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ペンホルダーは死なず。Vol.2「回り込みを忘れるな。 世界を疾駆したペン魂 偉関晴光の直言」

<卓球王国2007年2月号より>

Penholder Never Dies.

ペンホルダーは死なず。Vol.2

いせきせいこう/87年世界選手権、88年五輪男子ダブルスチャンピオン。全日本選手権で4度優勝

 

回り込みを忘れるな。ノングルー時代、ペンにチャンスが来る

世界を疾駆したペン魂 偉関晴光の直言。

 

ペンホルダーは絶対に勝てるREASON 5

  1. サービス、台上技、フォア攻撃力を生かせ

世界の卓球界は、80年代まではペンホルダーの時代だった。ところが、80年代後半からスピード接着剤の大きな影響を受け、ペンホルダー攻撃型は回り込みが難しくなった。ペンホルダーはアジア特有のスタイル。中国、日本、韓国、チャイニーズ・タイペイしかいない。ところが、80年代終わりから90年代にかけてワルドナー、パーソンなどが現れ、「シェークでこんなプレーができるのか」と選手の考え方が大きく変わり、中国、日本は大きな影響を受けた。

91年の世界選手権千葉大会で中国はシェークがチームの中心となって、史上最低の7位に落ちた。その前から中国では「ペンホルダーは難しい」という空気が流れ、「チームに必ずペン表ソフト速攻を入れる」という規定もなくなり、選手も指導者もシェークに向かった。ぼくがジュニアからシニアになる頃の中国には、ペンホルダーが省のチームにも国家チームにもたくさんいた。協会もペンホルダーを育てよう、強くしようという方針があった。その方針がなくなってからシェークが急に多くなったのだ。

特に日本でペンホルダーが減った理由はバックの攻撃力の問題だろう。中国はまだ馬琳や王皓のように、裏面に裏ソフトを貼り、バックを裏面打法でカバーして、シェークに対抗しようとしているが、日本の場合はそれがないから「ペンは不利」と感じ、ペンホルダーはますます減っていく。裏面打法をマスターできれば、ペンホルダーはまだまだ活躍できることを指導者は忘れてはならない。

ペンホルダーの良いところは、サービス、台上プレー、そしてフォアハンドの攻撃力。サービスではシェークが真似のできない複雑なモーションで微妙な変化をつけられる。指を使い、手首を柔らかく使える利点がある。王皓のように裏面で出すこともできる。台上プレーでもその柔らかさが使える。逆モーションやフリックなどがやりやすい。フォアハンドではシュートドライブやペン独特の角度が出せる。シェークハンドにはできない特有の技術があるのだ。

短所は、バックハンドの攻撃力。特に下回転に対しては難しい。バックハンドの回転を作れない。相手のドライブに対しても、止めるだけになることが多く、カウンターで攻めるのが難しい。

 

世界で活躍した初代の裏面打法選手は劉国梁。93年世界選手権に初出場、95年世界選手権では決勝に進出。96年五輪優勝、99年世界選手権優勝。表ソフト速攻型だったが、速攻型の弱点だったバックへの下回転ボールに対して裏面打法を使った

 

2. ペンの短所を補う裏面打法はなぜ、どのように生まれたのか

ぼくが全日本選手権で勝った時(4回優勝)もまわりはシェークが多かった。裏面を使わずに、バックに来たボールはブロックで止め、シェークの弱点を狙い、あとは回り込みの攻撃。シェークにも弱点はある。台上のミドル、台から離れてからのミドルだ。その弱点を徹底して突いた。

中国では葛新愛のように昔の選手でも裏面打法を使っていたけど、今のような使い方ではなかった。80年代の終わりから中国では「ペンホルダー表ソフト速攻型は勝てない」と言われ、90年頃から裏面打法の研究が始まった。徐寅生・中国卓球協会会長の考えであり、命令だった。

ペンホルダーがダメと言われたのではなくて、ペン表ソフトがダメだと言われた。そして裏面に裏ソフトを貼ってやったけど、中国ラバーは重いから振れない。于沈童(89年世界選手権3位)や王永剛(93年世界選手権ベスト8)がやったけど、重すぎて振れなかったためにラバーをはがした。90年代からは裏面打法を国家チームのペンホルダー全員が試したが、手首や肩を傷める選手が多かった。でも裏面ラバーをはがすと「そういう選手は国家チームに必要ないから、自分の県(省)に帰りなさい」と厳しく言われた。

劉国梁(96年五輪優勝、99年世界選手権優勝)の前に国家チームに裏面用のテスト選手がいた。実験台になってどの角度が打ちやすいか、どのボールが打ちにくいかとか、細かくデータをとった。結局その選手は手首が腱鞘炎になって引退した。

裏面打法の長所は、意外性。相手としては打たれると違和感がある点だ。

世界的に成功した裏面打法の使い手は、初代は劉国梁、二代目が馬琳、そして三代目が王皓。初代の劉国梁は、相手の下回転のボールを持ち上げることしかできなかった。上回転ボールに対しては裏面を使えなかった。最初は、バックに来た下回転のボールに対してどうやって攻撃していくのか、という問題に対処するための裏面打法だった。1ゲーム(セット)で使うのは1本か2本くらいで、それ以外は表面でバックショートをしていた。二代目の馬琳になるともう少しいろいろな打法を使うようになってくる。上回転に対しても多少裏面を使うようになっている。

三代目の王皓に至っては、レシーブから裏面で、上回転に対しても裏面で対抗して、逆に表面ではバック系技術は使わないようになっていた。表面と裏面の両ハンドドライブのスタイルだ。王皓のスタイルでもヨーロッパに勝てるのかという、最初はテストのような感じだったのが、実際には勝てるスタイルだった。バッククロスに大きく曲がる裏面ドライブにみんなが手こずった。彼の裏面ドライブは、シェークハンドよりもバックスイングの時に手首が大きく曲がり、ラケットが下を向いた状態から打たれるので、シェークハンドよりも大きく曲がるのが特長。最初は意識して曲げたのではないかもしれない。自然に曲がって、それが効果的だったから余計に曲げるように打ったのだと思う。

私も裏面を一時期使ったが、ラケットの角度の調整、指の調整が難しかった。フォアハンドよりもバック裏面打法のほうが裏面の指を少し伸ばしたほうがいい。ただし、小さい頃から始めれば裏面打法に違和感はないだろう。

 

裏面打法選手の二代目は馬琳。劉国梁よりも使う割合も増え、上回転ボールに対しても使えるようになった。馬琳は年ごとに裏面打法が多彩になっている

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