本日12月4日は、元世界チャンピオンであり、国際卓球連盟(ITTF)会長を務めた荻村伊智朗(おぎむら・いちろう)の命日である。荻村は1994年12月4日、62年の生涯を閉じた。
異常なまでの集中力で一気に世界の頂点に上り詰めた荻村は、引退後も指導者として、そして卓球の普及と発展のための役員として尽力した。1987年にはITTF会長選に立候補して当選し、日本人初の国際競技連盟(IF)会長となった。
就任後は、わずか1年間で80カ国を訪問するという苛烈なスケジュールを自らに課した。そして1994年1月に検査入院し、余命3カ月と告げられた。それでも病院からイベントや講習会に向かい、亡くなる直前まで卓球に身を捧げた。その生き様は壮絶であった。
荻村がITTF理事に就いたのは1973年、41歳の時である。荻村の逝去後、日本は木村興治、前原正浩がITTF副会長として存在感を示してきた。しかし今年11月、星野一朗が副会長選で選出されず、日本は52年間送り続けてきたITTF理事以上のポストを失った。
語学力と国際感覚を備え、卓球に限らずスポーツ全般や国際情勢を俯瞰できる人材が、日本には見当たらない。残念ながら、日本国内で卓球界を牽引するリーダーも不在である。幼少期から卓球に専念し、選手として高い実績を残している人は多い。しかし、リーダーとして卓球界を牽引できる人材が少ないことが日本の課題である。
他競技と比べても卓球界の人材不足は深刻だ。観客数が減少し、チーム数が増えないTリーグ。そのTリーグと選手が行き来しながらも、存在意義が問われる日本リーグ。この閉塞感は看過できない。
いま、日本卓球界を引っ張る国内のリーダー、そして世界の場で日本を確かな存在として示せる人材が求められている。私たちは、その登場を待ち続けている。
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