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水谷隼「ジュン、その言葉のすべて」 2007年全日本初優勝。全インタビューvol.1

まわりには

浩二さんと言っていましたが、

自分の中では健太でした。

ずっと健太をマークしてました

 

●——調整を終え、実際に東京に来て、会場に入った時にはどんな感じだった?

水谷 今までと同じ感じだったけど、東京に来た時には肩の調子が良くなかった。2、3日はただフォア打ちする程度で練習しなかった。その痛みは結局最後まであった。大会の出だしは会場にも慣れてなくて、ちょっと弱気になっていて、自分のプレーよりも負けない卓球をするようにしていました。

 

●——ジュニアに出るというのは自分の意志?

水谷 そうです。日本で試合をするのが少ないので、試合をいっぱいやりたかったし、ジュニアで3回優勝したかった。体力の心配はもちろんありました。途中で疲れてきてちょっと後悔しました。ジュニア決勝が終わった後は疲れて歩けなかった。あの日は7試合したけど、やばかった。本当にきつかったけど、次の日の朝は大丈夫だった。

 

●——一般の試合を最初から振り返ってみようか。

水谷 最初の4回戦は森田(侑樹・中央大)さんで1ゲーム目、1︱6くらいでリードされたけど、そこからばん回したら気楽にのびのびできた。次の5回戦が中野(祐介・シチズン時計)さんで、サービスも効いていたし、結構自分のプレーができて、満足いく試合でした。

 

●——この大会の組み合わせを見た時に、勝負所の試合というのは?

水谷 まわりには浩二(松下・グランプリ)さんと言っていましたが、自分の中では健太(松平・青森山田中)でした。ずっと健太をマークしてました。まわりはぼくと健太がやれば、ぼくが勝つもんだという感じでしたけど、ぼくの中では健太との試合が勝負でした。

 

●——もともと同士討ちは好きじゃないし、健太は世界ジュニアでも優勝しているし、意識したでしょ?

水谷 はい。やっぱり世界ジュニアで勝っていて勢いがあるし、この1年間で健太は上り調子で、自分はゆっくりとした成長だし……。

 

●——健太が世界ジュニアから帰ってきてから、気になって見ていたのかな。

水谷 あんまり意識はしてなかったけど、健太の弱点も直っていないと思ってました。とにかく、健太と浩二さんに勝つことしか考えてなかった。健太戦は、相手の動きも見えていたし、サービスも出足から効いていた。同士討ちでは1ゲーム目が大事だし、それを取れば精神的にも楽になる。逆に向こうは受け身になった。健太はショートサービスが多かったけど、ぼくは思いきりよく長いサービスを出して攻めていった。

 

●——次の準々決勝は松下選手ではなく、木方選手(慎之介・協和発酵)だった。

水谷 木方さんには2年前の全日本で負けています。去年は選考会で2回やっていて2回勝っていたけど、やりにくい部分があって、向こうもぼくの弱点がわかっていて、弱点を攻めてくるのがわかっていたので、その対策を考えていました。でも、木方さんは動きに切れがあってサービスも良かった。それに韓陽さんには分が悪いと思っていたけど、韓陽さんが負けたので、このチャンスをモノにしたいという気持ちがありました。

 

●——準決勝の相手は田崎(俊雄・協和発酵)選手。この試合はマッチポイントを取られる大激戦だった。

水谷 (田崎さんは)サービスが良かったですね。レシーブがうまくできなかったし、逆にフォア前のフリックにやられました。今回は作戦を練られてて、嫌なところばかりにボールが来たし、バックにボールを集められた。1、2ゲーム取られて、(自分の)バックハンドもダメだった。3ゲーム目を取らなかったら負けだなと思ってました。4、5ゲーム目はどちらが取ってもおかしくない内容でしたね。6ゲーム目は6︱4くらいから一気にばん回された。ショックでした。最終の7ゲーム目はいっぱいいっぱいだった。手の汗もすごかった。自分でも緊張というか、ビビッているんだなと。勝った瞬間はとりあえずホッとしました。準決勝は自分の力で勝ったというよりも、運もあったし、ふつうと違う喜びだった。気持ちとしては、自分は負けた、というような試合でした。だから開き直って、「自分は一度負けたんだから」というように、この大会をいきなり決勝からスタートする感覚でした。

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ベンチでアドバイスを送っていた吉田安夫総監督は愛弟子同士の激闘をこう見ていた。「上位者では田崎が当たりだしたら一番マークすべき選手。ただ、ベスト16が決まった時点で60%は水谷の優勝を確信していた。田崎戦はめまぐるしい展開だったけど、勝つだろうと信じてベンチにいた。田崎もすばらしかった。あれは隼にとっては良い経験だった。並の選手ならあそこで負けたかもしれない」。

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