卓球王国 2024年3月21日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
アーカイブ

「変えて」強くなる。あなたの潜在力は眠っている vol.1

71年に世界チャンピオンとなったのは、当時18歳のスウェーデン選手、ステラン・ベンクソンだった。両面裏ソフトのドライブ+速攻選手で、ストップとバックブロック、フォアのストレート攻撃が得意だった。しかし、世界チャンピオンになってからは低迷が続いた。70年代はまさに「パワードライブ」の時代に突入し、ハンガリーのヨニエル、ゲルゲリー、クランパに代表されるような両ハンドのドライブスタイルが主流となっていく。その中で、160cmそこそこの小柄なベンクソンは壁を突き破れないでいた。77年バーミンガム大会後にバック面を表ソフトに変えたベンクソンは、81年世界選手権では中国選手を連破して、準決勝でも蔡振華にゲームオールと肉迫し、2度目の世界頂点に近づいた。裏ソフトで行き詰まっていたベンクソンは、小柄だが反射神経が素晴らしいという身体的な特徴に合わせて用具を変えたことで、再び世界で活躍することができた。

1971年に世界チャンピオンとなったあとに低迷。両面裏ソフトからバック表ソフトに変えたステラン・ベンクソン(スウェーデン)

 

国内に目を向けると、2度全日本チャンピオンになった梅村礼は、元々はフォア裏ソフト、バック表ソフトの異質攻撃型だった。ところが、表ソフトのプレーに限界を感じ、元々、女子でありながらパワー志向の強かった梅村は、98年に両面裏ソフトに変え、当時の女子選手としては珍しく、両ハンドでのドライブ攻撃を主戦武器とした。3年後の01年にはプロツアー、全日本選手権で優勝。04年ドーハでの世界選手権では中国の張怡寧に勝つなど、中国も恐れるほどのパワー攻撃を発揮し、世界で輝いた。

バック表ソフトから両面裏ソフトに変え、持ち雨のパワードライブが発揮された元全日本チャンピオン、梅村礼

 

日本の男子では、昭和56年度(81年)の全日本チャンピオンとなった前原正浩(現日本卓球協会専務理事)は、ペン単板に裏ソフトを貼り、ドライブとスマッシュを駆使した攻撃型だった。全日本選手権の決勝に2度進むも、チャンピオンに届かず、81年、当時日本卓球協会の専務理事だった荻村伊智朗(故人)に、国際大会の事前合宿で「しばらく形が変わっていないので、これが最後のチャンスだと思ってください」とみんなの前で言われた。しかし、前原はこの荻村の言葉で踏ん切りが付き、遠征から帰ってきてから、ラケットを単板からカーボン入りの軽い合板ラケットに変えた。自分でラケットを削って反転式に改造し、裏面にアンチラバーを貼った。もともと、豪打で押すのではなく、速いドライブ攻撃とスマッシュが得意だった前原だが、アンチと裏ソフトの反転プレーで、変化+攻撃の独自のスタイルを作り上げて、その年の全日本選手権で見事に優勝した。当時の卓球スタイル、用具では勝てないと決断した前原の勝利だった。

ペンホルダーの正攻法の攻撃型だった前原正浩はアンチを使う異質反転攻撃型に転向して、全日本チャンピオンとなった

 

昭和62年度(87年)の全日本チャンピオンの糠塚重造は、ペンホルダーの裏ソフト攻撃型でインターハイで優勝していた。しかし、当時からドライブで決めるよりも、ショートを多用し、スマッシュを打つスタイルだった糠塚は、大学2年の時に表ソフトに転向し、後に全日本チャンピオンとなった。

裏ソフトを使い、インターハイチャンピオンになった糠塚重造は表ソフトに転向後に全日本チャンピオンとなった

近年、裏ソフトがより主流となっているが、選手によってはパワー、回転重視の裏ソフトよりも、スピード重視の表ソフトのほうが適している場合はある。自分の身体的特徴、また気質によって、裏ソフトではなく、他の用具が合っているケースはあるし、その逆のパターンもあるだろう。

用具を変えるのは、リスクをともなうため大きな決断を要することだが、用具を変えることで眠っている自分の特徴を目覚めさせることがある。トップ選手でさえも常に用具では悩んでいるのだから、初・中級者が用具に悩むことはごく自然なことだろう。悩んだ末に潜在力を掘り起こす「チェンジ」があっても良いはずだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

郗恩庭

[表ソフト→裏ソフト]

73年世界選手権サラエボ大会優勝の郗恩庭(中国)。表ソフトから裏ソフトに転向し、変化サービス、ドライブがより生かされた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

郭躍華

[表ソフト→裏ソフト]

81、83年の世界チャンピオン・郭躍華(中国)。表ソフト速攻型だったジュニア時代から、一転して強烈なパワードライブを放つドライブ型に変身した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ステラン・ベンクソン

[裏ソフト→表ソフト]

71年に世界チャンピオンになったあとに試行錯誤を繰り返したベンクソン(スウェーデン)。行き着いたのは小柄な身体をカバーするためのスピード卓球だった。そしてバック面を裏ソフトから表ソフトに変えた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

梅村礼

[異質攻撃→両面裏ソフト]

小さい頃からバック面を表ソフトにした異質攻撃型で、初めての世界選手権もその用具で出場。その後、両面裏ソフトに変えたことで、バックハンドドライブの威力が増し、よりフォアハンドのドライブが生きることになった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前原正浩

[ペン攻撃→ペン異質攻撃]

カリスマ指導者・荻村伊智朗からの厳しい言葉に発奮し、ペンホルダー単板裏ソフトから、反転式の異質攻撃型に転向し、全日本チャンピオンとなった。新しい用具を使うことで、新しい戦術が使えるようになり、壁を突き破った

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

糠塚重造

[ペン裏ソフト攻撃→ペン表ソフト攻撃]

裏ソフトを使った攻撃スタイルでインターハイチャンピオンになった2年後に、表ソフトに転向。「世界選手権に出たい」という目標のもと、卓球の改造に取り組んだ。得意技術も表ソフトに適していた

<続く>

関連する記事