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【アーカイブ】グッズストーリー・平野早矢香

卓球グッズ2016より抜粋 〈文=今野昇 写真=江藤義典〉
 

平野早矢香〈全日本選手権5度優勝・ロンドン五輪銀メダリスト〉

多くの人の覚悟や思いが詰め込まれたラケット

仙台育英学園高からミキハウスへ入社という驚きの進路を選んだ平野早矢香。
そして入社1年目でつかんだ全日本初優勝。
この勝利が平野の卓球のキャリアを変えていく。
彼女は自信を持って世界の舞台に飛び出していった。

驚きのミキハウス入社と
一からの用具選び
2016年4月9日の日本リーグ・ビッグトーナメントで現役生活に別れを告げた平野早矢香。
全日本選手権で5度の優勝を誇り、2001年世界選手権大阪大会で初出場を果たすと14大会連続の日本代表となり、文字どおり日本女子を牽引した。2012年ロンドン五輪では福原愛、石川佳純とともに女子団体で決勝に進み、銀メダルを手にした。これは日本卓球界にとって記念すべき初のメダル獲得だった。
地元・栃木で幼少期から卓球を始め、華卓会、小学5年生からは城山クラブで腕をき、仙台育英学園秀光中、仙台育英学園高で一貫指導を受ける。高校1年で全日本選手権ジュニアの部で優勝し、高校時代から現役を引退するまで、安定したバックハンドの攻守にフォアの連続強打というスタイルは変わらなかった。ジュニアで優勝した時のラケットは『プリモラッツ カーボン』(バタフライ)、フォア面ラバーは『タキファイア スペシャル』(バタフライ)バック面は『マークV』(ヤサカ)を使用していた。
平野は高校卒業後、大学へは行かずミキハウスへの入社を選んだ。
「ミキハウスに入ってから、すぐに用具の見直しをした。まず4本、5本と目の前に使えそうなラケットを並べてそれぞれ試していきました。当然『プリモラッツ カーボン』が一番使い慣れていたのですが、周りのコーチのオススメは『アドレッセン』(バタフライ)。周りの人は『プリモラッツ カーボン』が一番合っていないという評価でした」
それまではあまり用具を気にするタイプではなかった平野だったが、ミキハウスに入社後に自分の技術を引き出す用具を考えるようになる。
「当時は正直に言えばラケットはあまり気にせずに、技術のことばかりに神経を遣っていた。ある程度自分で打球感がわかってきてから気にしたのは『ボールのつかみ』ですね。ボールをつかんでいる感覚がないと怖くて打球できないんです」
そして高校卒業後1年目の全日本選手権の一般の部で初優勝を果たした平野。それが「平野時代」の始まりだった。手にしていたのは『アドレッセン』とフォア面の『キョウヒョウⅢ』(紅双喜)、バック面の『ハモンドプロα』(ニッタク)だった。
それほど長く使い込んだわけでもないのだが、豊富な練習量を物語るかのように、グリップ部分は年季を感じさせ、ラケットのエッジは巻き込みサービスで台にぶつけたために削られてボロボロになっている。
その後の彼女のラケットは、『梅村』 (バタフライ)、『アバロックス』(ニッタク)、『インナーフォース ALC』 (バタフライ)、 そして『アドレッセン』に戻り、その後は『オールラウンドエボリューション』(スティガ)、ロンドン五輪と世界卓球東京大会は 『ローズウッド NCT V』 (スティガ) を使い、その後『クリッパーCR WRB』 (スティガ)と目まぐるしく変わっている。
「10数年の間にスピードグルー禁止、ブースター禁止、ボールの変更などいろいろあったので、変える理由は様々でした。もちろん『この技術をやりたい』と用具を変えたこともありました」
大きなきっかけとなった初優勝。
多くの覚悟が詰め込まれたラケット
最初の「王国インタビュー」(03年7月号)で平野早矢香は「自分のレベルを上げていって日本代表として団体戦に出られるような、必要とされるような選手になれたらうれしい」と語っている。そして、その言葉どおり、彼女は世界選手権団体戦での劇的な勝利で日本を救い、五輪のメダルに大きく貢献した。
しかし、平野早矢香を語る時、すべては全日本選手権の初優勝から始まる。
初優勝の後、世界選手権の団体戦に選ばれ、着実に力をつけていった。当時を振り返る平野。
「初優勝は自分のキャリアの中でも大きな勝利です。正直、ミキハウス1年目に全日本で優勝できるとは思っていませんでしたが、 何とか自分の目標を達成し、世界という新しい舞台に踏み出すきっかけになりました。
ミキハウスに入った頃はすぐ隣で藤沼(亜衣)さん、樋浦(令子)さんが練習をしているし、小西(杏)さんもいてレベルの高い中で一緒に練習できたことはとても良かったし、自分を高めてくれた。全日本選手権で初優勝した時でも、日本で勝てるけど国際大会では勝てないと言われましたが、そこから全日本で何度か勝っていく中で、認めてもらえたかなと思ってます」
初優勝には平野自身のいろいろな思いがこもっている。仙台育英のライバル校である四天王寺高をバックアップするミキハウスに入社したことは、卓球界では大きな驚きを持って伝わっていった。「卓球が十分にできる環境があり、世界を目指せる環境がミキハウスにあった」という理由で平野はミキハウスを選択した。結果を出さなかったら彼女はを中傷を受けたかもしれないが、1年目で見事に結果を出し、彼女の決断が正しかったことを証明した。
「仙台育英高を卒業してミキハウスに入ったことは一番大きな決断でした。また、いろいろな覚悟が必要でした。私の覚悟、そして快く送り出してくれた仙台育英の大岡巌先生の覚悟、受け入れてくれた大嶋雅盛先生の覚悟、そしてミキハウスの覚悟。いろいろな方の覚悟がそこにありました。いろいろな人の気持ちがそこにありました。自分が選んだ道であってもみんなにミキハウスに行って良かったねと言ってもらいたかったし、それはできたと思っています」
ミキハウスに入り、一から用具を見直し、卓球を一から見直してスタートした時のラケット。この180gのラケットで全日本初優勝を飾った。多くの人の覚悟や思いが詰め込まれていた。そして平野早矢香自身の涙や汗が染み込んでいた。それは計り切れないほどの重みを持っている。(文中敬称略)■
[Profile]
ひらの・さやか〈ミキハウス〉
全日本選手権5回優勝。世界選手権団体メダリスト
2012年ロンドン五輪銀メダリスト