卓球王国 2024年4月22日 発売
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インタビュー

マスターズ王者・田中敏裕は元国連職員。「マスターズ優勝は自分の人生のジャンプ台」

「ぼくが卓球をやっているのは、
自分が卓球でより活かされていると
感じるから。組織ではなくて、
ひとりの人間として
卓球を通じて伝えられることも多い」

●ー今も卓球をやっているのは、いずれ自分が行った国にもう一度行って教えたいという気持ちがあるということですか?
田中 そうですね。実際に、2017年にペルー卓球連盟から招聘されて、33年ぶりにペルーナショナルチームの監督としてパンアメリカン大会にも参加して、昔の仲間たちと懐かしい再会を果たしました。女子の南米チャンピオンだったモニカさんは、社会事業として卓球の普及プロジェクトを始めていて、今ではペルー全国200校余り2万人以上の子どもたちが卓球を習っています。ぼくは、ミャンマーやブータンも毎年のように訪問していて、障がい者卓球を推進する活動を始めています。九十九クラブのみなさんや、パラ卓球で世界ランカーの八木克勝さんにも協力してもらっていて、中古ラバー、ラケット、ユニフォームとかを届けています。

 

●ーマスターズのほうは2連覇したから、3連覇、4連覇と……。
田中 もちろん。そのつもりで頑張ります。

 

●ーどのくらい練習しているんですか?
田中 去年はかなりやりました。毎日、3時間から5時間。ひとりで朝練もやりました。これまでの人生の中で、ぼくは本気で卓球を優先してやったことがない。だから、中学・高校・大学とチャンピオンになれるわけもなかった。だから今、チャンピオンを目指して、人の三倍やれば、自分もチャンピオンになる資格がもらえるのではないかと思ってます。大会で勝ったときにチャンピオンになるのではなくて、普段でもチャンピオンである自分にできないだろうかと。今年はついに右肘の軟骨がすり減って変形性関節症になりました。腰痛もひどくなって、マスターズの時に体はボロボロだった。今は、打球練習は一日に3時間ぐらいに抑えて、体力トレーニングとかを工夫しています。

 

●ー初優勝の時には?
田中 すべては坂本憲一さん対策に尽きますね。レジェンドである坂本さんに勝つにはどうすればいいだろうと数カ月前から対策をやってました。昔から憧れていましたし。彼はペン表のスターでしたから。帰国してから一番お世話になっていた岸田晃先生がコロナで亡くなられて、弔い合戦みたいな気持ちもありました。真っ先に御仏前に優勝の報告をしました。
ぼくは、今は表ソフトではなく、裏ソフトを使っています。コーチをするにも、いろんな回転のボールが打てるし、最新のラバーも使ってみたいですし。ぼくの卓球は走り回る卓球だから、大会の1カ月前くらいまでに走り込みもします。足腰はかなり強くなりましたね。

 

●ー日本に帰ってきてから、最初から全日本マスターズを狙っていたんですか?
田中 やっぱり全日本というタイトルがつく優勝は卓球やってるだれもが憧れるてっぺんで、目標ですよね。ぼくはインターハイにも出れなかった男だから。マスターズに出る人は未だに卓球に不完全燃焼の人なんだと思います。完全燃焼した人は出る必要を感じてない。
ぼくは夢を追い続けていて、全日本マスターズ優勝というかたちで少年時代の夢に60代で到達したわけです。ずっととどかなかった夢だったけど、マスターズ優勝は自分のこれからの人生のジャンプ台なんだと思っています。
これからはもっと途上国で卓球やパラスポーツの普及・交流活動をやっていきたいと思っています。みなさんの中古ラバーとかラケット、ユニフォームとか寄付をいただければ、ぼくが、スポーツする機会のない貧しい子供らに届けて、そのあとも継続してコーチングや卓球交流を行うプロジェクトをみんなでやっていきたいなと思っています。こうした活動に関心のあるかたは、ぼくのブログで内容を確認されて、ご質問ご連絡等いただけるとありがたいです。

●ー貴重なお話、ありがとうございました。

 

田中敏裕さんのブログ
https://happy-development.com

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途上国へ送りませんか!?

不要になった卓球用品(ラバー、ラケット、シューズ、ウエア等)をお持ちの方、ブータン、ミャンマー、ペルー、ネパール、タイなどの卓球愛好者に送りませんか? 卓球王国に送っていただければ田中敏裕さんを通じて、現地に送りたいと思います。(汚れのひどいものはご遠慮ください)

〒151-0072 東京都渋谷区幡ヶ谷1-1-1 ニッコウビル3F

卓球王国 03・5365・1771

※こちらの受付は終了いたしました。たくさんの方々のご協力、まことにありがとうございました。

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●たなか・としひろ
1960年6月28日、鹿児島県南さつま市生まれ。中学生から卓球を始め、早稲田大学政治経済学部に進学。同好会を経て、2年秋から体育会で活躍。卒業後は青年海外協力隊で南米ペルーのナショナルチームを指導した。帰国して実業団のシチズン時計に2年間勤務したのち、国際協力事業団(JICA)の調整員として、再度海外のドミニカ共和国へ赴任。コロンビア大学国際公共政策大学院で修士課程を卒業後、UNDP(国連開発計画)に入り、ミャンマー、中国、ブータン、ミャンマー(二度目)、パキスタン、フィリピン、NY本部、インド等で駐在した後、30年の海外生活から帰国。2021-22年度全日本マスターズ選手権の60代(ローシックスティ)で2連勝した。東京の九十九所属

 

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