卓球王国 2024年11月21日 発売
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吉村真晴「新しいプレースタイルを自分が切り開いていく」」。全日本初優勝のインタビュー

厳しくされるのは嫌。
やらされる卓球は本当に好きじゃない。
自分からやりたい卓球をしたい

吉村は実に個性的なプレーヤーだ。しかも、 そのプレースタイルも考え方も型にはまらず、すべてが規格外の男である。小学6年生の時に橋津文彦監督がこのダイヤモンドの原石を見つけ、磨き続けて、才能を開花させた。

ーー昨年4月にJNT(ジュニアナショナルチーム)に選ばれた。それまでは有望視されていたけど、なかなかチャンスはなかった。
吉村 国際試合に出たいという気持ちはありました。ただ、いくら競って良い試合をしても勝たないと成績にはならないから、しょうがないと思っていた。4月にJNTに入って、打倒中国という意識を持ち、自分の目標が世界に向けられ、それが自分のモチベーションになったし、考え方も変わりました。
ーーそういう中で7月のアジアジュニア選手権で、中国を倒して優勝した。
吉村 自信になりましたね。自分にとって大きかったのは、JNTに選ばれて、河野先生(正和/男子監督)に、自信のあったサービスを「こんなサービスじゃダメだ」と言われたこと。自信があるものでさえ、中国に通用しないと言われたから、「やってやる!」と思いました。それで、アジアジュニアではサービスでも点を取れるようになったし、ラリーでも点を取れるようになった。そういった面でも進化した大会、自信がついた大会がアジアジュニアでした。
ーー自信のあったサービスも河野監督に否定された?
吉村 「おまえ、なんやそのサービスは?」とか(笑)、「みんな長く出てるぞ。そんなサービスは中国選手に一発で持っていかれるぞ」とか。でも、中国選手とやったことないからぼくはわからないですよね(笑)。腰を傷めて合宿で練習できない時があって、河野先生が台にケースを5個置いて、1から5番目までを順番に当てていく。それもぶち切りのサービスで。それを3時間くらいやったこともありました。中国と試合して良いサービスがないと勝てないことを実感して、河野先生には進化させてもらった。
ーー 11月の世界ジュニアでは前回チャンピオンの宋鴻遠に勝って、準決勝で林高遠に負けた。
吉村 あれは悔しいですね。丹羽が優勝したけど、アジアジュニアチャンピオンとして中国には負けたくなかった。
ーー 話をさかのぼるけど、卓球を始めたのは何歳ですか?
吉村 小学1年生です。お父さんが卓友会というクラブでやっていて、幼稚園の時に一緒に行って自分がやりたいと言ったのにやらせてくれなかった。小学校に入ってからやっとラケットを握らせてくれた。バンビで全国ベスト4に入ってから、お父さんが真剣に教えるようになって、厳しくなった。
ーー 最初の全国タイトルは?
吉村 カブです。ホープスは2位。その頃は毎日練習していたし、お父さんとマンツーマンでした。厳しかったですよ。いつも目を盗んでさぼることばかり考えてました。でも、やめたいとは思わなかった。卓球をやることが好きなんで。だけど、厳しくされるのは嫌。やらされる卓球は本当に好きじゃない。自分からやりたい卓球をしたい。橋津先生はまさにそういう人で、自主性を磨かせたうえで管理してくれるんです。
先生と初めて会ったのは小学6年生の時で、本当にやんちゃで走り回ってました。仙台育英に入って、練習でも先生はぼくだけ見てるわけじゃないので、ロビングやったり、ボールを曲げてみたり、そんなのばっかりやってました。そういうのが大好きなんです。
中学3年生で転校(野田学園)してから変わりましたね。先生は同じでも環境が変わって、国体という目標もできた。高校最後の年にチームに迷惑をかけたくなかった。結果としては思い切り迷惑をかけましたけど(笑)。
ーー 野田学園は他の名門校とは違う雰囲気を持っているね。
吉村 自分にバッチシ合ってます。遊びすぎたら橋津先生に注意されますけど。先生と生徒の信頼関係を築きやすい。いろんな話を先生と話すんですよ。他の学校の選手からは「何それ、どんだけやさしいの?」と言われるんですよ。でも橋津先生はキレたら相当怖い。全日本前にも怒られたし……自分がやりたい時じゃないと卓球をやりたくないから、疲れた時とか練習時間が長い時に、ダラダラやっちゃう、もういいよという感じになって、そういう時に先生がキレますね。
ーー中学時代から集中力が続かなかった?
吉村 中学校の時の集中力は3分間もったら良いほうですよ、ホントに(笑)。今は強くなりたいという思いがあるからしっかり続きます。
ーー使命感とかプレッシャーを感じるチャンピオンもいるけど、そういう心配は必要なさそうだね。
吉村 逆に、そういう真面目なことができないんですよ。試合をやっていても、他人と同じセオリーどおりのことをやりたくないし、他の人と違うところを見てほしい部分もあります。自分のそういう考え方は自分でも面白いと思うし、競った場面で思い切ってレシーブしたりとか、思い切ったプレーをするのが好きなんです。
自分、ジャンプアップしすぎですね。これからがスタートですね。世界ランキングも三桁は恥ずかしい。とにかく格上の選手に勝ちたい。今のところ、海外でプレーする気持ちはないです。海外でやっていないと海外の選手に勝てないわけでもないし、中国のボールを取っていないから中国に勝てないわけじゃない。実際に自分は勝ってますから。確かにアジアジュニアで中国と初めてやったら「何コレ!」とびっくりしましたけど、同じ人間だからボールを取れないわけがない。

練習でやらないことを試合でする。
そういう創造性のあるプレーが好き。
なんか作っちゃうんですよ

ーー 逆モーション、フェイクプレーは練習でもするの?
吉村 練習中でもやるし、練習でやらないことを試合でやる。そういう創造性のあるプレーが好き。なんか作っちゃうんですよ。いいと思ったら自分のものにしてしまう。
ーー 今まで憧れた人や真似した選手はいない?
吉村 真似した選手も、こういうプレーをやりたいと真似したこともない。日本に自分みたいなプレーをする選手がいるかと言ったらいないでしょう。世界にもいないと思う。新しいプレースタイルを自分が切り開いていく。 自分らしさを強くして、進化しないと強くなれない。強気のプレーをどんどんやっていく。
ーーまさにファンタジスタだね(笑)。そして今度は世界選手権、しかもいきなり団体戦に出るけど、ことの重大さはわかっている?(笑)
吉村 相当にわかってますよ(笑)。日本国民が見ているわけだから、全日本の決勝みたいに楽しんでプレーするしかないですね。硬くなってもしょうがない。
ーー愛知工業大に進学が決まっています。過去には有望な高校生が大学で弱くなるケースもありました。
吉村 弱くなるとは思ってません。自分は人に言われてやるタイプじゃなくて、自分でやりたい時にやることが強くなるためには必要。そういうのが毎日何時間でもやれればいいから、大学へ行っても自分は自分で、そんなに変わらない。愛工大の鬼頭明監督も橋津先生と仲が良いので、今までどおりできると思っているし、不安はないです。
ーー3月に世界選手権もあり、いずれオリンピックも視野に入ってくる。
吉村 世界選手権とかオリンピックは夢みたいなものだった。全日本の優勝も夢が現実になって、いろんなものが夢じゃなくて目標に変わった。緊張はするだろうけど、楽しみですね。今でも財布にロッテルダムの世界選手権(11年)のチケットを入れてるんですよ。あの時、観客席で観てた。思い出というか、自分も将来こういうところで卓球をやりたいと思っていた。
ーー次の夢は何だろう。
吉村 これからも1試合1試合自分らしさを持って、格上の選手に勝っていきたい。世界選手権では日本代表の名に恥じないようにメダルは獲りたい。もし、今後、世界選手権のシングルスとかオリンピックに出ることがあったら、メダルを獲りたいですね。自分のプレーをすれば結果はついてくる。
自分らしさですね。自分の卓球で勝てなかったら、また自分の卓球を見直して変わればいいし、その繰り返しでどんどん世界の上を目指していけば、結果はついてくると思っています。

吉村真晴がよく使うキーワード、それが「自分らしく」だ。背伸びすることもなく、さりとて自分を押さえつけることもなく、自由奔放sに吉村真晴という人間が育ち、その独特の卓球が全日本選手権で実を結んだ。
チャンピオンになった今でも、この選手のポテンシャルを計り知ることは難しい。まだまだ強くなる可能性に満ちている。「多彩、かつパワフルな超攻撃卓球」が大舞台で炸裂し、「ファンタジスタ・sヨシムラ」が世界中を驚かすのはそう遠い日ではないかもしれない。
(文中敬称略)

 

よしむら まはる
1993年8月3日生まれ、茨城県出身。父の影響で小学校から卓球を始め、秀光中等学校へ進学し、3年の時に野田学園中に転校。野田学園高へ進学し、11年インターハイではシングルス3位、ダブルス優勝。11年世界ジュニア大会シングルス3位、ダブルス3位。平成23年度全日本選手権大会男子シングルス優勝。世界ランキング106位(2012年2月現在)

 

吉村選手が表紙を飾った『卓球王国』(3月号)は1/21(木)発売です

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