卓球王国 2024年4月22日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
トピックス

戸上隼輔が契約した「オクセンハウゼン」CEOが語る。「チーム内の競争も悪いことではない」

 

オクセンハウゼンの練習場は、同時にLMCの拠点となっている。世界ランキング4位のカルデラノもここで練習している

 

 

戸上隼輔(明治大)が契約したドイツ・ブンデスリーガ1部リーグ「TTF LIEBHERR OCHSENHAUSEN(リープヘル オクセンハウゼン)」はドイツではOX(オックス)の愛称で親しまれている。その歴史は1956年までさかのぼる。当時人口約8000人の小さな村に創立されたクラブの名は「TVO (TURNVEREIN OCHSENHAUSEN)」、直訳すると「オクセンハウゼン体操クラブ」。町で運動をしたい人たちのための多目的クラブだった。
創立当時は卓球はもちろんアマチュアレベルでチームがスタートしたのは1部から13部まであるドイツリーグの中で下から5番目のリーグ、9部だった。近隣から少しずつ強い選手が集まり始めて卓球に積極的に取り組んでいこうとクラブ名を改名、現クラブの原型TTF LIEBHERR OCHSENHAUSEN、直訳すると「卓球友だちオクセンハウゼン」ができあがった。

ブンデスリーガ1部までの道のりは険しい。昇格・降格を繰り返し、クラブ発足から実に35年の歳月をかけ、ようやくブンデスリーガ1部にたどり着いた。1部リーグは別次元で、あらゆる国のスター選手がひしめいている。1部に上がった1991年の翌年、オクセンハウゼンは2部に降格してしまう。次の昇格とともにオクセンハウゼンのコーチに就任したレオ・アミズィッチ氏とクラブの運営に全力を注いでいたライナー・イーレ氏(故人)の奮闘のもと、小さな田舎町に続々とスター選手が集まってくる。ちなみに、レオ・アミズィッチは、2000年以降、日本の男子卓球のレベルアップ(水谷隼、岸川聖也などを指導)させたマリオ・アミズィッチの弟である。

1995年には孔令輝(2000年五輪チャンピオン)、1997年にはヨルゲン・パーソン(1991年世界チャンピオン)、その他にも馬文革、柳承敏(2004年五輪チャンピオン)、荘智淵、クレアンガなど名だたる選手たちがクラブでプレーし、計10個のタイトルを獲得した(ドイツチャンピオン4回、ドイツカップ4回、ヨーロッパカップ2回)。

2012年にオクセンハウゼンの礎を築いたライナー・イーレ氏が逝去、当時からマネージャーだったクリスチャン・ペジノビッチが後任を引き継ぎ、抜本的な改革が実施される。
卓球の未来を見据えて、単に多額の報酬を払って選手を引っ張ってくるのではなく、ブンデスリーガでプレーするクラブを踏み台にして世界に羽ばたいてくれる選手を指導・育成したいという経営方針に転換。選手育成機関Liebherr Masters College(LMC=リープヘル マスターカレッジ)を2007年設立し、2014年にはフランスNTや名門ルバロワの監督を長年務めた名将ミッシェル・ブロンデル氏をオクセンに迎え入れた。
無名だったウーゴ・カルデラノ(ブラジル・世界4位)、シモン・ゴーズィ(フランス)、リアム・ピッチフォード(イングランド)を指導し、2019年にはドイツカップ・ドイツチャンピオンというダブルタイトルを獲得した

 

ホームでのブンデスリーガの試合。写真は2017年のシーズンで村松雄斗がプレーした時の様子

 

ホームでのオクセンハウゼンの応援団

 

 

同クラブのペジノビッチCEOはこう語る。
「戸上がオクセンハウゼンに来ることを決断したことはとてもうれしいことだし、楽しみにしている。そしてこのクラブで彼がさらに強くなってくれることを期待しているし、サポートしていきたい。
ぼくらは戸上がどれだけ勝つのか、その成績だけに興味を持っているのではなく、彼が国際的にどう成長していくのかということに関心を寄せている。ほとんどの選手は1シーズン目は大変な苦労をする。彼は資質を持った選手だと信じている。1年後に彼がどれだけ強くなっているのかを想像するのも楽しいことだ。
戸上には言葉を覚えてほしい。自分が何をしたいのか、何を望んでいるのかを表現してほしい。もちろんカナック(・ジャー/アメリカ・世界30位)とのチーム内での競争も彼にとっては悪いことではないし、その競争に勝って、たくさんの試合に出てほしい」

全日本チャンピオンという立場なら、もしTリーグに出ていれば出場は約束されているのかもしれない。しかし、オクセンハウゼンにはカナック・ジャーがいる。ブンデスリーガでは出場3選手のうち、外国人枠で出られるのは1試合1名のみ。ヨーロッパ以外のアジア・アフリカ・アメリカの選手が外国人枠となるために、ジャーとの争いを勝ち抜いてこそ、ブンデスリーガの舞台に立てるのだ。
日本選手がドイツに飛び込んで、最初にぶち当たる壁が「言葉」の問題だ。オクセンハウゼンにはLMCがあり、ヨーロッパ中から有望な選手が集結し、その中で、自己主張をし、コミュニケーションを取るために共通言語は英語であり、英語での会話は必須だ。
4月のインタビューの時には「今は英語を勉強していて、しっかり話ができてコミュニケーションを取れるようになることも自分の将来のためになると思っています」と戸上自身も覚悟している。思い返せば、水谷隼がロシアリーグに単身で行くようになり、英語も上達し、タフなメンタルとともに卓球の成績も上がっていった。
恩師の野田学園の橋津文彦監督もドイツ行きのプラス面を強調した。「ぼく個人としては彼はドイツに行ったほうが良いと思っています。海外に出て、卓球だけでなく、生活、言葉、文化への順応とかいろいろと苦労したほうがプラスになる。水谷隼にしても人間として半端ない強さがあり、その強くなった理由のひとつとして海外でプレーしたことが大きいと思っています」。

日本のチャンピオンであってもブンデスリーガの出場は約束されていない。しかし、パリ五輪の出場とメダル獲得を目指す戸上隼輔にとって、オクセンハウゼンで力をつけることで、ドイツの田舎町が「約束の地」になるかもしれない。

 

オクセンハウゼンのクリスチャン・ペジノビッチCEO。ドイツ生まれだが、両親はクロアチア人。卓球選手ではなかったが、スポーツビジネス、スポーツマネジメントを勉強して、オクセンハウゼンのマネージャーからスタートした。抜群のコミュニケーションスキルを持った人物だ

 

関連する記事