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インタビュー

”仕事と卓球の両立”の体現者・鹿屋良平の卓球人生「ぼくの卓球人生に関わってくれたすべての人に感謝しています」

「仕事と卓球を両立」を求めリコーに入社

全日本準優勝と躍進の2018年

大学卒業後は、「卓球だけで食べていくのは難しいと思っていたし、仕事も卓球と同じくらい頑張りたいと思っていた」と実業団であるリコーに入社。仕事による練習時間の減少と年齢のせいで徐々に実力を落とす実業団選手も少なくないが鹿屋は違った。学生時代と比べて練習量は減ったが、「もともと長く練習するのが得意ではない」と、短い時間でも工夫して練習に取り組んだ。その成果もあってか、社会人1年目となる2015年度の全日本選手権では、リコーの先輩でもある松生直明とのダブルスで準優勝を果たした。

全日本選手権で準優勝を果たした鹿屋(右)/松生

 

リコーの一員として日本リーグにも参戦してきた鹿屋。「リコーで一番の思い出」と語るのが前期日本リーグ、全日本総合団体、ファイナル4で優勝した2018年。なんとこの3大会、いずれもリコーにとっては初優勝。優勝決定戦は全て5番までもつれており、3大会とも鹿屋が5番で出場して優勝を決めた。

「前年(2017年)は団体戦のラストで使ってもらうことが多かったけど、ほとんど負けていました。それでも、監督がぼくのことを信じて後半やラストに起用してくれた。前年の経験が活きて大切な場面でも勝つことができたので、そこは報われたかなと思います」(鹿屋)

前期日本リーグのシチズン時計戦5番で勝利した鹿屋。創部60年目にして初の日本リーグ優勝となった。

全日本総合団体でもまたもや5番で勝利。こちらも創部初となる快挙となった

ファイナル4の決勝でもまたまた5番で勝利。この年、鹿屋は5番で一度も負けなかった

創部60周年の節目の年に前期日本リーグ、全日本総合団体、ファイナル4を制して3冠を達成したリコー卓球部

 

引退を決意して臨んだ最後の全日本で

自身2度目の5回戦へ

2、3年ほど前から引退については考えるようになったが、チームの事情もあり現役を続けていた鹿屋。しかし、4月から有望な新人選手が入ってくることもあり、1月の全日本選手権で引退することを決めたという。

最後となる全日本選手権の組み合わせが発表された時、鹿屋にはひとつの目標ができた。それは、5回戦で中学・高校の後輩でもある吉村真晴(TEAM MAHARU)と対戦すること。過去に5回戦まで進んだのは高校3年の1度のみで、「5回戦まで行けるか微妙でした」と語る鹿屋だったが、最後の全日本でもてる力のすべてを発揮した。

3回戦でインターハイ3位の芝拓人(野田学園高)をストレートで退けると、4回戦ではスーパーシードの大矢英俊(ファースト)と対戦。ゲームカウント1-3 でリードを奪われるも、「最後だったのでこれまで以上に気持ちが入ったプレーができました」と、粘り強く戦い抜き大逆転勝利。自身2度目となる5回戦進出を果たした。

4回戦ではスーパーシードの大矢に大逆転で勝利した

5回戦では吉村と対戦。1-4で敗れたものの「楽しくプレーできた」と試合を振り返った

ベンチに入ったのは兄の圭太さん(右)

 

「ぼくの卓球人生に関わってくれた

すべての人に感謝しています」

4月からは卓球部から離れて仕事に専念する鹿屋。「長い間卓球をやっていたので、卓球がない時間は不安ですが楽しみでもあります」と新たな人生のスタートに心を躍らせている。

取材の最後に「これまでの卓球人生を振り返ってみてどうですか?」と尋ねると、常に謙虚に感謝の心を忘れない鹿屋らしい答えが返ってきた。

「学生でも社会人でもある程度良い成績を残せたのは自分の誇りです。ぼくの卓球人生は母がきっかけで始まって、小学生の頃もたくさん練習してもらっていたので、まずは母親に感謝したい。そして、野田学園の橋津監督、法政大の宮本監督、リコーの工藤監督をはじめ、ぼくの卓球人生に関わってくれたすべての人に感謝しています」(鹿屋)

「引退することに後悔はない」と語った鹿屋。吉村との試合後も清々しい笑顔を見せた

 

試合中は強烈な両ハンドドライブと気合のこもった雄叫びで貪欲に勝利をつかむ姿勢を見せながら、普段は温厚で礼儀正しく、感謝の気持ちを忘れない。その姿は、多くの卓球選手の見本となったに違いない。

「卓球と仕事の両立」を体現してきた男は4月からラケットを置き仕事に専念する。「卓球がない時間は不安」と語ったが、その人柄と、今まで幾度と無くチームの窮地を救ってきたメンタルがあればきっと大丈夫だろう。

25年間の卓球人生、本当にお疲れさまでした。

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