女子ダブルスの準々決勝、それはルクセンブルクの二人にとって今大会、初の、そして最後の試合となった。
陳夢/王芸迪(中国) 10、2、4 倪夏蓮/デヌッテ(ルクセンブルク)
WTTファイナルズの女子ダブルスでルクセンブルクのペアはストレートで敗れた。
はるばる日本にやってきたがその戦いは18分35秒で終わった。
しかし、負けてもコートのそばで多くのファンにサインをする二人がいた。
「(中国ペアに対して10-12で落とした)1ゲーム目は惜しかったし、良いプレーができていた。あのゲームを取っていれば少しはゲームの流れが変わったのに残念。でも相手も強かったし、良いプレーだったわね」。試合直後、汗もまだひいていない状態で倪夏蓮(ニー・シャオリェン/ルクセンブルク)は答えてくれた。
「実は名古屋に来たのは1979年以来、44年ぶりなの。なんかワクワクするし、ここにいるのがとてもハッピーなんです」と笑顔になっていた。
それは1979年の日中交歓卓球大会のことだ。文化大革命による中断があったものの、1960年代から続いていた日本と中国の親善大会だ。当時は今のような国際大会がほとんどない中で、両国、両協会の友好を深めるための大会だった。1963年7月4日生まれの倪夏蓮は、中国の期待の若手として16歳で初めて日本の地を踏んだ。
この時、彼女はサウスポーの表ソフト速攻型だった。しかし、不安定な速攻プレーにアクセントを付けるため、中国チームの首脳陣は粒高ラバーと表ソフトの反転プレーを勧め、82年に異質攻守型にモデルチェンジ。1983年世界選手権東京大会では女子団体と混合ダブルスで優勝した。
その後、1989年にドイツ、そして90年にルクセンブルクに移った。ヨーロッパでの数々の栄光、そして2021年の世界選手権ではデヌッテとの女子ダブルスで36年ぶりの世界選手権のメダルを獲得した。まさに生きるレジェンドだ。
今年の7月に60歳を迎えた倪夏蓮だが、プレーもそうだが、快活に話すその明るさもとても「還暦」の方には見えない。
「パリのオリンピックを目指しています。もし出場できたら6回目。最初のシドニーのオリンピックは37歳の時の出場だった。もし選手としての中断がなかったら、すでに6回、7回と出ていたかも(笑)。卓球を続けるモチベーション? こんなに素晴らしいスポーツはないし、そして選手でいることの責任感もある。そして何より卓球を楽しむことよ」
60歳を過ぎて、なお消えない卓球への情熱と「卓球愛」。もし倪夏蓮がパリのコートに立てば、その時彼女は61歳になっている。
44年の時を経て、名古屋で開催されたWTTのコートに立った18分35秒。選手としては短い時間だが、倪夏蓮にとってその時間はとても尊く、輝いていた瞬間だったに違いない。
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