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オフチャロフ「ぼく自身の才能というのは 高い集中力で練習をできることだ」

ティモや水谷がぼくよりも強くて、

彼らがメダル候補だと周りの人が言っているのも知っていたけど、

ぼくは自分の可能性を信じていた

2012年ロンドン五輪でシングルスのメダルを決めた瞬間

 

 

ロンドン五輪での

シングルスのメダル獲得。

それは、本当に大きな

ターニングポイントだった

 

186cmの恵まれた体格を誇り、両ハンドのパワードライブの威力は中国選手にも引けをとらない。サービスは長身をかがめた状態から出す、独特のバックサービスがトレードマークだが、中陣での打ち合いでの強さとチキータからの速攻ドライブも身につけているオールラウンダー。

ジュニア時代からオフチャロフは、決して器用ではない、しかし、よく練習をやる選手だった。才能だけを見て、彼がいずれ五輪でメダルを獲得すると予想した人は当時あまりいなかった。

◇ ◇ ◇

●─現在26歳だけど、これまでのきみのターニングポイントはいつだったのだろう。

DO いくつかのターニングポイントがあったと思う。小さなものではやはり2008年の北京五輪に出場したこと。そして、大きなターニングポイントはその五輪でメダルを獲得したことだね。ふたつ目は2010年から2012年にかけてのワールドツアーでの優勝と、ヨーロッパトップ12で優勝したこと。シングルスのタイトル獲得が自分に大きな自信を与えてくれた。

そして最大のターニングポイントは、2012年ロンドン五輪のシングルスでメダルを獲得したことだね。今まで、ヨーロッパ選手で五輪のメダルを獲った人はさほど多くない。ティモ(・ボル)、ヨルゲン(・パーソン/スウェーデン)、ブラディ(・サムソノフ/ベラルーシ)という「レジェンド」と言われるような人たちも届かなかった、そのメダルを獲ることができた。それは、本当に大きなターニングポイントだった。

 

●─その12年ロンドン五輪の大会前、きみが思っていたことは何だろう。2回目の五輪、もちろんターゲットはメダル獲得だったと思う。

DO もちろん五輪はとても特別な大会だよね。すべてのスポーツアスリートが世界中から集まり、世界中の人たちがその大会に注目する。テンションはもちろん上がる。そして、シングルスのトーナメントではメダルのチャンスがあることはわかっていた。中国選手の出場数も少ないわけだから。

ただ、トップ4のシードには入れなかったけど、トップ5から8のシードになった。五輪の1年前からぼくは国際大会に出るよりも、しっかりと練習をしたいと考えていた。その間、ティモや水谷、荘智淵は大会に出て、トップ4のシードを狙っているのもわかっていた。トップ4のシードを取れなくても、練習して力をつけることを優先した。

 

●─ロンドン五輪がスタートして、先に個人戦が行われた。試合ごとにメダルが近づいてくる。そして、決定戦を迎えた。

DO 準々決勝(メイス戦)と銅メダルメダル決定戦(荘智淵戦)での勝利した瞬間は忘れられないね。それまで経験したことのない感覚だった。ヨーロッパ選手権で優勝した時も少し似た感覚だったけど、それは本当に特別なものだった。

ティモや水谷がぼくよりも強くて、彼らがメダル候補だと周りの人が言っているのも知っていたけど、ぼくは自分の可能性を信じていた。ぼくのモチベーションは高かったし、そういう舞台での自分のメンタルの強さを信じていたんだ。確かにあの時点で彼らはぼくよりも技術面では上だったかもしれないけど、ぼくはメンタルでは上回っていたと思っている。

 

ティモはぼくの良き友人であり

ぼくがつらかった時期、悩んだ

時期にぼくを支えてくれた

 

●─ロンドンで2個のメダル獲得を果たし、きみは押しも押されもせぬ世界の卓球界のスターとなった。そんなきみにとってティモはどういう存在なのだろう。チームメイトでありながら、彼自身がドイツ、そしてヨーロッパのレジェンドでもある。

DO 彼はぼくの良き友人のひとりだよ。もちろん彼自身は素晴らしい成績を残し、名誉に縁取られたレジェンドではあるけど、彼は今までぼくがつらかった時期、悩んだ時期に支えてくれた。

彼とは06年のナショナルチーム合宿で初めて出会った。その時、ぼくはブレーメンでの世界選手権の補欠選手として招待されていた。そして、その後は10年まで、ぼくは彼の家に何度も泊まったりして、彼と練習していたし、彼の家族や奥さんとも仲が良いし、すごく歓迎された。彼との練習はすごくぼく自身を成長させたし、友情をはぐくむこともできた。今では良きチームメイトでもあり、一緒にドイツチームのためにプレーしている。

 

●─1980年代から2000年にかけて、ヨーロッパではスウェーデン、フランス、ドイツが強くて、素晴らしい選手がたくさんいたけど、現在は低迷している。

DO 過去に、ヨーロッパの多くの国から輝きを放つ選手がたくさん出てきた。スウェーデンのような小さな国から信じられないような素晴らしい選手が出現したし、ギリシャ、クロアチア、というようにいろんな国に強い選手がいた。しかし、今はぼくとティモ、ブラディ(・サムソノフ)と数少なくなって、しかもブラディもティモもベテランになっている。

原因は……やはりヨーロッパの卓球界の経済的な基盤が弱いからだと思う。ドイツやフランスは何とかやれているけど、他の国は難しい状況だ。それに有望な人材という面でも中国はもちろん、日本や韓国、シンガポール、タイペイのほうが恵まれている。ヨーロッパではプロコーチが少ないし、練習相手になる人たちも少ない。

レジェンドと呼ばれる選手はいるけれど、今はその人たちに憧れて卓球を始める子どもたちも減っているのかもしれない。プロスポーツとしてお金が稼げないと思えば、子どもたちも卓球を続けないこともあるだろう。

ぼく自身のことを言えば、ヨルゲン(・パーソン)と一緒に仕事をしていくつもりだ。プライベートコーチとして、年間50日から70日くらいは一緒に練習したり、見てもらったり、試合の時にベンチに入ってもらってアドバイスをもらおうと思っている。それによって何か新しい卓球というものに触れられると思う。

 

●─きみはヨーロッパの頂点に立ち、世界のトップ5(自己最高位は世界4位)の選手として活躍している。きみ自身は何が他の選手と違っているのだろう。身体、技術、メンタル……いろいろな要素があるけれど、きみはどこが優れているんだろう。

DO すべてにおいてぼくは冒険をしている部分があるのかもしれない。たとえば、ブンデスリーガではなくロシアリーグに挑戦した。これはブンデスリーガよりも試合数が少なく、練習できる時間が取れるからだ。それに、ヨルゲンにコーチングを頼んだり、中国リーグに行ったりと、常に新しいことから何かを学ぼうとしているし、新しい選手たち、新しいコーチに会うことで刺激を受けている。ほかの選手よりは卓球に燃えているし、モチベーションが高い点がほかの選手と違う部分だと思う。

 

●─日々の練習の時にきみが大切にすることは何だろう。

DO ビッグゲームと同じような緊張感で練習することがぼくの哲学だ。ハードな練習をする選手はたくさんいるよ。ぼくだけじゃない。ただ、彼らはノープレッシャーで練習をする。練習の時と試合での緊張感が違いすぎて、実際の試合になると練習の力が発揮できない選手が多い。

「今日の練習はたくさん汗をかいたな」では満足しない。日々の練習でも自分のゴールを設定するんだ。そして、そのゴールを達成できない時には自分自身に失望する。なぜできなかったのか、と。その緊張状態で練習の強度を高めることが大切だ。

 

●─つまり、まるで試合のような状態で練習する、ハイレベルの集中力をそこで発揮するということだね。

DO もちろん五輪のような緊張感と集中力ではできないだろう。でも、自分自身でゴールを作らなければいけないんだ。少なくとも「その緊張レベルにあと20%」というところまで、精神状態を持っていかなければいけない。

そして、その20%のギャップというのを自分自身で15%、10%と縮めていこうとする。そうすれば、実際の大きな大会でも練習と同じようなプレーを発揮できるだろう。そのビッグゲームの準備のために、日々の練習でゴールを作り、集中していくのがぼくの信条なんだ。

 

●─今のコメントが実は次に私が聞きたいことだった。きみからは大舞台での強さ、それは五輪、世界選手権、ヨーロッパ選手権などのビッグゲームで発揮される勝負強さ、崩れないメンタルの強さを感じる。なぜきみはそれほどメンタルが強いのか。

DO 練習あるのみ。ほかの選手にはいろいろな才能があると思うけど、ぼく自身の才能というのは高い集中力で練習をできることだ。もちろん、トップ選手はそれぞれが強い部分、卓越した技術を持っているものなんだ。それに、強靱な身体、故障しないような身体も重要だね。

ティモや水谷の感覚というのは素晴らしくて、新しい技術でも彼らは5分間もやればすぐに覚える。うらやましいと思う時もあるよ。ぼくは同じ技術を習得するのに、5カ月はかかるんだから。でも、ぼくはそういう技術を完璧なものとして身につけることができる。

 

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