14歳で史上最年少の全日本選手権(全日本)の優勝を達成した時に、「水谷隼の優勝記録を破るのは張本以外にいないだろう」と言われた。その張本智和(木下グループ)が1月の全日本選手権で4年連続、優勝を逃した。
卓球を定期的に楽しむ愛好者は100万人とも、120万人とも言われる中、「全日本」は日本卓球協会の登録者30万人にとっての憧れの舞台だ。世界の卓球界でも「全日本」のような国内選手権はない。1億円以上の予算をつけ、7日間を費やし、1935年の大会から87年間の伝統を持つ国内最大イベント。
かつて、世界チャンピオンになった選手でも国内を制することができないまま引退した選手がいた。卓球選手にとって全日本チャンピオンになることは超一流の証とも言える。
張本が全日本で初優勝する前年、13歳で臨んだ2017年世界選手権デュッセルドルフ大会で、当時の日本のエース水谷隼を倒し、史上最年少のベスト8となった。
「史上最年少記録よりも一枚のメダルが欲しかった。最年少記録は物ではないけど、メダルは死ぬまで持っている物」「許シンから1ゲームは取ったけど、この選手から4ゲームを取るのは果てしなく遠い」「3年後のオリンピックで金メダルを獲る選手になるためには、大きな一歩だった」。これが試合後の13歳の少年の言葉だった。幼少期から卓球と勉強を両立させ、学校での成績も抜群だったこの少年の知性と感性が特別なものであることを示していた。
1月28日、東京体育館の「全日本」の6回戦で張本智和は敗れた。
4年前、14歳の張本はそのガッツポーズではなく、そのプレースタイルで異彩を放っていた。打球点の早い、いわゆるライジングでのバックハンドの連打で次々と年上の選手を連破し、決勝でも王者・水谷隼に完勝。史上最年少の優勝記録を打ち立てた。そのあまりの強さに、「水谷の9回(当時)の優勝記録を破るのは張本以外にいないだろう」と言われた。
張本にはトップ選手だけが知る、飛んでくるボールを予測する能力があり、それによって生まれる時間的余裕。その余裕があるからこそ、相手の逆を突くこともできる。それらの類いまれな素質が際立ち、全日本で初優勝し、その後、馬龍、樊振東、張継科(以上中国)という世界のトップを次々と破っていった。
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