●田中さんは医学部を卒業し、様々な病院で医師として経験を積んでから、開院されたのはいつですか?
田中 2年半前ですね。
●33歳のときですか? それは相当に早いですね。
田中 非常に早いと思います。通常40歳を過ぎてから開業する医師がほとんどです。ただスポーツ内科の仕事は約8年前からしています。京都・大阪・兵庫のスポーツ整形外科に力を入れている病院などから、「整形外科だけで解決できないアスリートの健康問題を診てほしい」という形で声がかかり、非常勤で週1回スポーツ内科外来をやってきました。スポーツ内科的な問題を抱えた選手はどこの地域でもたくさんおられましたし、私としては、スポーツ内科のクリニックが成功するイメージは十分にありました。
●開院してすぐにコロナ禍に見舞われたとか。
田中 もともとスポーツ内科をやりたくて開業したんですが、すぐに新型コロナウイルス感染症が拡大してしまいました。地域の内科クリニックとしてはスポーツ内科だけではなく、積極的にコロナ対応(発熱外来・新型コロナワクチン接種)をせざるを得ない状況で、今は毎日2~3名の医師が懸命に地域医療を守ってくれています。
卓球、野球、サッカー、陸上…どんな競技もそうですが、コロナが収束しないとスポーツを心から楽しめません。スポーツ内科も当然大事な診療ですが、まず目の前のコロナ対応をしなければ、明るいスポーツ界はないと考え、日々診療しています。具体的には、第1、2回目の新型コロナワクチン接種の際には、1日平均500名にワクチン接種をしていた時期もありました。発熱外来も、なるべく断らずに多くの患者さんを受け入れられるよう、工夫をこらしています。
今はワクチン接種を実施する医療機関が増えたので、当院のワクチン接種は週1~2回に減っています。ワクチン接種会場は、ワクチン接種以外の時間帯には卓球台を置いています。卓球経験のある職員とラリーを楽しんだり、夜中にマシン相手に1人フットワークしつつ、ひたすら返球したりしています。
●「ゆうき内科・スポーツ内科」は京都カグヤライズのトップスポンサーになりましたが、そもそものきっかけは何でしょう?
田中 リオ五輪の後に新聞でメダルを支えたアナリストという池袋(晴彦)さんの記事を読んだことがあり、池袋さんの名前は以前から存じ上げていました。春先に池袋さんが京都に新チームを作ろうとしている記事を読んで、その時にはTリーグとしては条件付きの承認であること、他の関係者からは財政的に厳しいということも聞いていました。
私の人生の中で一番長く取り組んできたスポーツが卓球ですし、またどんな業界でも新規参入することの難しさを身にしみて知っていました。私自身が開業する際には「この若造が…」「スポーツ内科? おまえ頭大丈夫か?」と言われるようなこともありました。新しいものを生み出すには、相当なエネルギーを必要とし、苦労も多いだろうことは容易に想像できました。枚方に隣接している京都というすぐ近くのエリアでTリーグの新チームが誕生するのは一生のうちでもう二度とないだろうと思いました。私もTwitter上で、ほぼ無意識に「困っているチームを助けることに興味がある」というような内容をボソッとつぶやいたら、関係者が池袋さんに知らせたらしく、すぐに池袋さんからDM(ダイレクトメッセージ)が来ました。そこからは、自分で言い出したからには引き下がれない状況になりましたね(笑)。ただ金額は全くわからなかったし、まさか最終的にトップスポンサーになるとは夢にも思いませんでした。
●通常、医師はチームドクターという立場でサポートすることはあっても、1つのクリニックがメインスポンサーとなるのは卓球界でも初めてですね。池袋さんにストッパーがいなかったように、田中さんにもストッパーはいなかったのですか?
田中 まあ、妻は反対でしたね(笑)。スポンサーとしての金額に合ったメリットや見返りを求めたらできないと思うんですよね。見返りがどうこう言うよりも、最終的には熱い思いを持った池袋さんを、そして京都カグヤライズを支えたいという思いが勝りました。
●田中さんとしては卓球界へ還元するという意味もありますか?
田中 もちろんそうです。私は卓球から礼儀や根性を学んだし、人間性という意味でも卓球に育てられたと思っています。私が通う中学は進学校でした。卓球部で外部コーチの石井洋子さんに、卓球の技術はもちろん精神的にも鍛えていただきました。部活は適当に楽しくやろうと思っていたので、厳しい指導を受けることになり最初は慣れませんでしたし挫折だらけでした。
私は攻撃が下手だったこともあり、すぐにカットマンになるよう指導されました。どんなに打ち込まれてもあきらめずに拾ったり、相手より1球多く粘り強く返球し続けたり…とにかく「負けない卓球」を目指して練習に励みました。
●田中さんのその後の人生や、卓球との関わり、今回のトップスポンサーになることにも中学時代に教わったことが影響を与えているのですね。
田中 それは間違いないです。正直、卓球では弱小校だったので、悔しい思いばかりで、中学を卒業するまでは楽しい思い出はありませんでした。地区大会の団体決勝で最後に負けて大泣きしたり。でも中学の部活引退後に、気軽な気持ちで練習に参加するようになったら突然カットが面白いように入るようになりました。
高校では勉強が中心でしたが楽しく卓球を続けられましたし、大学でも医学部卓球部で思う存分プレーできました。卓球に限りませんが、スポーツは礼儀や敬意など様々なことを教えてくれます。私の「どんなこともあきらめず、最後まで粘り強くやり遂げる姿勢」というのは、卓球で身に付きました。卓球を通してジュニア選手の心身が健全に発達・発育してくれたら良いなと思います。そのためにも、もっともっと卓球が普及していく必要があります。
●卓球は長く続けられるスポーツですが、卓球がシニア層の健康のために良い影響を与えるのか教えてください。
田中 例えば、高齢者施設で卓球を取り入れたら認知症の発症率が下がったという研究データもあります。このように卓球は認知症予防・進行抑制、介護予防に役立ちますし、バランス感覚、反射神経、動体視力、手指機能、基礎体力、意欲などの改善・向上にもつながることが証明されています。上記の理由で、卓球はスポーツ内科の世界でも「安全性が高く、医学的効果も豊富な生涯スポーツ」として注目されています。
●枚方(ひらかた)市で「しゃもじ卓球」の普及を企画しているという話も聞きました。
田中 そうです。「しゃもじ卓球」を流行らせたいと思っています。枚方はもともと宿場町で「食らわんか」(ご飯どうぞ)という言葉を旅人にかけていた歴史があります。ご飯にはしゃもじを使うので、(各地で流行っている)スリッパ卓球にヒントを得て、しゃもじ卓球で町おこしが出来るのではないかと、密かに画策中です。しゃもじで卓球すると、球に回転がかからないので、初心者と経験者が同じ土俵で良い勝負が出来ます。枚方市でしゃもじ卓球大会を開催し、町を活性化させるのが夢です。卓球のパワー、可能性は無限大です。
●今日はありがとうございました。
PEOPLE 田中祐貴「ぼくは卓球に育てられた」卓球王国最新号で掲載
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