教室がメインですか?

中岡:うちはジュニアと一般の生徒が半分ずつくらいです。コーチは基本的にぼくと下の娘がメインで、たまに地元の大学生が練習を見てくれています。

取材日は全中の前日だったため、卓球場の生徒に加え、全国各地の中学生たちが練習に訪れていた

 

ーーショップも併設されていますよね。

中岡:ショップもやっているけど、基本的に教室に来ている生徒さんのために設置しているものなので、外部のお客さんが買いに来ることはほとんどないですね。

教室に来る生徒さんに合ったラバーを厳選して販売している

ショップの壁には卓球場に訪れた選手や指導者のサインが書かれている

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