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水谷隼「何とか歴史の扉をこじ開けたいという気持ちはありました」

イングランド戦の4番でピチフォード(左)に対し大逆転勝ちを収めた水谷

 

銀メダルを獲れるべき大会で、

しっかり銀メダルを獲ったことは

非常に意味がある

 

準決勝の相手はフランスに競り勝って、33年ぶりに準決勝に進んだイングランド。しかし、起用された選手の世界ランキングを考えれば完全な格下。勝って当たり前の状況での戦いだったが、思わぬ苦戦を強いられた。

特に4番でのピチフォード戦で水谷は、ゲームを1ー2とリードされ、4ゲーム目も6ー10とマッチポイントを取られ、絶体絶命のピンチを迎えた。もしラストまでもつれ込むと、それまでにラストで2回(ポーランド戦、フランス戦)勝っているドリンコールと吉村の対戦。向かってくる相手に対して有利とは言えない状況に追い込まれることになる。

◇◇◇

●――準決勝のイングランド戦は誰もが日本の絶対有利と思っていた。

水谷 自分たちもそう思っていたし、フランスよりはイングランドのほうがいいし、ラッキーだと思ってました。準決勝ではだいぶ感覚が良くなっていた。トップでドリンコールとやったけど、センターコートではやりづらさがだいぶなくなっていました。

 

●――2番で吉村が相手のエース、ピチフォードに勝った。

水谷 あの1勝は大きいですね。普通は大島の3番で3ー0で終わりだけど、ただまだわからないなという思いもあった。大島は経験もないし、メンタルもそんな強いほうじゃないから。ユニバーシアードや全日本選手権とか大きな試合で負けている。こういうところだとダメなのかなと思っていました(笑)。

 

●――それまでの試合でも大島君がベンチに戻って、やたら水谷君と話し込んでいる姿が見えたけど、試合内容の話をしていたのかな。

水谷 そうじゃないです。照明や台の話をしていて、向こう側に行ったら見えないとか、台がどうだったかとか、そういう話ですね。「そうだよな、見えないよな」とか話をして、丹羽に聞くと「ぼくは全然気にならないです」とか言っていて、「うそだろ」とか思ってました(笑)。あいつだけ「ぼくは大丈夫です」と言っていた。もちろん技術的な話もしますよ。サービスがこうだった、レシーブがこうだった、という話もしてました。

イングランド戦はチームが2ー0で回ってきたから、大島は余計に自分が決めようと熱くなったのかもしれない。あれが1ー1とかで回ってきたら違ったかもしれない。あの時点で余計な力が入った。経験のない選手ほど、どうしても攻めたがる。攻撃一辺倒になり、守らなければいけない時でも攻めてしまう。

今回、大島の試合を初めてじっくり見た。吉村の試合も初めてじっくり見た。ここが悪いなという部分は見える。大島はサービス、レシーブが単調です。練習の時と試合の時を比べると、全然違います。練習の時は冷静だし、いろいろやってきますけど、試合になると熱くなって見えなくなっている。すごく単調です。自分がやりたいパターンに持って行きすぎる。ポテンシャルはあるけれども経験不足もあるし、メンタルの問題でしょうね。あの試合の大島は最初から最後まで同じことしかやっていなかった。

吉村はサービスの配球とかはものすごく良かった。ただ大事な場面で簡単なミスが多い。そういう無駄がなくなればもっと良くなる。サービスは試合中でもだんだん効かなくなるのにそのサービスに頼りすぎてしまい、不利になるので、その次のサービス、また次のサービスを考えておくべきなんでしょうね。

 

●――イングランド戦の4番でピチフォード戦を迎えました。

水谷 彼とは初めての対戦で、最近伸びてきているし、実力もある選手。吉村との試合を見ていても両ハンドがすごいなと思ってました。大島が負ける可能性はあるとしてもあまり準備はしてなかった。4ゲーム目も大島がリードしていたので、4ゲーム目を彼が取ると思ってボーッと見ていたら挽回されて負けた。「ああ、やばいやばい」と思っているうちに試合が始まった。1ゲーム目に、出足でいきなり0ー4、0ー7とリードされて本当にやばいなと思いました(笑)。1ゲーム目を取られても勝てるだけの実力差があってほしいと思いました。

 

●――1ゲーム目、0ー7から8ー10まで挽回したけど落とし、2ゲーム目も10ー12で落とした。もしラストまで行ったら勝敗の行方はわからないけど、そういうことを試合中に考えた?

水谷 もちろん。2ゲーム目負けそうになった時に大島を恨みました(笑)。同時に、これでおれが負けて、チームも負けたらあいつは一生立ち直れないだろうから、何とか勝たないといけないと思いました。

 

●――3ゲーム目を取り返したけど、ピチフォードはやりにくかったのかな?

水谷 相手のサービスに対応するのは時間がかかりました。苦しい展開はかなりありました。やりづらいわけではないけどレシーブがどうしてもうまくできないので波に乗れなかった。

 

●――相当にフォア前の処理で苦しんでいるように見えた。

水谷 そうですね、それはあります。フォア前に浮いていたボールを打てなかったので、途中からダブルストップに切り替えた。相手も強かったですね。でも次にやったら簡単に勝てそうな気はします。

 

●――4ゲーム目には6ー10からの大逆転だった。

水谷 4ー1でリードしているのに、6ー6から6ー8、そして6ー10になった。4ゲーム目はいけるなという感覚があったんですよ。これは来たなと思っていた。6ー10でマッチポイントを取られてきつかったけど、6ー9ではまだいけるかなというフィーリングはあった。6ー10でもまだまだだと思っていたし、勝てる可能性はあると思っていた。

フリックされたのを相手のフォアへバックのカウンタードライブを打ち7ー10。そこで相手が台上でチキータしてきて、ミスして8ー10。次に相手のサービスがフォアに出てきたのでレシーブ強打で抜いた。あのボールは自信はありましたよ。これで9ー10。次をぼくがドライブしたらブロックされて、相手がつないだボールをシュートドライブで打ち抜いて、10ー10と追いついた。

相手は相当焦っていましたね。吉村の時にも9ー6から逆転されているから、絶対相手はそれを思い出しているんだろうなと思いました。10ー10で台上に浮いてきたのを強く打てなくて、ちょっとドライブして返して、中陣でしのいでいたらラバーの端に当たって入って、あの後、2本ロビングになって得点して11ー10。次も相手は絶対打てないと思ったので、自分のレシーブで打てなかったら守備に回ろうと思っていた。11ー10でも長いラリーになった。最近ロビングに自信はなかったけど、今回昔のロビングの感覚が戻ってきた。

 

●――その時のラリーは9本続いている。

水谷 ロビングの時にバックで1本カウンターしているけど、あの辺は自分でも成長したところかな。メンタル面での成長かな。

 

●――会場を沸かせ、得意のラリー戦で最終ゲームに持っていった。

水谷 最終ゲームも0ー1で10本以上続いたラリーがあって、それを取った時にいけると思いました。出だしで0ー2になったら苦しいからあそこでよく頑張った。あの試合はよくまくったなと思いましたが、一方でなぜここまで競ったんだろうという反省もありました。

 

●――39年ぶりと言われても自分も生まれていないからピンとこないでしょ? 歴史を変えたいという気持ちはあったんだよね。

水谷 もちろんずっと3位が続いていたので、何とか歴史の扉をこじ開けたいという気持ちはありました。08年の広州大会で銅メダルを獲ってから、次は決勝だという雰囲気はありました。今回はぼくらが圧倒的に2番手候補だった。それでも簡単には決勝には行けない。

一度決勝に行っておけば、良い意味でそこが自分たちの定位置になると思う。広州で銅メダルを取ってからそれが最低ラインになった。次からは決勝に行くのが最低ラインになりますね。そのハードルを上げることができた。つまり若い選手のために新しい歴史を築いていきたい気持ちもあります。これからは個人戦でもメダルを獲ることが当たり前になっていくと思います。

 

●――それは自分が築いてきたという自負もあるでしょ?

水谷 もちろんそうです。広州の時のメンバーはぼくしかいませんから。

 

●――翌日に決勝で中国と対戦して、どういう気持ちで試合をしたんだろう。

水谷 自分自身、今までたくさんの経験をしたけど、世界の舞台での決勝は初めての経験だった。観客も多かったし、ビックリしました。何かのライブかと思いました(笑)。

 

●――許昕のドライブはうなりを上げるようなボールだった。

水谷 許昕のボールはすごかった。でも今までよりもサービスの質は低かった。あの舞台だから中国選手も緊張しているし、緊張してサービスは出せないんだなと思いました。会場の熱気で自分もサービスがうまく出せなかった。会場の雰囲気や相手のオーラもあるでしょうね。相手がバックを使った時には点が取れている。何とかしたいと思ったからラリーを長くしたりもした。

 

●――全体を振り返って、日本の

歴史を変えたことも事実だし、若い選手に残したこともあると思います。

水谷 銀メダルを獲れるべき大会で、しっかり銀メダルを獲ったことは非常に意味がある。大きなチャンスを逃さなかったことは大きいですね。自分のプレーの課題もわかったし、一人ひとりの課題も見つかった。それは世界選手権だけではなく普段のツアーも同じで、今までのように反省すべき点は改善しなくてはいけない。まだまだいける年齢の時に銀メダルを獲れたこと、オリンピック前に決勝を経験できたのは良かった。

◇◇◇

クアラルンプールで日本男子を決勝に導いた水谷隼。1週間ほど経ってからこのインタビューを行った。日本男子の歴史を変えた高揚感は微塵もない。まるで昔話を語るような表情で淡々としていた日本のエース。それは自分の実力が最大限に発揮されていない不完全燃焼の思いがあったからだろう。

水谷は世界選手権から2週間後のクウェートオープンではクアラルンプールで完敗した許昕と再戦し、最終ゲーム10ー4から大逆転負けを喫した。

悔しいことは言うまでもないが、相手を追い込んだ試合を経験したことで、ある種の手応えもあったはずだ。

日本男子は39年間閉じられていた歴史の扉を開けた。しかし、その扉の向こう側には中国の鉄の扉がある。次はその鉄の扉をこじ開けるための努力を自らに課していかなければならない。さらに新たな歴史を塗り替えていく戦いはこれからも続く。     

(文中敬称略)

 

水谷隼●みずたに・じゅん

1989年6月9日生まれ。静岡県磐田市出身。全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスの各年代で優勝。ドイツ・ブンデスリーガでの卓球修行によってその才能を磨いた。09・13年世界選手権では、岸川聖也と組んだダブルスで銅メダルを獲得。全日本選手権では史上最年少の17歳7カ月で優勝し、平成27年度全日本選手権大会では8度目の優勝を達成。2014年ITTFワールドツアー・グランドファイナル優勝、世界ランキング7位(16年4月現在)

 

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