●─日本選手に対してどういう思いを抱いているだろう。日本は幸運にも水谷を筆頭に丹羽、松平(健太)、村松というように才能ある選手が競い合っている。
DO 日本は最近素晴らしい選手が次々出てきているし、素晴らしい仕事をしている。創造的なプレーをする水谷や岸川の後を追うように、たくさんのハイレベルの選手たちがいる。日本の10番から15番までの選手でも世界の15位くらいの選手に勝つことができる。
ただ、創造的な水谷は世界のトップ10に入ったけど、ほかの選手がそこに入ってくるかどうかはわからない。確かに丹羽や健太も創造的で個性的だ。ただ、会場に行って日本選手を見ていると、みんなが強い。でも、みんなが同じシステム、同じテンポ、同じスタイルでプレーしている。誰が誰だかわからない時がある(笑)。
12歳や13歳までにその選手の個性やスタイルというものは作られると思うから、それまでに自分の固有のスタイルを作っていくべきじゃないかな。みんなと同じスタイルでは世界のトップには行けないことは確かだ。
●─きみは世界の頂点に近づいている。でも、それでもまだきみと中国選手の間にはわずかな差がある。中国の壁を突き破るためには何が必要だろう。
DO 違いで言えば環境の差がある。相当に強い選手の集団が中国の中にある。上位の数人が強いわけではない。上位の20人、30人が相当に強くて、国家チームの中では選手に担当コーチがついて、練習相手も常にいる。樊振東が驚くほど短期間で世界のトップに上がってきたのも、周りに馬龍、張継科という強い選手がいて、そして練習相手もいる中で競争をしてきた結果だ。それはぼくが昔、ティモと毎日のように練習をやって強くなった時のような環境なんだ。そこが中国の優位点だ。
そういう最高の環境の中で彼らはやっているけど、ぼくはあきらめない。中国リーグに出場して、彼らと一緒に練習や試合をすることでぼく自身も中国選手に慣れてきているし、よくなっている。張継科には3回勝っているし、手応えは感じている。
●─きみは中国選手に勝つ何かを身につけつつあるということだね。
DO それは感じている。以前のぼくは中国選手と対戦するところまで行けば満足していた。ぼくはロンドン五輪の時でも、メダルを獲るということに懸けていたし、信じていた。でも、それは「準決勝で中国選手に勝とう」という意識とは違うものだった。でも、世界卓球東京大会の決勝でぼくは張継科に3─0で勝つことで、自分の可能性を示すことができた。まだまだぼくはレベルアップできると信じている。
●─話は変わりますが、7月にきみは結婚したね。卓球選手として、もしくは人として何か変わっていく部分はあるのかな。
DO 成長していくことができるかな、もっと。人生としての大きなステップだよ。それまでも彼女とは一緒には住んでいたけど、結婚指輪を交換して、サインして……何かが変わった気がするね(笑)。素晴らしい経験だった。
●─奥さん(ジェニー・メルストロム)は確か日本に1年住んでいたよね。
DO そうなんだ、仙台(仙台育英高)に1年間いたんだよ。ジュニア時代の彼女は強くて、スウェーデンのジュニアチャンピオンだったし、日本に練習のために留学した。少し日本語も話すことができる。
●─ハネムーンで日本に来るべきだね(笑)。
DO そうだね(笑)。ぜひ! 彼女は日本ですごくプロ的な環境の中で良い練習ができたし、日本で楽しい時間を過ごしたと言っていた。スウェーデンに戻ってからは日本の時のような練習はできなかったし、ヨーロッパでの女子選手は厳しい状況だから、数年後には卓球をやめたんだ。
●─プロ選手のきみにとって卓球の難しさとは何だろう。
DO 卓球は難しいスポーツだよ。すべての要素が難しい。技術だけではなく、戦術もメンタルもフィジカルも練習もすべてでハイレベルな水準を要求される。
それに、クラブに対しても、ナショナルチームに対しても、スポンサーに対しても自分自身のゴールや目標に対しても、プレッシャーを感じるし、常に勝利を求められる。トップ選手が集結するドイツオープンで優勝しても、優勝するのが当たり前のように思われたり、みんなの期待がどんどん上がってきているのも事実だ。
●─選手として、どの瞬間に喜びを感じるのだろう。
DO 負けられないビッグゲームを戦いながら、アドレナリンが上がってくるのを感じる。そして、勝利する瞬間……これは何とも比較できない。たまらない瞬間だね。
●─最後の質問。きみの次のゴールとは?
DO もちろんワールドカップや世界選手権でのシングルスの優勝。そして2016年リオ五輪では前回の銅メダル以上のメダルを獲得することだ。
◇ ◇ ◇
現在、ロシア・プレミアリーグの『ガスプロム・オレンブルク』に所属しているオフチャロフ。彼のインタビューからは、その強烈な自我と練習への哲学、そして鋭利な頭脳と骨太な生き方そのものまで透けて見えた。
「ボルや水谷のように器用ではない。技術習得に時間はかかるけど、完璧なほどに身につける」と言う自身への理解と揺るがぬ自信。低迷するヨーロッパの卓球界の中で燦然と輝きを放つ至宝。
ディミトリー・オフチャロフは、「ボル時代」のあとに「オフチャロフ時代」を築き、世界の頂点に手をかけようとしている。■
Rrofile ▶ ディミトリー・オフチャロフ
1988年9月2日、ウクライナ・キエフの出身で、すぐにポーランドに移り、92年に3歳で両親とともにドイツへ移住。02年ヨーロッパユース選手権のカデットで準優勝、05年にはジュニアで優勝。08年北京五輪では団体準決勝トップの日本戦で韓陽を破り、20歳ながら団体銀メダル獲得に貢献した。12年ロンドン五輪では団体・シングルスでともに銅メダル獲得。13年ヨーロッパ選手権ではシングルス優勝。世界ランキング7位(2014年12月現在)。自己最高位は4位
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