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水谷隼「ぼくを脅かすやつが出てきてくれたほうがうれしい。こいつに勝ちたいという新たなモチベーションになるから」

「うれしいし、奇跡だと思った。

決勝だけは自信はあったけど、

大会前はまさか優勝できると思っていなかったから」

優勝を決めてベンチの邱建新コーチとがっちりと握手

 

 

ゲームを落としてから

追い上げる展開を最近経験して

ないから、嫌な展開だった。

決勝は最悪なパターンだった

 

●――決勝に上がってきたのは張一博選手だった。

水谷 意外でしたね。吉村(真晴・愛知工業大)が来ると思ってました。決勝で(張と)やるのは5年ぶりくらいで、全日本で対戦するのは4回目くらいかな。一博さんは(準決勝での)吉村には厳しいと思っていた。ぼくは最近は左(利き)に自信があったので、一博さんが決勝に来たほうがうれしい。練習会場にモニターがあったので二人の試合は見てました。吉村も調子が良くなくて、得意のサービスも台から出て一博さんに先に攻められていた。一博さんはいつもどおりで堅いブロックとフォアのカウンターが決まっていた。

 

●――決勝戦を振り返るとどうですか?

水谷 1ゲーム目、4ー0、5ー1、6ー4とリードしていたのに、落とした。一博さんとは久しぶりの試合だけど、1ゲーム目は取りたかった。1ゲーム目を取って、そこから一気に行きたかった。全日本で1ゲーム目を取られるのは3年ぶりくらいかな(編集部注:平成24年度決勝の丹羽戦以来)。やはり1ゲーム目を取られると試合のやり方が変わってくる。落としてから追い上げる展開を最近経験してないから、嫌な展開だった。決勝は最悪なパターンだった。

それにコートの上の照明が嫌でした。最終日に出る選手は前の日に照明を一度チェックしているんですよ。だから去年とは違うけど、やはり見づらかった。「後ろのLED広告ももっと暗くしてください」とお願いしたけど、これが限界だと言われました。LEDは大嫌いです。ITTF(国際卓球連盟)の試合でもそうだけど、本当にボールが見えない。

特にメディアシートの反対側に行った時のフォアサイドが見えない。終わってから映像を見直したけど、フォアはまともにボールに当たっていない。バックサイドだと見えるけどフォアは見えないまま打っている。

 

●――1ゲーム目を落として、2ゲーム目は?

水谷 まずボールが見えないというのが頭にあった。「どうしよう、どうしよう」と。でも、一博さんも完璧には見えてない、打ちにくそうにしてたから。2ゲーム目はコートチェンジで反対側に一博さんが行くから、今度は彼のフォアを攻めていこうと思いました。

 

●――試合前に立てた戦術は?

水谷 サービスを持っている時にはフォア前からですね。フォア前に逆回転と順回転の横回転を出していって、あとはナックル気味のサービスを多めにした。彼はフリックが得意じゃないから多分ナックルを出してもツッツキをしてくる、少し甘いレシーブになるからそれを狙っていく。逆回転を出したらぼくのバックにフリックをしてくるだろうから、それを狙っていく。あとは時々下回転を混ぜて相手を惑わしていこうというのが作戦。

レシーブではチキータとストップを両方使う。相手が回り込むようになったら考えるけど、それまではチキータを多めに相手のバックに集めて、それを相手は自分のバックへ返してくるから、バック対バックの勝負に持ち込むか、そのボールをフォアで攻めていく。ストップする時には、ストップを少し切った。相手はダブルストップしてくるだろうし、それが甘くなったり台から出てくるから、それを攻めていく作戦でした。

 

●――ただ、丹羽戦、吉村戦の張選手を見ても、バックブロックの強さ、フォアのカウンターの調子が良かった。

水谷 バック対バックではぼくも負けないという自信はあった。でも相手は今まで以上にコースを散らしてきた。2本同じコースで来ることがなくて、バック、ミドル、フォアとか1本ごとにコースを散らしてくるのがうまかったから、なかなか強打できなかった。

 

●――いけると思ったのはどの辺だろう。

水谷 4ゲーム目ですね。4ー6でリードされていたけど、そこで一博さんがサービスミスして5ー6、あのサービスミスで一気に流れが変わりましたね。あのゲームを取られていたら危なかった。

そのゲーム、10ー6でチャンスボールを打ったらバックブロックされて、10ー7になったところで、ぼくがタイムアウトを取りました。大体自分でタイムアウトを取るけど、今大会は早めに取っていた。3ー1とかゲームをリードした時の10ー5でタイムアウトを取るとか、今回は早かった。一瞬自分の気がゆるむ時があるから、迷ったらすぐに取るようにしたんです。

5ゲーム目は2本くらい差がついたら優勝が見えてきましたね。相手も、もうダメかなというように見えたけど、自分も苦しかったし、優勝を決めるまでの1本1本が重かった。

 

●――去年、そして今年の君のプレーを見ると、ロビングの回数が減っている。攻め込まれても何とか中陣のフィッシュでしのいで、そこから前に距離を詰めていってカウンターを狙うという積極性が見えました。

水谷 今はロビングに自信がないんですよ。練習もしていないし、点数を取れる気がしない。それならカウンターを狙ったほうが点数を取れる。ロビングをしたい時でも今は入らない。やっていないし、ラバーを替えて感覚もわからないし、点数が取れないからやらないんです。

 

●――でもまわりは「水谷はプレースタイルをアグレッシブに変えている」と評している(笑)。

水谷 それは違うんですよ(笑)。できないだけです。自信がない。

 

●――優勝した瞬間の気持ちは? 床に倒れ込むほどの喜びようだったけど。

水谷 必死ですよ。うれしいし、奇跡だと思った。決勝だけは自信はあったけど、大会前はまさか優勝できると思っていなかったから。

 

●――8回も優勝しても、前の優勝は覚えているのかな。

水谷 忘れますね、前の優勝を。優勝の記憶が上書きされていくんですよ。

 

●――その中でも、どの優勝が記憶の中にあるんだろう。

水谷 8回全部が苦しかった。5連覇した時が一番余裕があったかもしれない。あの時の決勝は一博さんが相手で4―0で、それ以外の試合もほとんど競っていないし、勝つ自信もあった。連覇が2年間途切れた後、2年前の6回目の優勝は組み合わせに恵まれたし、去年はその分一気に相手が強くなった。森薗、吉村(真晴)、岸川さんという対戦だった。今年は去年より組み合わせはしんどくないかもしれないけどきつかったですね。

 

●――8回優勝はすごい記録だけど、10年連続決勝進出もすごい。

水谷 ぼくは5歳で卓球を始めたので、卓球歴は21年なんですけど、そのうちの半分は全日本で決勝に行っている(笑)。

●――化け物みたいな記録だな(笑)。

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