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仲村渠功

アルゼンチンの日系人

<2000年6月アルゼンチン日系社会が一丸と成って編集された移民史>
2008年アルゼンチンを指導するため首都ブエノス・アイレスに赴任した時のことです。日系社会の憩いの場として、スポーツ、文化活動、会議施設、日本レストランなど幅広く現地人も利用できる日系社会の中心的な場所の沖縄県人連合会館(COA:Centro Okinawense en la Argentina)でのこと。
赴任直後ここで指導する機会があり、当会館の関係者から名前を聞かれ”ナカンダカレです” ”はい ナカンダカレさんですね” といとも簡単に、聞き返されることなく名前を呼ばれたことです。 それもその筈、アルゼンチンには約4万人の日系人が在住し、その8割が沖縄県人だったことを知りました。名前を伝えた後の応対が大変でした。”ウチナンチュウ(沖縄の言葉)を話せるか? どこの村出身?” 残念なことに大阪で生まれ育った為、受答え出来なかったことが思い出されます。
1886年に日本人が初めてアルゼンチンに定住から今年で130年経ちます。南米への移住政策ではブラジルを筆頭に、ペルー、ボリビア、パラグアイは有名ですが、首都ブエノスアイレスを中心に日系人が沢山住んでいることには驚いたものでした。 赴任直後COAでの個人的な活動から多くの友人が出来、そのお蔭で在任中の計4年間(2年間の指導を2回)は大変有意義な活動ができました。
ナショナルチームを指導するにあたり卓球連盟と強化方針を検討する中、それまでの女子選手の扱いは実力に比例し中南米以外世界的な大会に派遣されず日の目を見ない状況でした(男子シニアはブラジルと肩を並べる実力)。 この様な時期の「21歳以下の強化方針」には当然女子も重要強化に加えました。
卓球連盟の支援もあり女子選手のモチベーションが上がってきたころ、ITTFプロツアーに参加する日本チーム(村上監督、王子コーチ、平野早矢香選手、森園美咲選手、羽生綾子トレーナー)を「アルゼンチンに立ち寄って頂きたい」旨、卓球協会専務理事に依頼したところ快諾されました。
アルゼンチン卓球史上始まって以来の日亜親善試合が開催できました。 親善試合の会場はCOA沖縄県人連合会館で、行事を成功させるために日系社会から心温まる支援があり、日本人の血の繋がりに感激したものでした。
2~3日の滞在だった日本卓球チームとの一部分の行動を紹介でき、現地で力強く生活する日系人に少しお返し出来たかなと思いました。
遠く離れた地で現地の生活や習慣に同化する中、日本の良いところ・日本人の心を継承したい思いで生活される日系人が忘れられなく書き留めました。

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