卓球王国 2024年11月21日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
アーカイブ

2009年横浜大会、フェアプレー賞を受賞した水谷と岸川

12年ぶりに男子ダブルスでのメダルを決めた瞬間

 

そこで喜ばなかったらいつ喜ぶんだろう。

あの日はずっとウキウキしてました [水谷]

地元で獲れたわけだからうれしいですよ。

もちろん記者会見では金メダルが

目標とは言うけど、メチャクチャうれしかった [岸川]

 

●—考えてみれば、あの微妙な判定の時でも冷静に対処できたのは、それまで二人が数多くの国際大会やブンデスリーガでもまれていたからかな。

岸川 それはムチャクチャあると思いますよ。今までいろんな試合を経験してきている。世界選手権も何回か出たし、ブンデスリーガもそうだし、アジア競技大会とか、全日本選手権もダブルスで3回優勝しているし、そういうものの積み重ねがあったから、ああいう場面でも崩れなかった。オリンピックでもダブルスでいい試合ができていたし、そういう経験がすべてあの準々決勝で出たと思います。

水谷 あの場面で精神的に崩れたら自分たちは不利だから、気持ちを切り替えるべきだ、と思えたのは、今までいろんな場面を経験し、いろんな場面を見てきたからだと思う。

 

●—メダル獲得の余韻に浸っていたのはいつくらいまで? すぐに準決勝に気持ちを切り替えた?

岸川 宮崎(監督)さんに、すぐに「明日試合があるから、あんまり喜びすぎるな」と言われたのは覚えています。そう言いたい気持ちもわかりますけど……。

水谷 そこで喜ばなかったらいつ喜ぶんだろう。優勝するまで一生喜べない。あの日はずっとウキウキしてました。

岸川 ぼくらはメダルを目指してやってきた。オリンピックでもメダルを逃して、今回はメダルを獲らなきゃ、という思いでやってきたわけだから、しかも地元で獲れたわけだからうれしいですよ。もちろん記者会見では金メダルが目標ですと言うけど、メチャクチャうれしかった。

 

●—2年前のザグレブでの準々決勝で負けた悔しさ、オリンピックでメダルを逃した悔しさがあったから勝てたという部分もあるのかな。

水谷 両方ですね。ザグレブでもオリンピックでも悔しい思いをしていて、そして横浜というのは今後のぼくらにとって重要な大会になるのはわかっていました。そこで活躍したいと強く思っていた。

岸川 ザグレブでは中国ペアに勝って、準々決勝で中国ペアに負けたので、少しは達成感があったけど、オリンピックは本当に悔しかった。メダルを獲るのと獲らないのでは全く違うと二人で感じた大会だった。

 

●—準決勝は中国ペアの馬龍と許昕を相手にして、完敗だった。

水谷 途中で作戦を変えられなかったのが良くなかった。最後まで同じ作戦で行ってしまった。逆に1、2ゲーム目ではリードしている時に変えてしまって、7本連取、8本連取されてしまった。中国選手とやる時は、レシーブはこれでここを狙うとか、サービスは1本目から逆回転を使うとか、はっきりとした戦い方を持つことが必要で、様子を見るようなやり方は通用しない。

岸川 初めて対戦するペアだったので、DVDを見たりして研究して臨んだけど、実際にやるのは違う。2ゲーム目に7︱3とリードしていたのに逆転され、0︱2になったのがきつかった。逆に相手に余裕を持たれた。格上とやる時は出だしでリードしてプレッシャーをかけることが大事なので、2ゲーム目が勝負だった。

 

●—全体を振り返ってどうだろう。

水谷 自分の実力は全部発揮できたと思います。ダブルスは前回ベスト8で今回3位、シングルスも前回のベスト32から今回はベスト16にステップアップして、年々自分が強くなってきているのを実感できたのが良かった。

岸川 ダブルスに関しては、前回のベスト8からメダルというように大きな壁を乗り越えることができたのは本当に良かったし、いい大会だった。

 

●—メダル獲得の反響は?

水谷 あんまりっすね(笑)。やっぱりオリンピックのほうがでかいです。

岸川 テレビ見たよとか結構言われました。

水谷 この2年間つらかったですね。二人がダブルスを組んでから世界選手権でメダルを獲ることを期待されていたから。

 

●—岸川君は今回シングルスのエントリーから外れたけど、その時にいろんなことを考えたでしょ?

岸川 シングルスに出て、もし2、3回戦で負けて、ダブルスもベスト8くらいで負けるくらいなら、ダブルスだけに集中してメダルを獲ったほうがいいんじゃないかと考えてました。最初、シングルスのエントリーから外れた時には「あり得ないだろ」と思ったけど、それまで選考会や全日本選手権でもチャンスがあったのに、出場権を取れなかったのは自分の責任だから。そんなには引きずらなかった。

(松下)浩二さんが食事に連れて行ってくれて、励ましてくれた。浩二さんも93年に代表を外されたことがあって、ぼくはそれを知らなかった。それを聞いたら気持ちも楽になった。

大会前に韓国のエントリーを見ても、オリンピック代表の尹在栄や世界選手権団体メンバーの李廷佑も出ていないし、郝帥もシングルスのエントリーをはずされているし、それと比べれば、ぼくがシングルスに出ないことも大きなことじゃないと思って、そこで完璧にダブルスのメダルだけに集中できた。

 

●—二人はドイツにいる時から長い付き合いだけど。お互いの人物評は?

岸川 二人ともお互いを知り尽くしていますね。性格も、何が好きなのか、何をしたいのか、こいつはこれを本当はやりたくないんだなとか。

水谷 前は年間300日くらい一緒にいたから(笑)。(岸川は)試合中で大きな声で怒っている時は本気じゃないけど、ぶつぶつ怒っている時は本気で怒っている時です。

岸川 好きとか嫌いとかじゃないんですよね。高校の進路は違っても、二人は一緒にいたから。

水谷 ぼくは結構気を遣っていますけどね。

岸川 それはわからないな(笑)。でも、上下関係はないですね。

水谷 上下関係がないぶん、お互い素直に思ったことを言える。練習中でも、気を遣わなくていい。

 

●—二人のダブルスの特長は?

水谷 攻守のバランスが良いと思う。ぼくと組むパートナーは守りがうまくないと勝てない。守りがうまいと戦術の幅が広がるし、格下に取りこぼさない。ロビングをしてからカウンターで攻めるとか、守りと攻撃の両方が備わっているのがいい。あとはサービス、レシーブで、このサービスが効かなかったなら次はこのサービス、このレシーブがダメなら次のレシーブというように、いろんなサービス、レシーブがあるので、3球目、4球目で先手を取れる。

岸川 ぼくらのペアはミスが少ない。何でもできるので、弱点があまりない。台から下げられても二人ともしのいだり、逆襲できるし、引き合いもできる。サービス、レシーブも良いので戦術にも幅があると思う。

 

●—ダブルスのメダルはゲットしたけど、二人はこれからどんな目標を定めて、どんな選手になるのだろう。

水谷 中国に対していろいろ考えていかなければならない。ひとりじゃできないので、まわりの人と情報を交換しあって中国を倒していきたい。みんな世界のトップの仲間入りをしていても、中国は別だと考えてしまう。中国選手も普通の卓球選手と考えればいいんだけど、中国選手とやると余裕を持てなくなってしまう。余裕を持って彼らと戦っていきたい。

岸川 ダブルスは今回以上のメダルの色しか目標はない。シングルスでは中国選手が強いので、そこにどう対応するか。とにかくプロツアーで良い勝負をしないと、世界選手権やオリンピックで勝つのはもっと難しい。プロツアーで勝ったり、良い勝負ができるようにしたい。

×××

歓喜のメダル獲得も、彼らのポテンシャル(潜在力)を考えれば通過点にしか思えない。そして、横浜のあと、6月のITTFプロツアー・中国オープンでダブルス優勝という吉報が届いた。馬琳・王励勤組を破り、決勝では張継科・許昕     組を倒した。男子ダブルスの実力者ぶりを存分に発揮した。

12年前のマンチェスター大会での日本ペアの銅メダル。当時、松下浩二と渋谷浩はともに30歳だった。まさに円熟期であり、彼らにとってそれはラストチャンスだった。

横浜大会後に水谷隼は20歳になり、岸川聖也は22歳の誕生日を迎えた。アスリートとしてこれからさらに経験を積み、力をつけていく時期を迎えている。二人の若きサムライは刃先をより鋭利にして、堅固な鎧を重ねながら、世界の頂点を目指す。それはもはや夢でも何でもない。目の前にある、手が届く栄光なのだ。     ■   (文中敬称略)

 

この1本にすべてがかかっている。

今までの苦労もすべて。この1本が人生を左右する1本になるから、

どんなことがあっても取るぞという気持ちだった—水谷隼

●みずたに・じゅん 1989年6月9日生まれ、静岡県出身。全日本選手権一般では17歳7カ月で優勝し、史上最年少優勝の記録をうち立て、今年3連覇を達成。世界選手権広州大会では団体銅メダル獲得、北京五輪日本代表。青森山田高卒、明治大学・スヴェンソン所属。世界ランキング20位(2009年6月現在)

考えたくなくても、メダルを決める1本というのは意識します。

コートに入る時には「よし、次の1本だ」

という気持ちですから。ただ次の1本に集中しようと—岸川聖也

●きしかわ・せいや  1987年5月21日生まれ、福岡県北九州市出身。仙台育英学園高時代にインターハイ3連覇、03~04年世界ジュニアダブルス優勝。03年からドイツ・ブンデスリーガに参戦し、来シーズンは名門『ボルシア・デュッセルドルフ』でプレー。北京五輪日本代表。スヴェンソン所属。世界ランキング57位(2009年6月現在)

 

<卓球王国2009年8月号>

 

 

 

 

関連する記事