卓球王国 2022年7月21日 発売 vol.304
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欧州のミスター・バタフライ、今村さん退職。「もともとニワトリ小屋が事務所だった」

 

来日したボル(左)に帯同する今村さん(中)と田舛公彦さん(元タマス社長)

 

卓球のセンスと言うよりも、
そこまで(卓球に)馬鹿に
なれる選手なのかなと思ってました

●ー1997年に松下浩二がドイツに行っています。日本人初のブンデスリーガーで、今村さんは40歳の時ですね。日本から行ってドイツでプレーしたのは松下が3人目なんですね。
今村 3人目ですね。ひとり目は会ったこともなく、クラブを紹介しただけ、4部か部リーグでした。二人目が橋津君(野田学園監督)で5部か6部かな。

●ー松下浩二が行く時にはクラブを探したのは今村さんだけど、会社の命令で世話をしたんですか?
今村 会社を通さずに選手が来ることのほうが多いです。浩二君は直接かもしれない。本来、クラブは外国人枠が1名分しかないので、中国選手を使いたいから日本選手は考えてなかった。浩二君が行った2部の「プリューダハウゼン」はオーナーがカットマンで、「カット大好き」だから飛びついてくれた。浩二君と話をしていた時も、「プリューダハウゼン」で良い成績を出して、早く1部でやろうねと。ただ1部でも1番手は難しいじゃないですか。興味を示してくれるチームが絶対あるという確信もなかったけど、「ボルシア(・デュッセルドルフ)」に話をしたら、「面白いじゃないか」と言ってくれました。

●ー彼が「ボルシア・デュッセルドルフ」でプレーしたのはブレークスルーですね。それまではドイツに行くという発想もなかったけど、松下浩二はその前にスウェーデンリーグも経験していたから、違和感なくドイツに向かっていった。
今村 彼は普段の生活は全部自分でやっていたから、ひとりでも生きていけた感じですね。鬼頭(明)とか田崎(俊雄)のほうが少し手がかかりました。ドイツに日本選手が来て挑戦するというのは浩二君がきっかけですね。

●ー今村さんはベタベタとした人間関係は作らないんですか?
今村 普段からベタベタしてないから、できるだけ最低限のことしかやっていないし、できるだけ選手自身にやってほしかった。

●ー今村さんは、田崎にしても長嶋さん(正子)にしても、あまりメーカー関係なく世話しているし、浩二はしょっちゅう、今村さんの家でご馳走になっていたと言ってました。
今村 そうですね。長嶋さんとか内藤(和子)さん、梅村(礼)とかは時間があると家に来てましたね。みんなうちの奥さんと仲が良くて、ぼくと(ビールを)飲みに来るわけじゃないんですよ(笑)。男子でも女子でもあまり関係ないですね。

●ー松下浩二は大人だけど、その後、2002年に「サカ・キシ」コンビと言われた坂本(竜介)と岸川(聖也)がドイツに生きますね。さすがに中学生、高校生が来ると気を遣うでしょ?
今村 いや〜、(中学生だからとか)マリオもそんなこと気にしなかった。ドイツの場合、義務教育を受けている年齢だと、ドイツの学校に行かなきゃいけないので、聖也と(水谷)隼は観光ビザをやりくりする形にして、法的に大丈夫かなという問題もあるので、家庭教師をつけて勉強させました。

●ー保護者みたいですね(笑)。
今村 いや、マリオが雑だから、「クロアチアならそんなのは大丈夫」と言ってくるから(笑)。「今は卓球が中心で、学校には行ける時に行けばいいんだ」と言っていた。
いろんな人にお世話になっていますね。隼みたいに「ぼくは野菜食べません」と言ってくる子もいたので、デュッセルドルフでレストランでやっていた日本人のおばさんがいて、その人に全員分食事を作ってもらったりしてました。ドイツに駐在していた守永さんというご夫妻が市内にいて、奥さんがボルシアで卓球をやっていたし、選手たちは本当にお世話になりました。他にもいろんな方にお世話になりましたね。

●ーマリオは当時、「この子どもたちの才能はすごい。いずれ世界のトップクラスに行く」と言っていて、ぼくは「本当かな」と思ってましたけど、今村さんはどう思っていましたか?
今村 卓球のセンスと言うよりも、そこまで(卓球に)馬鹿になれる選手なのかなと思ってました。ティモ(・ボル)とかディマ(・オフチャロフ)はいろんなことは考えないで、「これ(卓球)しかないんだ」と思ってやってるんですよ。
選手寿命も違う。ヨーロッパではプロになろうと決心したら、15歳くらいから20年間は食っていけるんですよ。卓球をいつまでやろうかなとかじゃなくて、卓球は職業としてやれるところまでやろうと、30半ばとか40までやるし、代表チームから外れてもクラブ選手としてずっとやりますから。
みんな義務教育が終わったら、高校に行かないでプロでやろうと考えるし、もしくは大学入学資格を取って、3年、4年真剣にやって、もしダメだったら大学に行こうかという選手はいます。ティモとかディマとか、クリスチャン・ズース(ドイツ・元五輪メダリスト)のように義務教育の後、プロを目指す人がいますけど、途中で卓球ができなくなったら大変です。ズースは卓球をやめた後、一時電車の運転手をやったりしていたけど、今はパイロットを目指しているようです。

 

2部リーグの試合に臨む水谷

 

2005年当時、ボルシア・デュッセルドルフで練習する日本の若手

 

 

隼は「(卓球を)やらされている感」が
強かったですよ。どこまで卓球が
好きなのかはわからなかったです

 

●ーそういう選手を見ている今村さんにとって日本の若い子どもたちはどう映っていたんだろう。
今村 隼は「(卓球を)やらされている感」が強かったですよ。どこまで卓球が好きなのかはわからなかったです。卓球のセンスはみんなありましたけど、どこまで卓球を続けるんだろというのはヨーロッパの選手とは比較できないですね。ただ、見ていると面白い卓球でした。

●ー当時、竜介、聖也、隼がドイツに行った時には、日本卓球協会の会議とかでも「ドイツに行っても強くならない。日本選手には日本の指導者が必要、ヨーロッパ選手とは筋力も体格も違うんだから」とか言われてました。それは耳に入ってましたか?
今村 それは聞いてました。そう思う人が多いだろうなと。吉田先生(安夫)さんがまだお元気でしたけど、吉田先生の教え方だと、高校くらいで終わってしまうのかなと考えていました。日本で勝てても世界ではどうだろうとか。長期的にはヨーロッパで卓球をやったほうが自由な卓球ができるから、ドイツでやるほうが伸びていけるのかなと。
隼と聖也は全く違う卓球だけど、ドイツで揉まれて結構(上に)行くかなという感じがありました。聖也がブンデスリーガでワルドナー(スウェーデン)と初めてやった時にもあんなに簡単に勝つとは思わなかったですもん。たまたまぼくも見に行ってた時です。現役中のワルドナーとやったら面白いなと思って見に行ったら、簡単に勝っちゃった(笑)。
隼も2部リーグだとヨーロッパの国の元代表選手と試合をして簡単に勝っちゃう。いきなり変な技を使うしね。ベテラン選手に対してそれをやるから、それは面白かった(笑)。

●ー隼がドイツから突然いなくなった事件がありましたね(笑)。
今村 ありましたね。卓球レポートでは当然書けないしね(笑)。

●ー松下浩二に聞いたら、「あの時、今村さんが大変だったんですよ」と言ってました。
今村 ぼくはどうしようもなかった。そうしたら数日後に日本のどこかに隼が現れて、それにみんながびっくりした。(笑)

●ー隼はロシアリーグの「UMMC」から「オレンブルク」に移る時も大変でした。
今村 彼は自分でやっていたけど、簡単にチームを移れない契約書だったから、「UMMC」側がなんで交渉しないで移籍先を決めるんだとかなり怒っていた。最終的には移籍できたけど、簡単には手放してくれなかった。(隼が大変だったのは)あの時くらいだけですよ。

●ー一番手のかかったのは誰ですか?
今村 隼は手がかかったほうですけど……まあ、そうでもないかな。なんとか無事に過ごしてましたね。

●ー途中から邱建新さんの「フリッケンハウゼン」に選手が行くようになってからはだいぶ楽になったんですか?
今村 そうですね。邱建新が全部やってくれたから。

●ーそうやって手がかかった日本選手がリオ五輪でメダルを獲った、とは言え、今村さんはティモ(・ボル)も小さい頃から見ているから複雑なのかな。
今村 これは職業病みたいなところがあって、あまり誰かを応援するというようにはならない。みんな長い間に勝ったり負けたりするわけだから、この選手に絶対金メダルを獲ってほしいという気持ちにはならない。
逆に日本の(タマスの)社員は一生懸命に日本選手を応援するじゃないですか。ぼくは拍手して日本を応援するとかはやらない。だって、相手がうち(タマス)のウエアだったり、契約選手だったりすることもあるから、ぼくはひとり離れて手を叩かないで見ていますね。応援団のところに入ったら、「なぜ応援しないんだ」と言われますからね。

●ーティモも子どもの時に契約してますよね。
今村 契約した日を確認したら11歳でしたね。担当は上鶴さんでしたが、ティモはヘッセン州のコーチからの紹介で、強くなるかどうかもわからなかった。

●ーあまり期待していなかったということ?
今村 期待も何も明日卓球をやっているかどうかもわからない年齢でしょ。

●ーいつくらいから「この選手(ティモ・ボル)は将来強くなるぞ」と感じたんですか?
今村 しばらくして彼の試合を見ていて、ずいぶん大人みたいな卓球をするなと思いました。当時のティモはロビングを上げるのが好きで、少し経って、コーチのヘルムート・ハンペルが「ティモ、下がるな」と注意してましたけど、ロビングした後に(カウンターで)叩き返すのが好きな少年でした。

●ーまるでワルドナーのようですね。
今村 そうですね。ワルドナーはずっとロビングはしていたけど、ティモは途中から前でやるようになりました。

●ー用具関係でこだわって大変だった選手は誰ですか?
今村 最近ではディマ(・オフチャロフ)ですけど、今は梅村や木村(寛)がやっていますからね。ティモは本当に簡単だった。一切変えないですから。11歳の時と同じで、「ビスカリア」だけど、グリップが太すぎたので、グリップを交換して、同じ大きさ、合板構成、重さのものを使い続けています。一度、「プリモラッツカーボン」に浮気しましたけど、あとは一切変えない。同じ重量のものを作って彼に渡しています。 <後編に続く>

 

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