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インタビュー

多くの卓球仲間に恵まれた、筋金入りのクラブプレーヤー・杉木浩行

 ●シングルスでは全国への切符をつかむことができなかったものの、東京では名の通った実力者であった杉木。推薦の話は数多くあったというが、大学や実業団でラケットを握ることはできなかった。杉木家には家業があったからだ。

 

瓦職人として修行しながら、卓球は代々木クラブで続けました。

当時の代々木クラブにはすごい選手がいっぱいいた。

 

うちは瓦屋なんです。親父が瓦職人になって、私が2代目。高校を卒業してからも卓球は続けたかったけど、「大学は必要ない、進学するより早く腕の良い職人になれ」って言われてね。職人気質の頑固な人でしたから。

それで瓦職人として修行しながら、卓球は代々木クラブで続けました。当時の代々木クラブには、河野満さん(77年世界チャンピオン)とか前原正浩さん(81年全日本チャンピオン/現・国際卓球連盟副会長)、星野一朗さん(現・日本卓球協会専務理事)とか、すごい選手がいっぱいいた。全日本クラブ選手権の第1回大会に出たのが20歳くらいの時です。

全日本クラブ選手権の1部でベスト4に入って、これも荻村さんが始めた国際クラブ大会に日本代表で出たこともありますよ。星野さんと駒木根(保良)さん、私が団体に出て、星野さんと私がシングルスに出ました。クラブ選手権のベスト4以上のチームは、推薦で出られたんですね。

クラブチームだから大学の縛りもないし、専修大や大正大、日本体育大とか、いろいろなところに練習に行かせてもらいました。レギュラーとやっても勝ったり負けたり、というくらいの勝負はできたし、いろいろな方にお世話になりました。

1986年に長野・松本で行われた国際クラブチーム大会に出場した代々木クラブのメンバー。左から星野一朗、駒木根保良、杉木、宇田川貴文

杉木が長年愛用するラケットケース。日の丸は国際クラブ大会に出場した時のもの

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