卓球王国 2021年2月20日 発売 vol.287
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インタビュー

「審判は卓球との関わり方のひとつ」。史上最年少の公認レフェリー・岡部祐輔

●審判員デビュー、19歳で全中決勝の主審を担当。史上最年少の公認レフェリーに

――岡部さんはどのようなキッカケで審判員を目指したのでしょうか?

岡部祐輔(以下:岡部)「中学から卓球を始めて、高校時代には丸善クラブ(東京)に通っていました。強いクラブなので周りの選手たちは全国大会だったり、大きな大会に出ている。ただ、ぼくにはそんな実力はなくて、彼らを見て『良いなあ』と思っていました。

 それで、審判としてなら(強い選手と)同じところに行けるんじゃないかと思ったんです。それがキッカケでした。あとは地元のクラブに審判の資格を持っている方がいて、話を聞くとおもしろそうだなと感じたんです」

 

――実際に資格を取得されたのはいつでしょうか。

岡部「高校2年生の時に『公認審判員』の資格を取得しました。各高校の主将が集まる会議があって、その時に希望者は審判講習会を受けることができたので、そこで資格を取りました。山梨県卓球協会は高校生にも審判員の資格取得を勧めていて、当時は2年後に山梨で全中、日本リーグが開催される予定だったので協会としても審判員を増やしたかったと聞いています」

 

――「審判デビュー」の大会は覚えていますか?

岡部「山梨であった2004年の全中ですね。ぼくは大学1年生でした。団体戦で、ある学校の監督がゲーム間以外にベンチから選手にアドバイスを送っていたので、イエローカードを掲示したんです。それを見ていた審判長から『お前、度胸あるな。決勝もやってみろ』って言われて、本当に男子シングルスの決勝で主審をやらせてもらいました。決勝は水谷選手(隼/当時・青森山田中)と甲斐選手(義和/当時・明豊中)の試合。緊張しましたね(笑)」

2004年全中の男子シングルス決勝で主審を務めた岡部

 

――すごいデビューですね。そこから審判員としての活動がスタートした。

岡部「全中で(山梨県卓球)協会の審判部の先輩たちに『やる気がある』と認めてもらって、そこから上級公認審判員、国際審判員、公認レフェリーとステップアップしていきました。今のところ、上級公認審判員と公認レフェリーは、ぼくが史上最年少での取得者になっています。ぼくひとりで取得できるものではないので、山梨県の協会の方々には感謝の言葉しかありません」